1438_ザザーン、ザブーン、ザップザップ。
ZAP!ZAP!ZAP! 次の貴方はうまくやるでしょう、とか、市民貴方は幸福でなければなりません、とか、まあ結構な有名台詞の存在する遊びがございまして、偏執狂であることを強いられると申しますか、そうした方が面白くなる構造は、結構新鮮なものであったような覚えがあるわけでございます。非理想郷、反理想郷というような世界観は好きな人にはかなり好きな部類ではなかろうかとか想像するわけでございます。現実とどちらがましなのかとか思考するようになったら疲れていると思いますのでお休みされることをお勧めします、ゴブリンです。
あなたはいつも幸せそうに見えます。泣いている時でさえ、生きていることを楽しんでいるように見えるわけでございます。はい、ごめんなさい、痛かったですね。今日も元気可愛いですな。
価値観はその個性やら人格やらによって違いがあるものでございますが故に、理想とする世界は等しくならないわけでございまして、何かにとっての理想は、他のものにとっては非理想であることはそれほど不思議なことではないわけでございます。ただ万人が求める、幸せにいつまでも暮らせる理想という概念がそもそも理想であるわけでございますので、現実的かどうかを判断することは、これはまあ、知己に富んでいるとは言えないのではなかろうかと。
それは概念であるわけでございまして、具体的に何かではないのであろうかなとか予想するわけでございます。もしくはそれ以外のものを知らないようにさせれば、それは万人に対して誠実な幸せな世界であると言えなくもないわけでございますが、外界から完全に閉ざされた空間やら時間軸であるならば、まあ不可能とは言えない状況となる、のかもしれない、とかぼんやり想像するわけでございます。
実験室的な、管理された環境でなければ、理想郷はありえない、そのような意見も正しいように聞こえてくるわけでございますが、そもそも複雑さを覗いていけば、大きな実験室のようなものを構築することができるのではなかろうかという予想は普通に立ちそうでございまして、そのうちに出来上がるのではなかろうかという仄かな期待が存在するのではないかなとか予想するわけでございます。
それは実際に、実現させることが目的ではなく、目標に向かって進むことに価値があるという論理も結構まかり通っているように観察されるわけでございます。決してたどり着けることが確かな目標に向かうことは時間やら資源の無駄ではないのではなかろうかという意見もまた正しいように聞こえるわけでございまして、この辺り、毎度のことならば環境がそれらの意見を左右させるのであろうかなとか、予想するわけでございます。
誰もが目指さなくなってしまうと、現実が停滞してしまい、改善が終了してしまうことになるのでこれはこれでよろしくないわけでございます。ただ、管理社会が進むことがそのまま理想から遠ざかることであるかと言われますと、どうなのであろうかなとか疑問が生じてしまうわけでございまして、この辺り、自ら律することができるようになるまで、引き続き仕組みとして管理してもらった方が、全体の幸福度は上がるのではなかろうかとか、そのような仮定も上げられるわけでございます。
自分の思うように生きていく上で他人に被害を与えない、それがそれでいいと認められるようになることが理想なのであろうかなとか、汝が欲したように生きて、それがどことも衝突しないそのような世界を構築するように動くことが求められるのであろうかなとか、想像するわけでございまして、ただだいたいにおいて、それは世界を変革させるよりは、自分の思考を研ぎ澄ませて、環境に適応する方が現実的な解答となるのではなかろうかなとも予想するわけでございます。
個人の認識を変革させることができるような構造を構築する方が、より現実に沿った理想のあり方なのであろうかなとか、それは洗脳とどう違うのかと尋ねられますと、まあ、いいかたであるのであろうな、とか、結構身も蓋もないことを言い捨てて、おしまいです。
「幸福でない人々を削除していけばそこは天国になる、のでしょうか?」
「すべてがすべて我を捨てると、それはそれで停滞しそうではありますね」
「誰もいなくなれば、まあある意味幸福かもしれませんな”旦那様”
良きにせよ悪しきにせよ、我を通すことで理想に近づいてきたこともあるわけですな”奥様”」




