26・アートルムの過去
今回はまたユーリア視点です。
(ああ……いよいよ、明日なのね)
長い間準備に勤しんできたが、明日はとうとう、私とアートルムの結婚式だ。
なんだか感慨深くて、自室の窓から星空を眺める。
(今日まで……本当に、いろいろなことがあったな)
聖女としての証を持ちながら人前で力を使うことは許されず、嘘つきとして罵られてきた日々。ヴォイドからの婚約破棄。アートルムとの出会い。建国記念祭での、魔獣の浄化……。私の人生は、なかなかに波乱万丈だ。
(だけど、この先は……アートルムと、幸せになる)
ほうっと息を吐きながら、建国記念祭の舞踏会でのことを思い出す。
(あの日も、魔獣の浄化に、アートルムとのダンスに、いろいろなことがあったな)
あの日以来、魔獣を浄化したのは聖女様ではないか、という噂が王都で流れるようになったそうだ。皆、「聖女様」に感謝し、敬意を示しているのだとか。
(……私が聖女なのだと言ってしまいたい、と思ったことは、今まで何度もあったけど)
もし本当に、私が聖女だと国の人々に知られることになったら。私の力を悪用しようとする者は、必ずいるだろう。
今の国王は善人ではあるが、王家や貴族達の中に「我が国には聖女がいるのだから、他国に大きな戦を仕掛けても問題ない。どれだけ負傷者が出ようが国に被害が出ようが、聖女がなんとかしてくれる」と考える人は必ずいるはずだ。
強い力は人々を依存させ、堕落させる。「聖女であると公言してはならない」という制約は、理不尽に感じるが、もっともだと思う部分もある。
(まあ、だったら聖女の証なんて浮かべないでよ、と思う気持ちはあるけれど……)
いずれにせよ、私はこれからも、聖女であることを明かさず生きてゆく。
感謝されることはなくとも、代わりに平穏を得られるのだ。それでいい、と今なら思える。
ぼんやりとそんなことを考えていたら、部屋の扉がノックされた。「どうぞ」と返すと、アートルムが入ってくる。
「ユーリア」
「アートルム。どうしたのですか?」
「用はないのだがな。君の可愛い顔が見たくなったんだ」
「も、もう……アートルムったら」
「だって明日……やっと『婚約者』から『夫婦』になれるんだ。そう思ったら、感慨深いだろう?」
「ええ……とても」
微笑みを交わし合い、寄り添う。こうした何気ない時間が、とても幸せだ。
胸が温もりで満たされるような幸福に浸っていると……窓の外から、バササッと羽ばたきの音が聞こえてきた。
(! この音は、もしかして……)
窓を開けて、外の様子を窺い見る。
「どうした、ユーリア?」
「いえ……今の羽音は、鳥ですね。お友達が会いに来てくれたのかと、勘違いしてしまって」
「友達?」
「はい。私、小さなドラゴンのお友達がいるんです」
小さなドラゴンというか、「大きなドラゴンにもなれる、普段は小さなドラゴンさん」と言うのが正解なのだろうけど。
それを言ってしまうと、舞踏会の夜に魔獣を浄化した聖女だとバレてしまうかもしれないので、隠しておこう。
「とっても可愛いくて、素敵なドラゴンさんなんですよ。いつか、アートルムにも紹介したいです」
「そ、そうか……」
気のせいか、アートルムは妙にそわそわしている気がする。どうしたのだろう?
「……それにしても。いくら小さいとはいえ、ドラゴンを怖がらないなんて、君はすごいな」
「初めて見たとき、そのドラゴンさんは、人間に攻撃されたみたいで、ひどく傷ついていたんです。血を流して辛そうな姿を見たら、放っておくことなんてできなくて……」
そのときのことを思い出しながら話すと、アートルムは優しく目を細めてくれた。
「……ああ。困っている相手なら、人でもドラゴンでも救う君は、本当に優しい。……人に傷つけられ、死の淵を彷徨っていたそのドラゴンにとって……心配して手を差し伸べてくれた君は、女神のように見えただろうな」
アートルムは、ドラゴンさんの気持ちを代弁してくれるように語る。
「そのドラゴンは、心から君に感謝し……君を好きでいると思うよ」
「ふふ。そうだったら嬉しいですけど。あのドラゴンさんが元気でいてくれるだけでも、私は嬉しいです」
微笑んで答えると、夜空のような黒い瞳が、じっと私を見つめる。
「……なあ、ユーリア」
「はい?」
「明日、結婚式なのだと思うと、感慨深くてな。……少しだけ、俺の話を聞いてくれるか」
「はい。アートルムの話だったら、いくらでも聞きたいです」
「ありがとう」
彼はふっと笑みを浮かべた後――真剣な顔になって、語り始めた。
「君も薄々気付いていると思うが、俺には両親がいない」
――確かに。このオブシディア邸には、アートルムの他には使用人さんが何人かいるだけで、彼の両親のことは、今まで会話にすら出てきたことがない。
不思議には思っていたけれど、触れてはいけないようなことである気がして、聞けなかったのだ。
「俺の母は、オブシディアの一人娘だった。男子の兄弟は生まれず、婿を迎えることによって、母の結婚相手……俺の父が辺境伯となった。そうして生まれたのが俺だ。
母と父の出会いは、父が母に「ひと目で恋に落ちた」と言い寄ったのが始まりだったらしい。母は、父のことを本気で愛していた。……だが、父は違った」
アートルムはぽつぽつと、過去を語る。
その表情にいつもの優しい笑みはなく、むしろ翳っていて……この話の行きつく先は、幸せな結末ではないのだと予測できる。
「父は、男爵家の次男でな。自分の家を継げることはないため、辺境伯の地位目当てに母に近付いたんだ。そうして爵位だけ手に入れながら……俺が生まれた後は掌を返したように態度を変え、領地経営は全て母に押し付け、遊び呆けた。
それでも母は、過去の優しかった父の面影に縋り……いつかは父も優しい夫に戻ってくれるはずだと我慢を重ねて生きてきた。俺も母を支えるために勉学に励み、幼いながら、できるかぎりのことはしてきた。懸命に努力を重ねて生きていれば、いつかは家族で幸福になれると希望を抱いて。
だが……その希望は、呆気なく打ち砕かれることとなった」
アートルムの口から、私の知らなかった過去の彼のことが語られてゆく――