3.本読み
今回の秋組の公演は『エリー』という過去何度も上演されている名作だ。この公演を上演する時のチケットの売れ行きは跳ね上がるらしい。
本公演が軌道に乗ってきた稽古開始から3日後。その本公演の小休憩時の夕方。本公演の稽古が終わった後の稽古場で、新人公演の配役や出番などが書かれている香盤表が発表された。新人公演に参加する役者が、香盤表に一喜一憂したのは間違いない。
その光景を見ていなかったが、すすり泣く声が稽古場の前の廊下からでも聞こえていた。フランは緊張の面持ちで、大人しくなったエリシャを引き連れて入っていった。
稽古場に入って、1番に目を引いたのは、うずくまっている娘役の姿だった。それを淡麗な顔をしている男役が、背中をさすっていた。男役は、今回の新人公演でトップ男役を務めるセナ・ウェールズだということにフランはすぐに気がつく。しかし、稽古を始めなければならない時間なので、フランは全体に合図をした。
「今から本読みをします。各自椅子を持って座ってください」
「「「はい」」」
テキパキとしたスピードで、役者たちは椅子を出して座りだす。
稽古場は、4面のうち1面が鏡張りだ。役者たちは鏡の前で演技する事になる。その鏡の前に1列に机が置かれていた。演出家などの裏方が座る席である。
フランはこの机の中央に座った。役者たち約50人はその前に椅子を置き、座っている。暗黙の了解で、前に座るのが新人公演主要キャラを演じる役者。その次が入団順となっていた。当然ながら、トップスターとなるエリシャは、フランの目の前の位置に座る。
エリシャは肩身が狭そうにしているが、本人はそれを隠そうと台本に目を通しているフリをしているようだった。
新人公演に参加する役者は本公演の練習終わりの為か、少し疲れている様子だった。裏方の長も新人公演の稽古初めという事で、一部集合している。皆からの注目が集まる中、フランは臆することなく立ち上がり、話し始める。
「今回新人公演を担当する事になったフラン・オークです。歌劇団に入団して3年ほどになりますが、初めて演出を任されることになりました。拙い部分や至らない部分があるかと思いますが、指摘して頂ければと思います。どうぞよろしくお願いします」
フランは役者たちに深々と一礼した。数秒経ってから、左右にいる裏方にも軽くお辞儀をする。
役者たちから拍手が巻き起こる。ベテラン新人の役者関係なく、フランを受け入れるように拍手をしてくれた。役者はきちんとこちらを見ている。信頼してもらえているようだ。フランは少し肩の荷が下りた。
「では、早速なのですが、本読みから始めていきたいと思います」
台本は新人公演用に本公演とは別に台本を用意されていた。ベテランのスタッフさんはそのまま本公演の台本でいくようだ。今日は新人公演の稽古初日だからか、稽古場の隅で、ライさんが自分を見守っていてくれていた。
『暗転、上手手前場付き。スポットライトがつく』
フランは淡泊な口調でト書きを読んだ。ト書きは本公演では演出補佐が読んで補完するのだが、今回は新人公演で、小道具や衣装などは本公演の役者が使用しているものをそのまま使用する。そのため、裏方は少なく、演出でいうと、演出家がフランのみだったため、ト書きもフランが読み進めていくという段取りになった。
『ここは……どこ?』
エリーという作品は、最初に狂言回しのマリアという役が登場する。この役は2番目に出番が多い、娘役二番手が務める。狂気的に見える役なのだが、声色が涙声だった。本読みをするギリギリまでトップ男役に宥められていたのがのが彼だ。彼の艶やかな長い茶色い髪が、顔を隠し、今の表情が見えない。
今回の新人公演で娘二番手を演じるのは、サンデー・フッドという入団7年目の役者だ。歌唱力に定評がある役者の一人である。本来ならば、トップスターを任されてもいい実力者なのだが、今回はエリシャが選ばれてしまったため、この配役になったといっても過言ではない。本人的にも相当悔しかったのだろう。
歌劇団の新人公演は入団7年目まで役者しか参加出来ない。この新人公演で主役を出来ないとトップスターに配役される事は無くなるのだ。彼が今年までに新人公演の主役が出来るかは正直分からない。彼がトップスターになるという夢を持っていたならば、エリシャが憎くて仕方ないだろう。香盤表が発表されてから、心の整理がついてないというのは仕方ない事だった。
――レパルスさん、僕に試練を与えてくれるなぁ。
今回は本読みだから、指摘の感情はやめておこうとフランは思う。
本読みは淡々と続いていき、次はトップスターのエリシャの番だ。
『貴方は、誰?』
エリシャの演技は自信の無さが溢れてた演技だった。この公演の主役であるエリーは、最初は不安定な感情のキャラクターではあるが、徐々に芯が強い部分を表現しなくてはならない難しい役だ。最初の台詞回しは比較的良かったものの、本人の主役は自分には大役すぎて役を降りたいという感情が滲み出ている。こちらも心の整理が追い付いていないのだろう。明日になれば少し変わるという事を信じたい。
『僕との約束を忘れないで』
二人の娘役に比べて、安定して本読みをしているのは、トップ男役に選ばれた入団7年目のセナ・ウェールズだった。セナは、予想通りの配役だったのだろう。役の雰囲気も理解している印象だった。それよりも、同期であるサンデー・フットが2番手娘役に選ばれてしまったことが彼にどう響くがが未知数だ。ライ・レパルスが言っていた通りの安定した演技力で、冷静に本読みを遂行している印象だった。
一時間半の公演の本読みは、少し引っかかる部分のある演技をした役者がいたものの、その他は問題なく進行していった。しかし、決して順風満帆とはいえない暗い雰囲気の稽古だったのは間違いない。ここから、フランはこの状況から、お客様に感動を伝えられるようなエンターテインメントにしなくてはいけないのだ。
フランは、誰からも気づかれないようにそっと深呼吸のようなため息をついた。
正直、本読みの台詞よりもどのように演出したらいいのかという思いが、頭を駆け巡りそれどころではない気持ちでいっぱいだった。
『不安になった時や、相談したい事があったら直ぐに僕に言ってね』
ライに言われた言葉が脳裏をよぎる。相談することはいくらでも出来る。本公演の役者さんに彼らも相談して助言を乞うだろう。今の不安に押しつぶされてはいけない。
フランはまた深呼吸ともとれるため息をついた。




