140_先立つものがない不幸をお許しください
そのままストレートにお金のお話です、お金というよりは生命を維持するためのコストということのお話になるような気がいたしますが、とりあえずそのあたりをとっかかりにして話題を展開していく所存でございます。
衣食住が満ちているためのコストくらいに考えるといいかもしれません。まずは、人が働ける時間をまず計算するとしましょう。ざっくりと20歳から働き始めるとして65歳まで働けるとします。45年であるとしますね、1日8時間、週五日労働で40時間、年間50週存在するとして、2,000時間の労働でしょうか。それに45年を掛け合わせると、90,000時間ほどでしょうか。もちろん長期休暇とか国民の祝日とかもあるので若干、かなり少なくなる可能性もありますし、逆に残業が発生して労働時間が伸びる可能性もありますね。ちなみにこれは、フルタイムで働くことを前提としています。
20歳までの間は扶養されていたとしてコストはかからないとします。65歳より後、ざっくりと100歳まで生き延びたとしての35年間は働いていた間の貯蓄などで賄う、ということにいたします。
ざっくりリソースの半分くらいは税金など公共のインフラなどを整えるコストとして国にとられるとしまして、確保される生活のためのリソースは45,000時間ですかね。働けなくなって、亡くなるまで過ごす時間を35年、つまりざっくり1年8,000時間として280,000時間の生存コストがかかるわけでして、それにリソースを稼いでいた時間の45年では、360,000時間くらいですかね。これを足し合わせた数字は、640,000時間というわけですね。その生活コストを稼ぐリソースとなる時間である45,000時間で割りますと、時間当たりの最低リソース稼が算出されるわけです。およそ14から15の範囲でしょうか。
つまり1時間の稼ぎで、15時間生存できるか、どうかがボーダーラインぽいってことになるようです。ものすごく細かいところとか、すっ飛ばしていますが、感覚的にはそれほど遠い計算ではないような気がいたします。
税金とかが高すぎるのではないかという反論もありそうですね。しかしよく考えてみると、税金の使い道は基本的に生活にかかるコストの軽減につながるわけでして、そこの過多は感情的な不公平感くらいしか意味を持たない、のではないでしょうか、とかいう意見もあるわけです。
もっとも、効果的に税金などを使用しているという前提のもとでのお話ではあるわけですが、理想に近づいた政策やら行政やらならば、支払ったコストに見合うリターンが、見込めるわけでありまして、トータルではそれほど問題はないはずなのでしょうね。理想の行政であるかどうかは別の問題ではあるでしょう、という強いご意見もございますでしょうが。
また、子育てのコストとかはこの計算、入っていません。扶養家族が増えれば、生存用のコストは倍とか3倍とかになるわけでありまして。扶養家族が一人増えると倍になるということはですね、1時間働くだけで30時間生存できるリソースを稼がなければならなくなるわけであります。
簡単に言うと、1時間で1日分生き残れるリソースを稼ぐようにならなければ、生活が破綻するという、なんとも乱暴な結論に陥るわけでありまして。確かにこのような状況であるのであれば、共働きは増え、子供も作られないようになるわけでありますな、と、妙に納得するわけではあります。
頭の良い読者さまのことですから、この論調を丸呑みすることはないとは思いますが、ちょっと未来に向けて生活設計をしてみるきっかけの、引っかかりになるならば。
別に幸いでもなんでもないかもしれません、今目の前にある冷たい現実の前では、それほどの未来のことを考える余地がないという方も多い気がいたしますし、相手を選ぶ忠告というのは、時として毒にしかならにこともあるかもしれませんね、と嘯く黒衣の神父をさらりと登場させて、今日のお話はお終いにいたします。
「愛してくれるなら彼は働かなくてもよろしいのですよ」
「それはダメな男性に引っかかる女性の心理のような気がいたしますよ”ご主人様”」




