135_殿ご決断を保留する。
時間が解決することもあると、問題を先送りにして行って、進退きわまった状況に陥る人は結構観察されるように思うのと同時に、時間が解決してしまった事案は、目立たないので少なくなくとも印象に残らないのであろうなと予想しています。
悪いことは、印象に残りやすいので悪いことばかり起こっているような気になって落ち込むようになるのと、逆に良いことも同じように印象に残るので、これは絶好調だなと調子にのるのと、どちらがたちが悪いのでしょうかという問いには、どちらも度が過ぎれば十分に問題になると、答える人が多いと予想します。
うがった見方をするならば、印象とか感覚だけで、行ける行けないを判断している時にこそ客観的なデータを見返してみるのがよろしいのでしょう、というアドバイスが有用ということでしょう。
決断をしない決断とは、何かに対応するまでの時間を稼いだということですから、余裕ができた時間で何らかの対応策を作成したり、他の手を模索するように行動するべきであり、漫然と猶予期間をお気楽に過ごしていくのは良くないことである、と、いう方もいますが、そもそも本人には如何ともしがたい案件であって、これはもう外部から強制的に事態の進展が促されるまでは、考えるのをやめたほうがストレスがたまらなくて良い、というような場合も、ありそうだなと予想するわけです。
この、自分ではどうしようもない事態というものが、実は怠けているだけでそうでもないのでは、と周囲から見られると逆にストレスがたまる立場に追い込まられることもあるわけです、こと、精神に関わる案件で、どうにも進めないようになっている時とかは、周りから見ると、問題が可視化されていないので、訝しく思われて、怠惰のレッテルを貼られてしまうわけでありますね。これは、追い込まれてしまい、自暴自棄になってしまうような展開もあり得るので、対処は慎重にしていかなければならないわけです。
この辺りの機微ですが、なかなかうまく乗り切れたり付き合うことのできる人が少ないように、観察されますが、あなた方の周りの方々はどんなものでしょうか、少し観察してみるといいかもしれません。
そもそも怠けてしまうという精神状態は、それだけで精神疾患と捉えてもらってもいいような気はいたしますね。どのような感情でも、周囲に迷惑をかけるとか、日常生活が困難になってしまうという状況に陥るならば、それは精神的な病と断じて問題はない、と予想します。
病であるならば、それは治療しなければならないでしょう。と言い切る人も多い気がいたしますが、肉体的な病でも完治は難しくて、どうにかしてそれに付き合って生きて行くという選択肢もまあ、普通にあるわけでありますから、このような精神的な疾患も、正確に認識して、どうにかこうにか付き合っていく生き方も、ありだと、そのように反論する方も同じくらいいるように思います。
と言いますか、実際にそのように色々ありながら、心の中で折り合いをつけて生きているというのは珍しいことではなくて、普通にやっていることなのでしょうね。その辺り、自分だけが特別で、誰も自分のことはわかってくれないんだ、とか思い込む必要はなく、普通にそう思っている方はたくさんいるので、特異性で悩む必要はありませんよ、と早めに知らせておいた方が傷は浅いのかもしれません。
逆に、自分の気持ちを正確に伝えたいという、希望もありますが、これはかなり不可能に近い行為だということもまた早めに知っておいた方がよろしいかと思います。その時の自分の情動を相手に伝えたくて、四苦八苦して技術を磨いてきた文学者やら劇作家やら絵かきさんやらの、膨大な歴史の先に今がありますが、それを成し遂げた人はまだいないように思うのですから、それほどの技術もない普通の人が、相手に自分の気持ちを全て伝えることはまずできないと、いう前提で、人と関わっていった方が、双方幸せですよと、語りかけて、今日はおしまいです。
「愛しているという事実がうまく伝わりません」
「そもそも根本的な問題があります”ご主人様”」




