138_少数派が最適解を出すとき。
政治の世界でも、科学の世界でも、数の少ない勢力から最適解が出た場合、色々と面倒臭いことになる可能性があるのではないかなと想像できます。言っていることは正しいと思うのだけれども、その基盤が貧弱であるので今ひとつ信用できないのであります、という立場に立つ方は結構多いような気がいたします。
そもそもは、流動的に勢力を変えるような柔軟に動ける人材やらが、多い方が社会の進歩という面では有益ではなかろうか、と仮定してみたりします。新しい事実のもとその方向へ素早くシフトしていく集団が効率的であり、よりより状況に素早く変えることができそうな、そのような推移を予想するのです。
この場合の問題点としては、コロコロとむき先が変わると、長いスパンでやってみなければならない試みやら、事業やらが中途半端に終わってしまうということでしょう。政権でいうならば、安定感に欠けるわけで、科学技術となれば用意した実験とか実利のコストが無駄になるということですが、必ず失敗すると解っている政策やら実験を、損きり状態で次の事態へと移行できると考えると、それはそれで素晴らしい効力であろうと、予想できるわけであります。
積み重ねてきた準備やら、計画やら、それにかけてきた時間やお金やらのコストが、無駄になることを恐れて、正確には無駄になった時の責任を取るという行為を厭うて、最後までそれを推し進めてしまうという事案は、結構観察されるようです。どうしてこうなった、と問われるならば、ことなかれ主義の空気を読む体質でこうなりました、と綺麗に切り替えさせられるような事案で、あろうかな、と推論できます。
空気を読むということは多数派におもねるということが多いように思えるので、ますます少数派の意見は聞き入れられなくなりそうです、であるなら、まず少数派の存在感を増すために、強く激しいパフォーマンスをするべきであると、考えて、迷走した結果という事例も、多数観測されるような気がします。
私は学会に復讐するのです!と高らかにテロリストめいた強硬的な姿勢を世に示しても、すでにそれは2番煎じでありもうそれはやられたことがありますと、乾いた笑いとともに、時代遅れのレッテルとそれをテーマにした漫画などの画像が巷に再配布されることになるわけでありまして。それでもそうせざるをえない方がいるというのが、面白いのかもしれませんが、実際に学会に復讐するマッドなサイエンティストさんとかおられるのでしょうか。理知的というか、暴力を否定するような方々が多いイメージがあるので、少なくとも高名な学会に巨大戦車とかで乗り付けて蹂躙するとか、自動機械の凶戦士で授賞式を占拠するとか、しそうな、リアリティは皆無でありましょうね。
逆に思想に関しては普通にテロリズムが横行しているわけでありますから、社会やら政治に足りないのは、科学的な思考かもしれませんし、科学者の非武装というか、物理的な暴力への忌避感が、人には足りていないのではないかとか、ぼんやりと想像したりもします。
科学者に足りていないのは倫理観でありその無視した倫理の対象があまり社会的な問題になりにくいのは、こっそりと目立たないようにしているからであって、被害の過多でいうと、政治的、貧困的な原因から発生するテロとあまり変わらないのではないか、とか、も予想するわけです。
虚構な、物語であるなら、物語のきっかけとか混乱を呼び込んだ最初の一石は、社会とかに不満を覚える革命家とかテロリストとか、自分の好奇心を満たすことしか考えていない、狂的科学者とかの頻度は高そうでありますね。少数派は敵にしやすいという構図もあるようにも思えます。
体制側が最後の敵というお話も結構多いわけですけれども、安易にこれを肯定してしまうと、テロリズムを賛美しかねないという、罠が待ち受けるわけですが、別にそれはそれでいいのかもしれない、物語なんですから、と開き直る方もいそうであります。
「相手の心の隙をつくのが恋愛なのですよ」
「恋愛テロとかありそうですね”ご主人様”」




