1451_ジョー、エース、大アポロン。
小さい方もおられるのでしょうか?巨大な人型が暴れ回る娯楽作品は、現実性に欠けるとしても燃え上がるものがあるようでございまして、巨人は無条件に崇め奉るような仕組みが世の中にはできているのではなかろうかなとか、想像するわけでございます。人型に限らず大きなものに対しては畏敬の念を覚えるということかもしれませんが、そのようなことをぼんやりと想像しながら始まる今日のゴブリンでございます。
大きなことはいいことです。それだけの材料をどこから手に入れたのかは気になりますが、後で補充しておかなければなりませんね。今日も元気可愛いですな。
見上げるという行為そのものに、畏怖的な感情を想起させる仕組みがあるのではなかろうかなとか予想するわけでございまして、さらにはそれが動いているとなると、これはもう興奮するしかない、というような方も多いのではなかろうかなとか想像するわけでございますが、見慣れてないものであるからということ以外にも理由がありそうな気配を感じたりするわけでございます。
数の暴力と申しますか、単純に資源がどれほど潤沢に使われているのかという想像からくる驚愕と申しますか、ほめ称える根拠と申しますか、それを作り上げることができるという余裕やら技術力やらに感嘆することもあるのであろうかなとか、要は実力を見せ付けられて感心するというような流れでありましょうか。
資源の無駄ではなかろうかという意見は的外れであり、即ちそれは無駄を見せつけることが目的であるからして、むしろ無駄であると看破された方が効果が高い可能性があるわけでございます。もちろん必要なところに資源をつぎ込んでいないのではなかろうかという不安感やら、忌避感を煽る可能性は常にあるわけでございますので、その辺りの塩梅をどうするかが、為政者の腕の見せ所となる、のかもしれないと想像するわけでございます。
巨大な人型を建造する行為によって、その人型の視線で世の中を見渡すような連想をさせることができる可能性もあるわけでございまして、物理的な視野の高さを、心理的なそれに連動させることができるような、誘導をさせている、可能性もあるのではなかろうかなとか、想像するわけでございます。
具体的な何か大きな目線を見せつけることによって、思考を誘導するような役割が、巨人やら巨大建造物に持たせられている、可能性もあるのではなかろうかなとか想像するわけでございます、これは自然物ではよろしくなく、それは何故ならば見慣れてしまっているから、当然そこにあると意識してしまっているからであるわけで、刺激としては薄いわけでございます。
もちろん遠方から訪れて、巨大な自然物を観光する場合には、そのような畏敬の念を抱かせて、視点を変えるような連想をさせるような誘導を担う景色として働かせることは可能ではあるわけでございますが、それでも、それは、不自然ではなく、人の手ではない何かから感じられる感動にしかならないわけでございまして。
つまりは、人間の可能性を連想させるには、少し効果が薄くなるのではなかろうかなとか予想するわけでございます。もっとも、人知が及ばない何かに対する誠実さを育てようという意味合いでは、そちらの方が効果が高いことは間違いないのでは、と予想するわけでございますが。
進歩とか、躍進とか、その組織の将来性とか、まあそのようなものを連想させるにはやはり巨大な建造物が有用であり、さらにそれが人型であるならば、それの雛形となった人物の理念やら思想やらが想起されるようになり、ある程度の思考誘導が可能になる、場合もあるのではなかろうかな、また、それを無残に倒すことによる価値観の転換も期待できたりするのではなかろうかなとか、そのような連想をしたまま投げっぱなしでおしまいです。
「偶像崇拝は対象を否定させる時にも便利ですよね」
「巨大ロボットは人類のロマンではないでしょうかね」
「打ち壊すことが前提の宗教設備とか斬新ですな”旦那様”
おおよそ間違いではないところが凄い世界ですな”奥様”」




