154_盆と正月くらいは休める仕事をしたい。
お盆とか、お正月とかむしろ強制的にお休みにしてしまって、労働する雰囲気をなくしてしまう方がよろしいのではないでしょうかとか思う今日のゴブリンです。
季節感を大事にしようというフレーズがありますし、季節とかイベントごとに何やらかセールをするわけですが、そのイベントの時にお仕事があってあまり楽しめないとかなると、そのセール対象品も売れなくなりますね、何らかの区切りがあったり、お祭りがある時まで仕事をさせるのは、結果として自分達の首を絞めていることになりませんか?という提言をされた方がおられました。
ごもっともな意見だとは思います。人が休んでいる時に働くと、人より儲けることができるという意見がありますが、すべての人が働いているなら、それは条件が同じでありまして、さらには休みの時に消費するものの購入意欲とか機会とかがこれまた等しく潰れていくわけでありまして、労働に見合う収入が得られないということになりかねませんでしょうね。
買い手が少ない中、労働時間を増やして、その少ないパイを獲得しようとして苦労するよりは、大元の分母を増やすために、お休みを増やす方がよろしいでしょう、とか想像できるのですが、これはまた自分以外の誰かが十分に休みを取ってくれて、購買層を厚くしてくれれば、頑張れば頑張るだけ収入が増えるので、自分は休まず働きたいという、ある意味自分勝手な、欲望に忠実な人々がいるので、積極的に休めないという結果が起こるのでしょうと、推測しています。
できるだけ収入は増やしたい、でも、購入層は増やしたい、となれば、これはもう短期間で大量に浪費するようなシステムを作り出す必要があるわけでして、それをストレートに形作ったのが、ギャンブルでしょうか、射幸心を煽って、決済を簡便なものにして、大量に瞬間的に消費させてしまうわけであります。昨今のソーシャルゲームが流行っているのは、というか流行らせている要因の一つではないかなぁとかぼんやりと思いますし、そのような意見をしている方々も結構いるような予想があります。
短期間で資産を浪費して、喜びを得ることができるから、その時間を利用してまた仕事ができるという、なんと言いますか、本末転倒な行為にふけっている方々がいるような予想をしているのですがどのようなものでしょうか。この手のストレス解消方法は、ふとどこかの時点で我に帰ると、頭を抱えたくなるくらいの後悔に襲い掛かられるように予想するわけでありますが、逆に欠けたコスト、時間やら金銭やらを誇るようになるようにすれば、それはそれで幸せなのかもしれません。
どちらにせよ、休まずに働くというのは、社会全体から見るとあまり良くない行為ではないかと、予想されるわけですから、やんわりとあまりのめり込まない方がよろしいですよ、とか忠告するとか、他に時間のかかる、休まないとできない趣味とか、むしろ何もしないでぼんやりする時間、思索に耽る時間を作るのもよろしいですよ、とか促してみるのが、優しいのではないでしょうかね、とか思うわけであります。
何かに夢中になっている方に言い方を間違えると、逆に意固地になってしまう可能性もありますので、双方の立場とか、その場の状況とか、お互いの心理状態とか考えた上で、さらりと発言するのがよろしいかと思われますが、そこまで苦労して相手をしなければならないくらいなら、距離をとりますよ、という発想が生まれることもまた自然であろうですから、お互い無理のない範囲でフォロー試合うくらいの労力でよろしいのかもしれません。
必要なのは、ゆったりと過ごせる空間とか空気を作り出す、ということでしょう、収入を増やしたいという気持ちの根本にあるのは、老後とか、働けなくなった時の備えとかに不安があるからというともあるでしょうから、その辺り、もっと国家的な支えとか、はっきりと見えてくるとよろしいのかもしれません。
また、刹那的に先のことを考えないで目先の利益につられて、快楽を得るために収入を得たいという方もおられるでしょうね。この辺りは、教育の分野が中心となって頑張ってもらわないといけないとは思いますが、教科的には社会科でしょうか、経済学の初歩くらい最近の10歳児童は習っているのでしょうかね?
「恋に休みはありませんのですよ?」
「恋はお仕事ではないからそれはそれでよろしいのでは?”ご主人様”」




