105_冒険は本来危険なもの。
若い時は冒険をしなければならない、としたり顔でアドバイスをするような、年配の方とかいるとのことなんですが、ゴブリンの周囲にではあまり見かけないなと、感じています。こう、映像の向こう側で、後輩とか、若者たちにアドバイスをとか求められた時に、行動することが大事なのですよとか、勇気を持ってとか、枕詞をつけて冒険をすると良いような、趣旨の発言をする方が、テンプレートとして存在したのではないかなとか想像するのですが、さて、このように言い出され始めたのは、誰の発言からだったのでしょう。
親というものは、子供がかわいいものですから、あまりこう危険なことはせずに、安定した安全な暮らしをおくってほしいと思う、方が結構多いと予想します。
しかし、中には自分の子供を憎んでいるとか、疎ましく思っているとかそのような親もいるかもしれませんし、さらには、全く自分の子供に興味を持っていないような人も一定数いるように思います。
なので、そのような子供に対してネガティブな感情を持っているような方々が、安易に冒険しなさいとかいうのかもしれないですね。
逆に冒険することが、子供の成長に良い効果を与えると思っている方も一定数、百人に一人くらいいる、可能性があるかもしれません。
冒険することのリスクはあまり、クローズアップはされていない気がします。困難にたちむかうということは、場合によっては命に関わることであるという点が、鈍感になっているような、雰囲気が周囲にあります。
ただ、外出して例えば通学するだけでも、命の危機はあるわけです。車や他の交通機関の事故は人を選びませんし、通り魔とか辻斬りとかこれは逆に弱者を狙いものにしたりするわけですから、さらに危険があります。
人間関係から追い込まれて、フラフラと魔が差して、朝の通勤時間帯で列車を遅延させてしまうこともあったりするわけです。
日常的な生活環境にも生命の危機が潜んでいる上で、さらに、冒険をするべきであるとは、ちょっと言い難いような思いがあるのですがどうなのでしょう。別に尋ねているわけではなくて、やはり安易に冒険をしなさいとかいうべきではないと思う、という意見なわけです。
生きているだけで、十分スペクタルで、綱渡りな冒険をしているのです、とも言えるので、余計なリスクを取る必要はないのではないでしょう、と言い換えてもいいです。
おっかなびっくり、慎重にそろりそろりと歩いているくらいで、実は若いうちはちょうどいいのかもしれません。ただ、そばで見ている分には、こう、つまらないのでしょう。用意万端で、起こりうる危機やら、苦難やら、ほとんどすべて見通して、さらにはそれが起こらないように、先手先手で不具合やら、ボトルネックになるところを潰しておいて、決して事件にならないように、行動する、正義の味方とか、地味すぎて、物語としての華もなく、大衆受けをしないわけですね。
そのような、見ても面白くない人しかいないと、観客として楽しくないから、ある程度余裕のある人々の中から、若者は冒険をするべきだ、とかいうセリフが出てくるのかもしれません。予想ですが。
全体を見ると、冒険をして失敗をする人々の中で、まれに成功する人がいるので、社会の技術やら、制度やらが良い方向へ、向かっているように見えます。なので、実はできるだけ冒険をする人が多い方が、文明の進歩という点から見ると、良いようには思えます。
問題は、一度失敗すると、それが致命傷になりかねないということを、若者が知ってしまったから、冒険するための準備が失敗しないようにするためには膨大なコストを要求するようになってしまったから、おっかなびっくり及び腰となってしまって、こう、端から見るともどかしい、雰囲気になってしまっているのだろうなと、ぼんやりと思うのです。
「お持ち帰りを実行するべきでしょうか?」
「冒険はおやめになった方が賢明ですよ?”ご主人様”」




