5.帰宅
専用劇場から徒歩で40分ほどの場所に、フランが借りて住んでいる建物があった。何十人か住んでいる建物の角部屋の1部屋が借りている部屋だ。本来であれば40分しかかからない所を、フランは今日の衝撃から歩くのに1時間以上かかってしまった。ようやく辿り着いた自分の部屋には、一人暮らしなのに煌々と明かりがついていた。しかし、これはフランにとって当たり前の光景で、思わずため息が漏れる。
階段をあがり、2階の角部屋へとフランはとぼとぼと進み、扉を開けた。部屋は広々として、一人暮らしでは持て余しそうな大きめの部屋だった。
「また来てるの、リチャード」
「お帰りなさいませ、お嬢様」
玄関の扉が開いた音に気づいた初老の男性が、フランに向かって深々とお辞儀をした。
「ただいま。もう来なくていいのよ」
フランの口調は、いつの間にか昔の少女のころの口調に戻ってしまう。
「いえ。お嬢様はすぐお部屋を散らかしますし、現状の確認に来ております」
「どうせ、またお父様からの命令なのでしょう?」
「その通りです。どうせ、不摂生しているからと」
リビングに置かれていた机に、栄養を考えられた豪華な夕食が、用意されていた。大好きなナポリタンスパゲッティがメインととして用意されていて、フランは思わず息を呑む。
誰も食欲には勝てない。
「こ、今回だけです」
「はい、承知しております」
リチャードはおもむろに食事が置いてある前の椅子を腰掛けれるくらいまで引く。
フランは、ジャケットを無造作に椅子の背もたれに置いたが、それをすぐさまリチャードは回収した。
フランは椅子に落ち着いたあと、ほくほくした表情で食べ始めた。フランが帰宅する時間を察知して、作られているのだろう。ナポリタンスパゲッティは丁度いい温かさになっていた。
「妹は元気にしている?」
「はい、フラン様が結婚して帰ってくるのを待ってますよ。私は、勉強は苦手といいながら、一生懸命勉強しています」
「それは良かった。このまま頑張ってもらいたいわ」
結婚にこだわるのは、理由がある。
世界大戦が終わり、終戦を迎えた200年前。突如、世界中で人口の2割しか女性が生まれなくなった。ウォルージア国は人口減少と国家の衰退を危惧し、一妻多夫を採用。
そして、女性が生まれた家庭は一代貴族として迎え入れた。そして、子供がまた女の子が生まれた場合、貴族として引き続き継続することが出来るのだ。フランはもう24歳。結婚して子供がいてもおかしくない時期だ。彼女が結婚して、帰ってきてくれればまた環境が違ってくる。学校で勉強していても、隙があればお見合いや、恋愛を誘ってくる。
女性は子どもを産むためのモノなのか。
もちろん、結婚も出産も育児もかけがいのない時間であることは確かだ。それをフランは否定するつもりはない。
しかし、演出家になりたいと思いを抱いていたフランは徐々に疑問を抱き始めた。歌劇団という存在が、女性が役者たちを値踏みする為のものというのが分かっても、演出家になりたいという気持ちは揺るがなかった。そして、18歳の時、フランは家を飛び出した。身分を隠し、性別を隠し、フランは自分の実力で、歌劇団に入団したのだった。
だから、フランは今まで本格的な恋愛をしたことがない。恋愛をエンターテインメントとして楽しんでいたが、当事者になるとは予想していなかった。
幼心に歌劇団もその一環である。良い男性を見つけるきっかけの場所である。
夏の手前の少し肌寒い風が、部屋の中に吹き込んできた。




