152_終わらない、と終わらせられない。
終わらない物語という作品が過去にあったようです、斜めに読んだか、ちらりと視聴したかくらいした記憶がありますが、結構面白かったような覚えがあります。映画の方は、主題歌というのでしょうか、今でも頭の中で再生することができそうな感じです。
人気が出てきましたけれど、作者的にはこのあたりで物語を終わらせたいなと思っています。けれども商売のお話で、まだ売れるよちが十分ある作品を終わらせるなんてとんでもないという意見に押されて、さらに続くという事例は、結構観察できるような気がいたします。どちらが作者にとって幸せであるのかという、議論は、作者を除いて結構頻繁にされている話題ではありそうですし、作者と含めて議論することもありそうです。
意見としては、ファンが望んでいるのでありますから続けるべきでありましょう、というものや、儲かるります、お金はお嫌いではございませんでしょう?というもっともなご意見やら、この作品以外で読者とかの興味を引けるかどうかわからないのですから、できるだけ延命するべきでしょう、という身も蓋もない助言など、続けるべきメリットを提示するものがあります。
逆に、冗長になりすぎて、まとまりがなくなってしまっている、ファンから見切られる前に、新しい作品を発表しましょう、とか、長く続きすぎた作品は新規ユーザーを獲得しづらいのでありますから、この辺りでたたんでしまいましょうよ、とか、物語的にここで完結している方が作品のレベルが高い位置で完成させることができますよ、という、この辺りで完結してくださいなど、おしまいにするメリットを提示するものもあります。
個々の事例やら周囲の環境、作品の傾向やら、その当時の流行によって、最適な解法はかなり違ってくるでしょうし、作り手本人のモチベーションとかも関わってくるでしょうから、一概にこうするのが良いでしょうとは言えないわけでありまして、結果として、ここで終わった方が良かったのになという意見やら、ここで完結して良かったとかいう意見が出てくるだけなのでしょうね。
終わりどころを間違えているという意見は、これは実際に間違い続けている作品が目の前にあるので、しっかりとした根拠として言えるのでしょう。それとは別に、終わっていて良かった、完結して良かったという意見は、いや、これは続けていてももっと売れたかもしれない、という反論に明確な根拠を指し示して、再反論できないという弱みがあるわけですね。
なので、人気が出てきた、出ている作品群は、長期化の傾向があるのでしょう、という考察する意見もどこかにありそうです。
さらには、うっかり長期化してしまった物語の、おしまいというのは、なんとも寂しいことになる可能性が高いという想像もできますね。長々と続けてしまいましたが、残ってきているコアなファンだけでは採算が合わなくなってしまって、商売として成り立たなくなった、もしくは、ファンの数が少なくなってきている事実に作者がショックを受けてしまって、情熱を逸してしまったとか、そのような状態に陥ってしまって、結果、なんともしょんぼりするような終わりかたを迎えてしまう、物語というのは、受けてであるこちら側としても物悲しい、物の哀れを感じさせられてしまう気がいたします、という方は少なくないでしょうと、予想いたします。
とにかく終わらせようと、話を省略して、展開を早回しで、言葉少なく余韻もなく、超特急で無人駅を、吹き飛ばしていく勢いで、戦後処理というか、敗戦処理をしてしまっている物語も、結構世の中には存在するように観測されます。
中には、掲載している媒体そのものがなくなってしまうというパターンもありそうではありますが。実際目にしたこともちらほらありますが、物悲しさの中、ああ、一応最後まで付き合えましたね、というちょっとした満足感を感じる方も、結構多いのではないなと、予想します。
とどのつまりは受けての好みの問題に尽きる、のでしょうね、といういつもの投げぱなしの結論を放り投げて、今日はおしまいです。
「長編小説くらいの分量はありますよ、私の恋文は」
「読後感凄まじいでしょうな、読まれておりましたらばですが”ご主人様”」




