1436_猪むしゃむしゃ。
野生のお肉は品種改良していないのであまり美味しくないのでは、素朴な疑問があったりするわけでございますが、野趣あふれる味覚となる可能性もあるわけでございまして、要は当たり外れが大きいのであろうかなとか、狩猟による肉類の確保、その安定性に欠ける仕事に対する回答が家畜化であったのであろうと想像するわけでございますが、そこから逆行する利益は何かあるのであろうかなとか、まあ、趣味でしょうかね、などと身も蓋もない意見から始まる今日のゴブリンでございます。
そこに肉があれば満足であり、過程には頓着しません、という態度も健全だとは思いますね、美味しいですか?それは良かったです。今日も元気可愛いですな。
娯楽のための狩猟は健全か不健全か?などという問いは、受け継がれてきた文化によるわけでありまして、あまり妥当なものだとは思えないわけでございますが、端から見ると異常に見えてるものであったとしても、それが綿々と受け継がれてきた歴史があるわけでございますので、一概に否定するべきではない、このような意見が共通認識になっているのであろうかなとか予想するわけでございます。
伝統的であり、その地区、地域、生活圏での基準であるならば、どこまで許されるのかという疑問は出てきそうでございます。その文化によって不利益を被っている存在があり、そこから救援の願いが他の文化圏に発せられた場合、介入することが許される、可能性も出てくるわけでございます。
または、その文化の影響が他の文化圏にまで著しいほどに出てしまうならば、これは、当事者周りの意見を聞くまでもなく、介入する案件になってしまうであろうかなとか予想できるわけでございます。これは何も物理的に悪影響が出てしまう、自然環境的にと言い換えてもよろしいかもしれませんが、だけの話ではないのであろうなと予想するわけでございます。
思想的と申しますか、何か行動する場合の根拠としてその文化が使用されることを厭う為政者が対応しなければならないと世論を動かす形もあるのではなかろうかなとか予想されるわけでございます。その文化を否定しなければ、それを根拠にこちらの支配とか、制御とか、その辺りに問題を発生させてしまう、もしくはそれがやりにくくなってしまう、そのような事例が存在するのであろうなとか、予想するわけでございます。
もしくは、その文化圏を支配下に置いている競争相手の力を削ぐために、異文化を否定するやり口もあるのではなかろうかなとか、予想するわけでございまして、この辺り、そもそも同情で動いているのではなく、損益を考えて行動しているのであろうなと、別に誠実さを求めているわけではないことに忌避感を覚える方を無視しているわけではないだろうなとは予想するわけでございまして。
要はそのような忌避感をそのまま否定せずに利用する、そのようなやり口が常道となっているのであろうかなとも予想するわけでございまして、これはまあ、それほど良い手ではないのではなかろうかなとか、想像するわけでございます。なんとなんれば、それは感情を根底に置いたやり口であり、長い時間制御するには向かない要因となることが想像できるからでございます。
何かを責めることにして快楽を得るような形の文化は、やはり禍根を残すのであろうかなとは容易に想像できるわけでございまして、そもそも好悪の感情に立って、欲求を満足させようとすると、そのまま、それそのものが返ってくるだけでございまして、この辺り先が読みにくいことになるのではなかろうかなとか、もしくは予想することを避けている可能性もありそうだなとかぼんやりと想像するわけでございます。
完全理性のみで文化を創出するとかちょと想像してみたりするわけでございますが、それはそれで結構魅力的な世界ではなかろかと、妄想しておしまいです。
「天国のようなものなのでありましょうかね?」
「フラットな世界になりそうな気はしますね」
「世界の評価をそもそも必要としない可能性もございますな”旦那様”
喜怒哀楽を必要としない世界とかでしょうか”奥様”」




