1594_幟、のぼりと読む、空の鯉。
食料としての鯉もあるわけでございますが、あまり普通に食べるものではないのではなかろうかなとか、錦鯉とかであるならば、高価であるという文化もありそうではありますが、綺麗な絵柄であるものが生きて動いていることに価値を求めるわけでございまして、ある意味悪趣味であるのであろうかなとか、少し否定的な思考に傾きつつ始まる今日のゴブリンでございます。
犬猫を飼うことが情操教育に宜しかろうという意見もありますね。しかしこの家では危なくて無理ですね。今日も元気可愛いですな。
基本支配者側のわがままであることが多いのではなかろうかななどとも思考するわけでございますが、最後まで面倒を見ることを前提とするならば、それを娯楽目的で飼育することも良いのではなかろうかなとか、想像するわけでございまして。子孫を残せないように処理したのちに愛でるわけでございますから、まあ、結構猟奇的ではないかという見方もできなくはないわけでございまして。
対等ではなく庇護しつつ、管理しつつ、娯楽対象として扱っているわけでございまして、意思疎通は難しく、対話はもどかしく、各種力量で持ってして、対応するしかない存在ではあるわけでございまして、ある意味どこかで割り切っているというところがあるのであろうかなとは予想するわけでござます。
大切にしていないわけではなく、むしろ血を分けた肉親よりも上に見ている場合もあったりするように観察される場合もあるわけでございますが、それはやはり手間をかける価値があるということでしかなく、ただそこに愛情がないのかと言いますと、それもまた違い、何か思うところがなければ、付き合うこともできないわけでございまして。
複雑であるのかと言いますと、単純に可愛いので愛でていますという意見が返ってくる場合もございますし、そこまで深く考えているわけではなく、むしろ思考停止がしたいので飼っているまでありそうであるかなと連想するわけでございます。対人関係に悩んでしまったならばそれが起こりえない対象に癒しを求めるという流れはこれは不自然ではないのではなかろうかなと想像するわけでございます。
こちらが庇護しなければ生きていけない対象を抱えて置くとこによって、優位さを演出し、自分がそこにいる意味を作り出して置くという展開は、これもまたそれほど珍しいものではなく、対象に対話が可能な存在を当てはめるよりは健全であるのではなかろうかなとも予想するわけでございます。
それをする方は弱い方なのではなかろうかという疑念もあるわけでございますが、楽しみ方が違うだけで、強度としてはそれほど差異はないのではなかろうかなとか、予想するわけでございます。趣味の範疇であるのではなかろうかなと予想するわけでございまして、それほど強弱に違いがないであろうかなと想像するわけでございます。同じ人間であるから、その範囲に収まっているのであろうかなとか。
愛玩動物などを飼育している方していない方の違いとしてはやはり、裕福であるかどうかも原因に挙げられるのであろうかなとは予想するわけでございまして、適当に飼育するのであるならば実はそれほど問題はないのでありますが、庇護対象としてとか愛でる目的としてとかで手間をかければ、かなりかけられる対象であることは確かであるように観察されるわけでございまして、本来は余裕の少ない方が必要としているというのに、そこには訪れないという構造的な矛盾も見て取れる、のかもしれないです。
野良のそれを見て和むこ程度でよろしいという方もおられますが、それはただ乗りになるのではなかろうかなとは連想するわけでございます、などと思考が発散したところでおしまいです。
「上位存在の愛玩対象であるという認識論もありますね」
「人と共生することで種を保つようになった生き物も多そうです」
「そこに愛はあるのでしょうかね”旦那様”
猫とかが代表例ですな”奥様”」




