147_不調が日常。
いつもどこかが痛いのであればそれは、特別なことではなく、最後の時までそれに付き合おうとする覚悟があるかどうかということでありましょう。肉体の痛みだけでなく、精神の痛みなどもそうであろうし、社会を維持していくための痛みなどという抽象的なものもまたあろうというものでしょうね、とかちょっと突き放したような口調から始まる今日のお話はいかがでしょうか、ゴブリンでございます。
その時が絶好調であったかどうかは、のちに不調になった時にわかるのでありまして、何かできなくなったその時に、あの時はこれができたのになと、ポツリと呟くようなことをしてのける精神の働きのようなものがあるのだと、予想するわけです。それは若い肉体を持っていたからできたのだなぁという老人のつぶやきかもしれませんし、後先を考えずに、自らの持つ全能感にひきづられるように周囲を巻き込んで突貫していた、現象を省みて頭を抱える中年かもしれません。
まだ頭を抱えたり羞恥心に襲われるのは若いと言うか達観していない、いい意味で諦めていないのかもしれませんが、人間諦めが肝心であろうというつぶやきも一つの真理を指し示しているのですよ、としたり顔でおっしゃられる、燕尾服の紳士が現れたりしてくると、生活は混沌としてくるわけでありまして。たまにあなたは誰ですかと問いただしたくなるように突然に湧き上がる別人格というものが、別にそれが格好いいからそう演じているのですよということでもなく、自然に複数の人格が存在することを認めてしまう精神状況に陥る時に、結構落ち着いている自分気がつくのかもしれませんと、発言される方が、最前列に並んでおられます。
その列は何の列なのですかと問われるならば、思考を具現化してしまったので、具象化するまでの待ち行列でありまして、次々に藁が積まれていくのでなかなか最深部に届かなく、いい感じに古い地層は発行していますよと答える能面をかぶった方が舞っておられるわけでありまして、狐の面をかぶった女性の人格があらそれならばいい感じの塩梅でありましょうな、ぜひに掘り起こしに行くべきでありましょうと、赤い小さなスコップを片手にケンケンと鳴き笑う様が多重写しになって薄ぼんやりとした闇の中へと消えていきつつ、ふと気がつくと頭の後ろを跳ね回っているわけであります。
鼓の音が響きたけの横笛に唇を寄せて、強く吹くと聞こえない音が奏でられ、薄く伸ばされた、金属板にポツリポツリと小さなキノコが生えていきくし状の、音の葉をこすり上げて、指で跳ね飛ばし、キンキンと耳に残る音階を奏であげ、ヒョロうりと頭を傾けると音のかけらが、透明な小石のかけらのようにこぼれ落ちてくるのです、慌ててその脳みそのかけらと見間違ったそれを、白い長い指でそうっと、毛氈に落ちたところを拾い上げ、慎重にちょっと黒みがかかった、舌を伸ばして舐めとると、思ったより甘く感じて、人の脳髄は甘いのであるかな、と、笑みをこぼしつつ直接なめられないかと舌を暗がりの奥へと、唇とは逆の方向へと伸ばしていくのです、ずりずりと伸ばされた長く黒いそれにはジョワジョワと蠢めく、百の足が生まれて、自律した一個の人格をもち、長く薄暗い洞窟をそぞろ歩くわけです、明るいのはこれは眼球の裏側であるからそとの、アルコールランプの光が透けて見えているのであろうかな、と、百の足に対して一対しか存在しえない両手の左側をつかて、ついっと、ソフト帽を押し上げて、眩しそうにそれを眺める百足が、私の咽頭に存在し、身をよじって、ここにありという主張を繰り返していくのです。
蠢めくその細やかな肢体が神経を触っていく感覚に、背筋の下辺より天頂へと駆け上がる震えは、事によると、否や確実に悦楽を生じる信号であるのかも知れぬと、錯覚することにより、何か、根源より擦寄る悍ましさを、何か綺麗過ぎるものに汚泥を塗りつけるかのような心持ちで、崇め奉り、払い飲み込み、飢餓に、飢えたものを、欠落した何かを補填して行っている、円筒状の口を持つものがくる、そのような姿を幻視しているのは、どなたでありましょうか。
自動筆記が暴走しているようですが、これはこれで味がありますね、と、ゴブリンが、ほくそ笑んで今日はおしまいです。
「既成事実を捏造しました!」
「おいたわしいことで、もちろん被害者側の彼のことですよ”ご主人様”」




