1514_得々、トクトク、器を満たす、辰砂。
毒が薬に通じているのでありましょうか、薬が毒に通じているのでありましょうか、おそらくはそのどちらでもあるのでありましょう、もしくは本質は同じものであり、性質を切り取ってみているだけのことである可能性も高そうではございますが、そこに神秘を見出すあたりは人の趣味がなせる技なのであろうかとか、いやさ、それはその不確かさを武器にした虚勢のなせる技であるのではなかろうか、などと、ぼんやりと連想を進ませながら始まる今日のゴブリンでございます。
はいそれは苦いです。幼児に口へ入れさせないために、そのような味になっているのでしょうね。いつもながら目が離せませんな。毒はありませんよ、甘い飲み物をどうぞ。今日も元気可愛いですな。
何かを口にする、嚥下する、白い喉の動きが艶めかしい、などなど、その行為そのものが色を連想することもありそうでございます。対象が毒のようなものであるならば、その意味合いやら背景やらを想像して、浪漫主義が前面に押し出されるような場面が出来上がりそうではありますが、無味無臭なものが使用されるとなりますと、それはそれで、名探偵が後に登場しそうではあります。もしくは終幕間際でありましょうか。
苦味が毒であるという信号として働くわけでございまして、敏感な味覚をまだ持ち得ている子供にとって、そのようなものがある食べ物は忌避されるのであろうかなとか予想するわけでございます。と申しますかちょくちょく観察されるわけでございまして、そのまま大人になっても苦手意識を持つことはありそうでございます。
それに慣れることが良いことであるのかどうかというと、それこそ生活している環境によるのではなかろうかなとか想像できるわけでございますが、他で栄養が賄われるのであるならば、それは個人個人の趣味嗜好の範疇であると言ってもそれほど問題はないのではなかろうかとか想像するわけでございます。
逆に少量の毒が娯楽として楽しまれている世界というものもそれほど珍しいものではなく、ある意味雅な趣味であると捉えられている場合もありそうでございます。お手軽なものであるならば、酒精は毒でありますので、それが含まれ、昨今の情勢では他人の目を気にしなければならなくなりましたが、煙草を飲む習慣もまたそうであるわけでございます。
悪徳は格好が良いという評価があるわけでございまして、それもある程度までではございますが、ただ、突き抜けて悪党であることもまた魅力の内である場合もあるわけでございます。立ち位置の問題であるのであろうかなとか予想するわけでございますが、そのように仕立てられたという場合もまたありそうであります。必要であるから悪役を振り分けられたということでありましょうか。もしくはそうすることが利益を上げられそうであったからでありましょうか。
どちら側から見るかによってそれは決定するものであり、絶対的な評価ではないということでありましょうか。そもそもそれは眺めるのもであって、口にするものではないという用法の違いによって、悪役とされてしまっている場合もあるわけでございまして、ある意味言いがかりでしかない場合もまた、当然ありそうでございます。
それを求めるものによって、そのように語られるだけの話でありまして、それはそのままただ昔からあるだけのものであるわけでございます。意味をつけるのは他者であり、ものが言えないのであるならば、粛々とその評価に甘んじるしかないわけでございまして、同情するところがあるのではなかろうかとか、それもまた勝手な考えでありそうでございまして、おおよそ、感傷であるのであろうかなとか、連想し発散しておしまいです。
「思考を鈍らせて神を作り出すための毒のような薬はありますね」
「科学的にそれを客観視する技術は必要だと思います」
「昔、演劇を行う薬というようなギャグがありましたな”旦那様”
客観的に冷静に毒を使用するというと語弊がありますな”奥様”」




