1408_予知よーち、世紀末、穂綿阿部氏。
いつか起こりそうな出来事を、抽象的に、何にでも当てはまるようにして述べておいて、それにこじつけられそうな何かが発生した瞬間に、それは予言されていた、と言い張る商売が古くからあるのではないかなとか、想像するわけでございます。おおよそ起こりうる出来事のすべてを語っていたならば、どれかは当たるでしょうな、と同じようなものかもしれませんが、商売の種にはなりそうだなあ、とか、ちょっと試してみようかなぁとか、欲を出しつつ始まる今日のゴブリンでございます。
はい、それは予想とか予言とかではなくて、いつかやるだろうなと確信していた行為ですね。あらかじめ、汚れても良いように配置しておきました、私、良い仕事してますね。今日も元気可愛いですな。
大きな災害がいずれ発生することはそれほど珍しい予想ではないわけでございまして、原因がどれかは結構議論が分かれる場合もありますし、結構、地学的にはっきりしている場合もあるわけでございますが、どちらにせよ、備えることは大切であるという言葉には、説得力を持たせることができるわけでございます。
それがいつ発生するかということを明言してしまうと、嘘になることが多いわけでございまして、あやふやに、記憶が定かではなくなるような先に、設定して、かもしれない、と予防線を引きつつ、飯の種にする、のではないかなと予想するわけでございます。ここではっきりと日時まで指定して、発言すると、ある意味良い商売になる、場合もあるのであろうかなとか、予想するわけでございます。
世紀末に人類が滅びるほどの災害が発生する、とかなんとか言う、予言のようなものは定期的に言われてきた文言でありまして、それにそった商売もまた、多くやられてきたのであろうかなとか想像できるわけでございます。しかし、思ったような災害や、襲来はなかったわけでありまして、その結果、その手の儲け話は下火になったのではなかろうかなとか予想するわけでございます。
もしくは現実に発生した災害に押されてしまって、不安を煽るような商売はむしろやり辛いことになったのであろうかなとか予想すわけでございます。すぐに結果を求めるようなそのような顧客の前に、明確でない形のない不安を軽減するような商品は、これはあまり売れないのではないかなとか予想されるからでございます。
目の前にある危機にすぐに対応できるような何かを提供してくれるのであるならば、良い商売になるわけでございますが、遠くから来る何かに備える、もしくはそれを避けるようにできる何かを、どうにかすることができますよ、と、言われましても、いや、今それどころじゃないのですが、と怪訝な表情で門前払を食らうことになること請け合いではなかろうかと、ぼんやり想像するわけでございます。
ある程度平和な日常がなければ、不安商売は成り立たないわけでございまして、この辺り、ある意味世相の平穏さを示す指標になっている可能性もあるのではなかろうかなとか、予想するわけであります。まあ、あこぎなそれが、利益を得ているというのは少し、不義理か、不誠実ではなかろうかなという感想も、もちろんあるわけでございますが。
理想的であるのは、現実に危機に対応できる商品が、事前に広まっており、実際のそれが発生した場合に十分役に立ち、さらに、同じようなことがまた発生した場合に備えて、購買されるという流れであろうかなとは、想像できるわけでございます。気持ちが安らかになるだけのお守りめいた何か、が、全く必要ないとは言わないわけでございますが、それに中力していたために、本来の対策が遅れてしまうとなると、笑えないのであろうなぁと、そのように思うわけでございます。
まあ、何が必要で、何が必要でないかの見極めは、これはまあ難しいのであろうかなとも予想できますので、余裕のあるときにいろいろ試してみては?などと適当に薦めてみて、今日はおしまいです。
「圧倒的な未来に終末が来ると宣言しておいてごまかすやり口もありますね」
「まずは食料と水の備蓄ですね」
「数え始めを明確にしていなければ後でつじつまも合わせやすいですな”旦那様”
飢えると何もできなくなりますからな”奥様”」




