終りの始まり
海原から立ち上る水蒸気はやがて雲となり、雨となって大地に注ぐ。
そして、大河から再び海に戻る。
あなたが吐き出した吐息も、草花が吸収し酸素を作る。
生物は産まれ、やがては土に還り、また次の生命へと受け継がれる。
この世のすべては巡り巡っている。
過去から続く悠久な時の流れに、砂粒のように翻弄される人々の想い。
その想いもまた、輪廻の渦となって巡り、巡ってゆく。
時して叶わぬ想い。残酷なる今生の別れ。
繰り返される悲しみも、消えることのない胸の痛みも・・・
いつの日にか成就することを信じ、人の命も巡り巡る。
そう、人は夢を見る───
何かの記憶なのか? 夢は経験の上に成り立つそうだ。
ということは、これは経験した過去?
── 視線だ。
そうなんだ誰かが見ている。
白い獣? いや、違う。
最初に見えたのは、鳶色の瞳だった。
炎のようで土のようで、どこか懐かしい色。
まあ、どうでもいい。
俺はどうやら灼熱の砂漠にいるようだ。
まるで灼熱色の海原のように、砂の山々がうねり、果てしなく続いている。
吐いた吐息も焼けつくほどに、俺の身体も熱っていた。
砂の匂いと、どこか懐かしい風の気配が混ざり合う。
ここは近くにオアシスもあり、かなり厳しくはあるが食糧もあり生きていける。
── 生きていける?
なぜそう思うんだろう?
俺は誰なんだ?
ここは何処なんだ?
何もわからないと同時に、全てを知っているという相反する意識がある。
まるで、何度もここに立ったことがあるような──そんな錯覚。
遠くで悲鳴が聞こえた?
何か唸る声がする?
そして静かにまとわりつく視線。
鳶色の矢が俺の胸に突き立った、そんな錯覚。
だが、なぜかその感覚は懐かしく、刹那くて、悲しかった。
一体なんだというのだ?
朦朧とした意識を振り払うように頭を振った。
──そうだった。今日は漁に来ていたのだ。
河の名前という概念は無いが、「漁をするところ」と皆が認識している。
使っている言葉? よくわからない。
ただ、夢の中の俺にはちゃんと理解できる。ちょっと不思議な夢。
今日は大漁だった。
名前は当然わからんが、いつも食ってるやつらしい。
エラから蔓を通し、担いで帰る。重い。
もうすぐ我が家だった。
大河の近くで、部族の皆で苦労して積んだ大石が見えてきた。
── もう少しだ。
その時、大岩のてっぺんに何かがある。
白いなにか。
ようやくそれがはっきりと見える距離になった。
馬ほどもありそうな、精悍な白い犬だ。いや、狼だと思う。
── ウォーウォーン。
何かを告げるように吠えた。俺には泣いているようにも聞こえる。
そして、疾風のように走り去ってしまった。
なんだったのだろう?
胸の奥がざわつく。理由はわからないが、嫌な予感だけが残った。
自然と足が速くなる。
アイツが家の前で立っていた。笑っている。
いつもの笑顔に、先程の不安も忘れ安心が蘇る。
大切な妻だとわかっているが、当然名前もよくわからない。
まあ、一緒にいて生活を分担する、それでいいんだ。
俺は手を振った。
その時、アイツの血しぶきが飛んだ。
俺の愛した笑顔を張り付けたまま。
槍が首に刺さっている。
俺は魚を放り出して走った。
待ってくれ、今すぐに繋ぐから。
すべてを拾うんだ。流れ落ちる血も魂も含めて。
だから待ってくれ、行かないでくれ。
打ち震え、跪き、声にならない声が漏れた。
この世にこれ以上の悲痛な叫びはあるだろうか?
