106_風景に入る。
物の配置やら、構図やら、歩いていたり、立ち止まっていたり、長い道をある程度の速さで進んでいたりしている時に、ああ、いいなぁ、と思うことがあります。上がり下がりが遠くまで見通せる山とか畑が見えるような、空間がある風景や、山の稜線に沈もうとする赤い三日月など、美しい、とはちょっと違いまして、趣がある、そんな、パーツの組み合わせを見つけると、なんだか嬉しくなります。
別に風景に限らず、人の所作とか、歩き方、この道を横切る人たちの動きとか、面白いですよねとか、客観的に見て楽しめたりします。ゴブリンは人ごみは苦手ではあるのですが、人を見るのはとても好きなのだろうなと、自分の嗜好を分析してみたりします。
なんらかの法則はあるのだろうけれども、それがぼんやりとしか感じられなくて、でも、その人物の服装やら連れ立って歩いている組み合わせやら、一人で歩いていても、見ている先や、体格の隠れ方やら、別に普通であるはずのものが、何らか混ざり合って、珍妙な変化を起こしていて、面白いと感じている、のではないかと思うのです。
目にした人物の背景を想像することもありますし、全く思い浮かばないでその、人のいる風景だけが楽しかったりもします。
私とは違う、時間を生きている人々が数多くいて、そして、どんな風に過ごしているのかなど、全く知ることがない。そんな人達が目の前で雑然と行動をしているわけです。これは普通のことではあるものの、なんとも不思議な気持ちになります。そこに私がいるわけです。なんとも愉快ではありませんか。
鳥瞰して見るように視線を修正してみたりもします。古いゲームの画面が頭に浮かんできます、別に話しかけてみようとは思はないけれども、何か楽しげに話したり、難しい顔で携帯電話へ語りかけたりしている人の、声はちょっと聞いてみたりします。
人のプライバシーが漏れてくるのは、秘密を覗いているようで少し楽しいですし、会話の断片から色々と人の性格やら、行動指針やらを推測するのも、パズルを解いているような楽しみがあります。
占いの一つに辻占というものがあるそうです。どこかで知ったその占いは、雑踏の中、聞こえてくる会話の単語を拾って、先のことを占ったりするそうです。実際にはしたことはありませんが、これはこれとして面白そうですので、いつか機会があれば実践してみたいような気もします。
それとは別に、漏れ聞こえる会話などで、最近の流行りとかを知ったりします。人の世の流行には疎いゴブリンさんですので、稀に外出するときに偶然耳にする単語とか耳新しくて、新鮮で、ちょっと楽しいです。
日常にせよ、非日常にせよ、屋外にせよ、屋内にせよ、観察したり、漫然と過ごしたり、意識したり、無意識であったり、状況や、心づもりは色々であるけれども、ふと気がつくと、そこにいる自分を意識することがあります。自分の位置情報を空から見て把握するような感覚です。上から見て自分の体を操っているような感覚と言ってもいいかもしれません。
昔漫画で、コマの中の自分を外の自分が作画していて、その外で作画している自分をさらに外の自分が作画して、といった感じで、次々に外へ外へ、もしくは内へ内へと、自分を描いている自分をつなげていく、入れ子状態にしている表現がありました。内容はほとんど思い出せません、ただ、幾度か同じような表現を別の漫画見たことがある記憶があります。
自分がその場所に空間にいることを、なんだが、気づかされると言うか、強烈に意識させられる瞬間は、同時に、その場所を見ている自分が遠くにいるという感覚が強くなる気がします。
そこにいるのに、同時に外にいる、そんな奇妙な感覚を覚える人は、結構いるのではないかな、と予想したところで、なんとなく、画面が引かれて、おしまいです。
「彼がいない風景は知りません」
「それは別の病気の可能性があります”ご主人様”」




