1573_くすのき、楠、虎とくれば、りちょう、李徴子。
山月記という物語が語源であるようでありますが、とりあえず虎になるというとことまでしか記憶にないわけでございまして、ちょっとwebを探ってみることにいたしましょう。一読させていただきました、なるほど、思うところが多い作品だと捉える方が多そうな作品ではありますね、ゴブリンの感想は、それほど需要がないでしょうから割愛しつつ連想作文でいきましょう、いつのものです、皆様お元気ですか私は元気です。
虎の子供は虎であるのであろうかなとか、親が虎であるかどうかは定かではございませんが、やんちゃであるという意味合いではおそらく虎にふさわしいような気も致しますが、そもそも虎はそこまで粗暴であるのであろうかなとか、今日も元気可愛いですね。
猛虎と言いますと別の野球集団を連想してしまうわけでございますが、本塁打をあれだけ打ちながら試合には負けてしまうという流は、これはもう浪漫が溢れているのではなかろうかなとか想像するわけでございますが、現状はどうなっているのでありましょうかね?感染症対策で下火になっているという噂も聞かれますが、それ以前から人気はそれほどでもなくなってきているとも、そもそもその興行全体がそれほど昔ほどの勢いはなくなってきているとも聞かれますな。
才能というものはそれはすなわち運と置き換えることができるわけでございまして、この場合のそれは人気が出るとか世の中に認められるとか、流行するとかの部類と同じ意味合いでございますが、大きく環境に左右されるわけでございまして、同じようなことをしていたとしても、それは時代が早かったとか評価される行為も多く観察されるわけでございます。
誰にもそれを予測できなかったわけでありまして、目論見としてはあったのであろうかなとは想像できるわけでございますが、桁が外れるくらいのそれを狙って作ることはこれはまあ難しいわけでございまして、結果が出てからしか何も言えなくなってしまうことは明らかであり、そしてそれに言及することはこれはまあ、ちょっと文才があるか、度胸があればそれほど難しくない、部類のものであるのであろうかなと予想するわけでございます。
それが利益を生むならば、恥も外聞もないなどという立場の方が多い可能性もあるわわけでございまして、この辺りそれほど珍しいものでもないのではなかろうかなとか想像するわけでございます。有名にならなければ食べていけないのであるならば、それはそれを狙う動機には十分なるのであろうかなとは予想できるわけでございますが、そこを支える根底が運であるとなると、多くの人には進められない分野になるのであろうなと想像するわけでございます。
一定数そのような山師めいた文化人が存在する理由につきましては、過去にそれで成功した方がおられたという実績があるからであろうかなとは予想できるわけでございまして、たとえそれが一握りの、確率の低い挑戦であったとしても、それを掴み取ることができるのではなかろうかという自負がある方々が、そう珍しくはないのであろうかなとか、想像するわけでございます。
どうすればよかったのかと聞かれたならば、一般的な指摘やら助言やらはできそうではございますが、それは結果が分かってから、どうしようもなくなってからのそれであるわけでございまして、失敗をなかったことにはできないわけでございまして、であるならば、それを活かして次はうまくやるというやり口になるのであろうかなとか、それが健全であるのであろうかなとか想像するわけでございます。
失敗に寛容な社会と申しますか環境があるということもこれは運に含まれそうでございましして、この辺り、周囲に人気を問うとなると難しいのであろうかなとか、自分で自分に満足するあたりで止めておく方が幸せ度は高そうであるなとか、ぼんやり連想しつつ、おしまいです。
「評価を他人に委ねすぎるとよろしくないのですなので神様に捧げましょう」
「基本的には自分が納得すれば何をしても良いのだは思うわけです」
「神さまは自分の中にいることになってますからな”旦那様”
汝が為したいように為せというと邪神ぽいですな”奥様”」