聞く者を不安にさせる。
恐れおののかせる。
悲しみが奔流となりあふれ出る。
妻の槍を投げ捨てると、行かないでくれと揺さぶった。
なぜ起きないんだと、また強く揺さぶる。
だが、鳶色の瞳は蒸発するように、薄れていくように見えた。
そして───
俺は光に放り込まれた。今まで感じたこともない眩しい光。
そう、人工的な光って表現が近いのかもしれない。
言うなれば真っ白な闇。
俺は気が遠くなっていくのを感じる。
ゆらゆら揺れている。
落ちてゆく──
気が付いたら、今度は火がチラチラと燃えている。
何だろう。さっきの砂漠よりは、かなり寒い。
そして、もっと原始的な感じがする。
うは、俺・・・体中に毛が生えまくり。
そして、洞窟の火の反対には女が座っている。
すごく悲しんでいる。
そうだよな、そうなんだよ。すごく悲しいんだよ。
俺も色んなものが同期した感じがする。
女は毛むくじゃらで文字通り猿の子供? みたいのを抱いていた。
その子供は眠っているわけではない。
呼吸の動きもしないし、もちろん泣きもしない。
俺は女に何か慰めをしたようだ。
だが、女は悲しみの宿った目を俺に向けるだけだ。
そう、子供は俺たちの子供だった。
理由はわからないが、息絶えている。
この洞窟は崖の中腹にある、小高い場所で眺めが気に入っていた。
だが、それが裏目に出たのかもしれない。
女は立ち上がると、洞窟の入り口からダイブした。
子供もろとも。
咄嗟のことで、俺は動けなかった。
そして、ようやく理解した。
俺も急いで走り出す。何かを叫ぶ──
多分女の名前らしきもの、なんだろう。
そして、洞窟からダイブしたのか?
よくわからない。
また気が遠くなってきた。
白い闇がまた俺を満たしていく。
ユラユラ、ユラユラ。
ひどく心地が良い。
適温の温泉にでも入っている感じがする。
突然、現実に引き戻される。
といっても、現実とは夢の中の現実なのだが。
今度は極寒だ。
脱脂していない獣の皮を何枚か着ていた。
俺は大きくはあるが、粗末な船を一生懸命漕いでいる。
そう、早くしなければならないのだ。
この先には、「風の仕事場」と呼ばれる強風地帯があり、このほんのわずかな時間だけ風が止むのだった。
俺の後ろには、ナヤがいた。
多分女の名前なんだろう。
急げ、ここを抜けないと、この冬は向こうへ渡れないぞ。
俺はナヤに言った。ナヤもコクリと頷く。
俺の後ろには、同じような船がちらほら見える。
みんな俺の部族だ。
狩りが上手い者、家を作るのが上手い者、絵を描くのが上手い者、みな何か得意なことがあり、それぞれ分担して生きている。
そして、この先にあると言われている、新天地へ行くのだ。
ヒュッと、前髪を嬲る風。
俺はとてつもなく嫌な予感がしている。
間に合わなかったのか。
風が仕事を始める、古老はそう言っていた。
風が仕事を始めたら、もう止まらないよ。
その時はすぐに戻るんだよ、と。
古老に聞いたことがある、風の仕事場の先には凄く暖かく、豊かな土地が広がっているのだという。
俺たちは、そこに向かう計画を立て、そして実行したのだ。
先に見える波に、白波が混じり出している。
だが、おそらくここは風の仕事場のど真ん中付近と思う。
感覚でしかないが。
もう戻れないし、行くしかないのだ。
俺は叫ぶ、みんな新天地に行くんだ。
という意味のよくわからない言葉で。
後ろに続く船からも、思い思いの雄叫びが上がる。
みな覚悟を決めたようだった。
しばらく進むと、風と波が恐ろしいくらい襲い掛かる。
酷くせり上がったかと思うと、急転直下に落下。
そして突き刺すような突風。
それでも、俺は漕いだ。
諦めない。
そして、一際どでかい波が迫っている。
手を伸ばした。
一瞬、ナヤに触れた気がした。
──目が覚めた。
超特大の波が来たところまでは覚えているが、その後全く記憶がない。
しかし、何だろうか。すごく全身が疲労して重く動かないが、ひどく心地がいい。
いつの間にか獣の皮はなくなり、裸で倒れこんでいるのにだ。
ぽかぽかと温かい。
波の音が聞こえ、足に波が当たる感覚がある。
砂浜に倒れているようだった。
──新天地なのか?
俺は体を起こそうとした。
(動くなよ、じっとしてろ。治してやる)
確かにそう聞こえた。
かろうじて動く眼球で、辺りを見回すが何も見えない。
そうナヤも、他の部族の者も・・・
誰なんだ、俺は声にならない声を上げた。
だが、先ほどの声は聞こえない。
そして、光の闇に放り込まれた。




