123_なぞなぞを放り投げる。
問題だけを出題して答えを回答しない問いうテクニックがあるみたいです。重複表現はわざとやってみましたがそれほど気にならないことに少し驚いている今日のゴブリンです。
ミステリとかでも解決されない謎とかをわざと残すことによって、問題のリアリティを増していくという手法があるように観察されます、現実世界と同じで全てのものにすっきりとした答えは用意されていないのですよとか、その辺りの解答は各々で考えてみてくださいという類ですね。
手抜きじゃないんでしょうかとかいう意見もありますが、要は面白ければ良いのですよ、と嘯く作家さんとかクリエイターさんとかもおられますが、狐につままれたような読後感というのは、確かに印象には残りますが、次回もまた見てみたいですか、読んでみたいですかとなると、どうなのでしょうか。趣味に合う方はまた次回も読むのでしょうと予想できますが、よく考えるまでもなくて、趣味に合いそうだから次回作とか続刊も読み進めるということは普通のことではあるので、特に不思議なことはないようです。
世の中には不思議なことは何もないのですよ。という言葉が頻出している小説とかもありました。作者さんが存命でありますので、詳しくは述べませんし、ジャンルがミステリであるので、話のネタについてはかなり慎重に扱う必要がありますので、とか考えていると、全く書くことがなくなってしまうという現象、あるあるですよね。それこそ、なになに(その作品の通称を入れます)はいいぞ。とつぶやくしかなくなるわけですが、このように宣伝というのは難しいものです。
とある方が言っていましたが、映画とかは宣伝が一番面白いそうで、それはまあ、一番の見所を集めて、センセーショナルに盛り上がるところを抜粋しているような作りにしていますので、これはもうどうしようもない構造上の問題でありまして、ここであえて、全く盛り上がらないシーンを編集して集めて広告にしてみようという、冒険をするような方々はいないのでしょうか。もしかしたら、いたかもしれませんが、クライアントさんからゴーは出なかったのでしょう、見たことがありませんし。
中には、映画では全く登場していないシーンを広告にしてしまう手法もありそうですね。とくにキャッチコピーとかこんなセリフ言っていたら格好いいだろうなとか盛り上がるだろうなとかいうセリフを2次創作してポスターに入れてみるとか、普通にありそうです。で映画でそんなこと言ってないじゃないですか、と盛大に突っ込まれるところまでが、安定の流れであるわけでしょう。
昨今はそれを逆手にとって、というセリフは本編では一言も発しておりません、とかこの映像は登場キャラクターの妄想ですとか、”※”付きで結構大きめの文字で追記してあったりするものもあったりして、なるほどこういう方向にコピーライトが進化していくのだな、とクスリと笑ったりもしたりします。具体的な事例は出てきませんが、そういう広告はあるように思います。
特徴的なセリフとかを広告に使用すると、盛大なネタバレになってしまうという問題もあるのでしょうと予想します。『犯人は意外なあの人!』とかでしょうか、もっともキャストとか見ると、この人が犯人であることはバレバレですねとか思われるパターンもありそうですが。
そこを気がつかないようにして新鮮な目で楽しむのが真のミステリファンであるのかもしれませんが、どのような対応が真のファンかというとこれはまた喧々諤々な議論が巻き起こるわけでありまして、この辺りは宗教問題と同じく、そっと外から眺めているだけで、安易に踏み込まない勇気が必要だと思います。
気がつかないようにして、自然に楽しむことができるのは、かなり幸せに思えるので、無知であるというか、素直に楽しむことができるなら、それはそのままの君でいてほしいという言葉を送るべきではないだろうか、とか思う人も多いのではないか、と予想いたします。
この場合、場数を踏んでしまうと擦れてしまって純粋に楽しめなくなるという現象が観測されることを前提としています。結構前のことを忘れていつも新鮮に楽しめる方もいるように見受けられますね、面白そうでとてもいいと思います。
「彼との会話はいつも新鮮です」
「彼の目は死んだ魚のようになっていませんか”ご主人様”」




