1440_糖分多め、砂が甘い。
広大な大地が砂に覆われている情景は退廃、衰退の象徴と見ることができる場合もございますが、自然の織り成す芸術的な風景とみなすことで観光資源としている場合もあるようでございます。この辺り、転んでもただでは起きないというような商人の生き様を感じたりもするわけでございますが、人の力が及ばない現象に対する敬虔さを表しているとも言えるのかもしれないかなとかぼんやりと想像しながら始まる今日のゴブリンでございます。
砂場で遊ぶことは楽しそうではございます。昨今の状況ですので距離をとっているのも良い点です、その砂のお人形は見ていると心が不安になりますな。今日も元気可愛いです。
砂糖で作られた砂漠とかは存在しうるのであろうかなとか連想するわけでございますが、水分を含んでしまって、粘土っぽくなるのではないかなとか想像するわけでございますが、湿度が限りなく低い環境であるならば、それは可能なのではなかろうかなとか予想するわけでございます。塩の砂漠は結構連想としてしやすいところから、その対比がお菓子いのかもしれないとかぼんやりと冗談を思い浮かべてみるわけでございます。
甘いことは高級であるという連想とか、歴史的背景からの情景があるわけでございますので、砂漠のごとく広大な範囲、見渡す限り砂糖の大地というものに対して、幻想と言いますか、ありえないものであるという印象が強すぎるのではなかろうかなとか、予想するわけでございまして、足で踏むことに躊躇するような、あまり良くない印象を与えるものがあるのではなかろうかなとか予想するわけでございます。
食べ物で遊んではいけませんというようなまっとうな忠告が脳裏に過るわけでございまして、確かに、わざわざ砂糖を撒いて砂漠を作り出すと考えると、これはまあ単純に勿体無いという気持ちが湧き上がるわけでございまして、さらには、それを芸術であるとすると、不謹慎と言いますか、なんとも言い難い、冒涜的な印象を与える可能性がありそうでございます。
一方で、それを最後には食してしまうとすると、つまりは足蹴にせずに、鑑賞することしかしない砂糖の砂漠であるならば、受け入れやすいのではなかろうかとか予想するわけでございますが、広大さがその芸術の肝であるとするならば、有効に利用しようとすることに対して、難点が生じるわけでございまして、後での利用が難しいとかになるのであろうかなとか予想するわけでございます。
大量の何かを集めて、芸術であると宣言することは、それほど珍しいものではないわけでございますので、やりようはありそうな気がしますが、それで利益を求めようとすると、見世物として資源を得ようとすると、かなり効率が悪いと申しますか、黒字になるかというような、世俗的な問題が上がってくるのであろうかなとか予想するわけでございます。
何か外的要因を基として、突如として砂糖の砂漠が発生するという物語はその経緯を書き記していくことだけでも興味深いお話になる可能性があるのではなかろうかという発想があるわけでございます。世界が甘いものに覆われていく現象に立ち向かう、人類の闘争とかありそうであります。空気すら甘い世界でどう生き残るのでありましょうか、などという感じでございます。
こう、辛いものが好みとする人類の集団が、どうにかして、世界総甘味化現象に立ち向かうわけでございまして、栄養面では偏ってはいるものの満たされてしまうわけでございますので、貧困飢餓層とは純粋に対立する可能性はあるわけでございます。さらには経済方面からも、甘味を主に商品としていた団体が、野生の甘味狩りに走る展開もありそうでございます。
甘味で構築された生命体とかも出現するようになるわけでございまして、食べてしまいたいくらい愛していますが、言葉の通りの現象となったりするわけでございます。これはすでにどこかで創作物として存在していたような覚えがあったりするわけでありますが、それはそれとして、人が甘味化すると、どのような文化になるのであろうかなとか、連想を投げっぱなしにしておしまいです。
「塩の柱にするよりも砂糖の柱にした方が喜ばれるのでは?」
「辛味がないとお酒を飲むときに辛いですね」
「調味料詰め合わせに変化させられるとかは便利そうですな”旦那様”
どちらにせよ健康被害は出やすそうですな”奥様”」




