1462_馬娘、ダービー、きょせん。
3択の女王なら実は違和感なく潜り込めるのであろうなとか、漫画家とか、教授とか、その辺りでもなんとかなりそうな気がいたします。勝ち馬を予想するというやり口が多少合わないのであろうかなとか、最後に可愛らしく踊ったりするのかなとか、まあ、美少女化するのであるならば、なんでもよろしいのであろうかとかは、妄想したりするわけでございますが、謎解き要素とかを主軸にすれば、結構楽しめるような気もいたします、などといつものように戯言を吐きつつ始まる今日のゴブリンでございます。
お馬さんは好きですか、かけっこもしたがったりしますのものね。人を馬に見立ててごっこ遊びをするという発想がなくなってしまう可能性もありますかね?今日も元気可愛いでございますな。
育てるという楽しみがあるのであろうかなとは、それほど深く考えなくとも連想されるわけでございますが、運の要素が結構絡んでくるというところは、現実的なのではなかろうかなとか、それは遊びとしては現実的すぎるのであろうかなとか、努力の意味が薄れてしまうのはどうなのであろうかなとか、不安になってしまうような思考を導き出してしまうわけでございまして。
ただ、才能が全てを決める、努力がその大きな比重を占める、とかであるならば、実は娯楽には向かないのであろうかなとも予想できるわけでございまして、定石を知らなければ勝負ができないとか、もしくは勝負に大きな影響が出てしまうとか、技術の有無て完全に勝敗が決定づけられてしまうとか、だと、やっても苦しいだけでありますので、商売に向かない可能性が高いわけでございます。
運の要素がある程度の割合を占めており、熟練者と未熟者の勝負でも必ず前者が勝つとは限らないならば、世間にはやるのではなかろうかなとか、遊びとしてでございますが、と想像するわけでございまして、実力でしか勝つことができない勝負というものは、とてもつまらない場合もあるのではなかろうかなとか、想像するわけでございます。
もちろん、それについやいした学習時間に比例して勝率が上がるということで、達成感やら、他からの評価やらが得られやすいという側面はありそうでございますので、一概に運だけが要因になるようなものが良いというものでもないのであろうなとかは簡単に想像できるわけでございまして。
いつものように環境とか状況とかによるのであろうなとは想像できるわけでございます。そしてその環境とかをうまく作り出すことができれば、ある一定の市場を確保することができるのでは、とも想像できるわけでございますが、意図的にそれを為すことは結構難しそうではあるなとも予想されるわけでございます。
娯楽として楽しいかどうか、と、勝負事として、見世物として楽しいかどうかでまた戦略が違ってくるのであろうかなとも予想できるわけでございます。勝利することに重きを置いたものは、負けた時にどうその苛立ちを抑えてることができるかの仕組みが必要になるのであろうかなとも予想できるわけでございます。
運が悪かっただけで次は勝てるかも、というようなごまかしがその勝負ごとに自然に含まれている、やり口もあるのであろうかなと。自分は勝てなかったけれども、他の誰かは同じ条件で勝利することができたのであり、そして、その勝利は運の要素が含まれている、と、示すことができるならば、そして勝利に明確な、分かりやすい利益があるならば、これはまあ、結構な人々が熱中するのではなかろうかな、とは簡単に予想できるわけでございますが、基本これは賭博にはまる仕組みではあるかな、とか、まあ、不健全に見えるけれども、遊びは少なからずそうであるがゆえに面白い、とも言えるのであろうかな、などとぼんやり思考を発散させながらおしまいです。
「危機管理として神を信じてしまうやり口もありますね」
「確率計算を正しくすると、賭け事はあまりしたくなくなりますよ」
「神頼みをしてまで賭け事をするようになるのでは?”旦那様”
0よりはましであるくらいで止まれるかどうかでしょうかな”奥様”」




