1540_ねんがちょーん、と、ぐわしわし。
使い古されたおなじみの冗談やら滑稽なしぐさやら、それは飽きられなければ常に使い続けることができるものであり、伝統となれば、むしろ改変する方が悪となるような部類のものであるのであろうかなとか、それはどこまで続ければ伝統になるのかという実験に近いものがあり、少なくともその発案者が没した後も続けられなければならないということであるならば、事実上個人に帰する冗談は伝統にならないということになるのではなかろかなとか、想像するあたりから始まる今日のゴブリンでございます。
幼児が好む冗談とかもあるのでありましょうね、刹那的もののような気もしますが、受け継がれてきている伝統的なやり口とかもありそうではございます。わらべ唄とかでありましょうか。今日も元気可愛いですな。
その存在そのものが伝統となるくらいならば、意外と難しくないのではなかろうかとか予想するわけでございまして、結果として残っている建物とかがそれにあたるのであろうかなとか、予想するわけでございます。ただ、消失やら焼失を免れているだけであるというものもありそうではありますが、手入れをしていない建築物は早くに崩壊してしまうという要素もございますので、大切にされているからこその伝統となる、場合もありそうでありますね、とか想像するわけでございます。
利益を第一に考えるならば、古い建物は新しくしたほうが良い場合も多いわけでございまして、特に経済を回すのであるならば、完成したらば次は破壊するという発想に断続的に移行するまであるのではなかろうかなとか予想するわけでございます、壊すために作るようなものでございましょうか、とかく仕事を切らさないようにするために、無限に工事を続けるようなものでありましょうか。
芸も似たようなものでありまして、これが完成形であるとなった瞬間にそれを壊すことを始めるようなそのような周回を行う必要がある、場合もあるのであろうかなとか想像するわけでございまして、それを極めるために少しずつずらすような感覚で行うこともありますれば、全く違う方向へ傾けたりしたりする、場合もありそうでございまして、それはまあ、一概に何が正しいということはないのであろうかなとか、予想するわけでございます。
すべての方に受け入れられる、とか、まあ非難されない、精神的な苦痛を与えないというやり口は、これはまあ、難しいというよりは日の目を当てることを前提とするならば無理な話でございまして、最低限過半数の方々からは叱られないような演出を創出しなければならないくらいの、条件でやることになる、のであろうかなとか、想像するわけでございます。
口に出して意見を言う方々の、批判する方々が量で比率を計算しますと、これはまあ、あまりあからさまに褒めることを美徳としない文化圏の中では間違いを発生させることになりますので、全体の視聴者数を母集団にすることでよろしいのではなかろうかなとか、想像するわけでございます。もっとも大多数の方に批判されても、一部少数の方に支持されるならば、それで商売として成り立つ、のであるなら、そのあたりも無視してよろしいかもしれない、とも想像できるわけでございます。
ごく限られた群れの中でしか、伝統として受け継がれないとしても、それはやはり伝統芸でございまして、時代を超えて伝えられるということに関しては、実は大衆の文化より優っている可能性すらあるのではなかろうかと、判断したりするわけでございます。ようは見せる、関わる相手を限定した創作物というものであり、ある意味地下に潜った活動であるのであろうかなとか、想像できるわけでございます。
別に反社会的な思想を助長するわけではなく、迷惑をかけない範囲で閉じられた世界で守られる文化もあるのではないかなという予想ではございます。おしまい。
「カルト的な宗教もそれにあたるかもしれないですね」
「多様性を尊重するということは距離を適切にとるということですからね」
「周囲にそれほどの迷惑をかけな得ればそれは許容されるべきでしょうな”旦那様”
押しつけ合うのではなく目に入らないように立ち回るわけですな”奥様”」




