1555_コンコン怖い狐咳。
実際の鳴き声は強調されていないので、もしくは簡略化、記号化されていないので、かなり生々しいと申しますか、現実味のあるそれになっている、場合が多そうではあるかなとか想像するわけでございますが、定番の、もぐらの鳴き声と言われたらどうするのであろうかなとか、連想する次第でございます、鳴くのでしょうかね?とか悩みつつ、それほど深くない話題を掘り下げようと希望を胸に抱きつつ始まる今日のゴブリンでございます。
子供の鳴き声とか泣き声ですよね、痛ましいと感じることが多いようでございますが、これが鬱陶しいとかなりますと、余裕がなくなっているということでありましょうか、それはそれで追い詰めそうでございますな。今日も元気可愛いですね。
それは言語となりえているのかどうかと考察することも多そうではありますが、一応何らかの信号をやりとりしている、ように観察できるものが多いようでございまして、多く鳴く生き物は高等であるとしてもよろしいのではなかろうかとか、予想するわけでございますが、そうすると鳴く虫と脊椎動物とどちらがより高等であるのかという問題が発生するわけでございますな。
それは複雑さが違うだけでどちらが上というものではないのではなかろうかという意見もございますが、進化の系統から見るに、原始的でないというものの方が優位に見えるということもございまして、そうすると、それがなされていない生き物を下に見るという行為が自然に行なわれている、場合もありそうではあるかなとか予想するわけでございます。
知的なと申しますか、人間とそれ以外で差別するやり口は、これは自らの種を守るための防衛本能とか、保全をするための区分付けとかであるのであろうかなとか、予想するわけでございまして、自分たちが特別であるという意識を持っていなければ、それを保全しようとしないなどという理屈もあるのではなかろうかなとか予想するわけでございます。
他の生き物を等しいとかむしろ一段下であるという認識であるならば、なかなか、他のそれを資源として活用することが心理的に難しいわけでございまして、それをその価値観のままできるようになるということは、これはまあ、少し歪んで見えるか、大いに歪んで見える可能性があるのではなかろうかなとか、予想するわけでございます。
食材に感謝をして、誠実に向き合って、消費しましょう、糧にしましょうというものが近いのかもしれませんが、ある意味そうであるならば、他を資源として一段としたのものであるとして、扱っても良いのであるとする精神は、実は歪んで見える、方もいるのではなかろうかなという見方もありそうでございます。
そうではなく、自分と同じがそれ以上に価値があるとしながら、資源として利用している精神構造は、それはそれとして歪んでいるのではなかろうかなとか予想するわけでございまして、何らかの心理的なごまかしをした上で資源を消費するのやり口は、これはまあ、よほどうまくやらないとどこかで破綻する可能性が高いのではなかろうかと、認識が狂ってしまう場合もありそうであるかなとか想像するわけでございます。
この辺り客観的に資源は資源であると対話するような関係性ではないのであるとか、消費することに罪悪感は感じなくともよく、それに通ずる感謝の気持ちもない方が良いのではなかろうかとか、連想が続くわけでございますが、大切にすると申しますか適切な量をちょうど良い時期に消費するということができない個性にとっては、感情に訴えかけるやり口もなければならない、のであろうかなとも予想できるわけでございます。
何事にも感謝し、謙虚に生きるということはつまりは、生存のために必要なものであり、他の生き残るためにそうするような、勝手な作られた理屈であるとか、言ってしまうと、身も蓋もないと叱られそうではございますな、おしまいです。
「わがままを他に転嫁するための構造として宗教があるわけです」
「自分の都合であり、そしてそれを肯定するようにするのが学習です」
「思考停止を一時的にさせてくれる存在ではありますな”旦那様”
客観視しすぎると存続の意味をなくしてしまう場合もありそうですな”奥様”」




