2.抜擢の裏側
「新人公演のトップスターはこの子にしようと思うんだ」
「エリシャさん……ですか?」
稽古場の横にある会議室で、フランと今回の公演の演出家チームのリーダーのライ・レパルスは向かい合わせで座る。稽古場では誰かが自主稽古をしているのだろう。朗々とした声が、微かに聞こえてきていた。ライはそっとフランの前に写真を置く。
端正な顔立ちのエリシャが移っているが、劇団の宣材写真はまるで女性のような化粧をしていた。
ウォルージア国立歌劇団は創立して150年という歴史を持っている。その為、これまでに様々な独自の伝統文化やしきたりが生まれていた。その独自の伝統の1つが、男性が女性の役を演じるということである。女性を演じるのは娘役。男性を演じることは男役と呼ばれている。この歌劇団にしかない娘役という存在に魅了されるファンが多い。
また、ウォルージア国立歌劇団は『スターシステム』を採用している。所属しているすべての役者の中から選ばれた、一部の役者が重要や役・ポジションを担当する。このスターが、作品で重要や役やポジションを与えられ、活躍する。ウォルージア国立歌劇団は4つの組があるのだが、その各組のスターの頂点に立つ娘役の事を『トップスター』、男役の事を『トップ男役』と呼ばれ、各公演で主演を務めることになるのだ。
「何か不満?」
ライはかけているシルバーの縁の眼鏡をくいっとあげた。
「いえ、不満なんかありません。ただ……」
「入団年数かな?」
「そうです。先日、お披露目公演を終えたばかりですよね?」
「やっぱりバレちゃったか」
「バレますよ。僕だって馬鹿じゃないです」
ライは破顔する。演出家のリーダーとは思えないほど、無邪気な表情だ。
ウォルージア国立歌劇場に入団するためには、年に一度開催される入団試験を受けなければならない。それも、年齢制限を設けており、15歳から18歳までの男性となっているのだった。毎年の入団志望者は2000人ほどで、合格できるのはたったの40人程度だ。
晴れて合格した役者は、まず半年間の研修プログラムを受けることになる。そして、研修の最後に、その年に合格した生徒だけの公演をお客様の前で披露する。これがお披露目公演と呼ばれていた。お披露目公演を終えた後、そこから四組ある歌劇団のいずれかの組に配属され、経験を積んでいくのだ。
ウォルージア国立歌劇団には、春組・夏組・秋組・冬組の4つの組があり、専用劇場が空きスケジュールが無いように常に公演を行っていた。各組は公演が始まる1か月前には稽古が始まるのだが、それに平行して、もう1つの公演も進行する。それが新人公演だ。
新人公演は本公演中に1回のみ上演される。本公演と同じ演目を、主役から老け役まですべての役を入団7年目以下の生徒で演じるのだ。その新人公演も通常であれば入団の年功序列で、経験を積んできた役者が主役をやるものだ。しかし、エリシャは組配属された初めての公演の新人公演の主役に抜擢されたのだ。これは、異例中の異例だ。
「理事長、エリシャくんの抜擢に猛反対だったんだけど、最後は根負け。好きなようにやれってさ」
ライ・レパルスは仕事のしやすい関係を築いてくれて、アドバイスも的確な憧れの先輩であり、公私ともに相談出来る関係だった。信頼しているからこそ、お茶目な部分をフランに見せてくれる事があった。
「随分と見込んだんですね」
「まぁね。あぁ、でも、彼逃げるかもしれない」
「え?」
「お披露目公演の配役が決まった時に、プレッシャーからか脱走を図ったらしい」
「そんな人物を僕に任せるんですか?」
「君好みに演出してみてよ」
「扱いやすくなってからレパルスさんが本公演で採用するって事ですか?」
「そんな事ないよ」
図星なのだろう。メガネ越しからでもライの目が微かに泳いでいるのが分かった。
「エリシャさんが逃げないように何か対策されているんですか?」
「香盤表が発表されるときに、警備員さんに警戒してもらおうとは思ってるよ」
「分かりました。僕もその対策協力した方がいいですか?」
「彼は大丈夫だと思うよ。お披露目公演の時の脱走だって、半日して帰ってきたし、今回は脱走に成功しても1日くらいで帰ってくるんじゃない?」
「それで稽古に影響出るのは困りますね……」
「じゃあ、稽古場の外から丁度来てみたら? 意外とあっさり捕まえられるんじゃない?」
「そんな簡単に捕まりますか?」
「人ってパニックになったら意外と単純だよ」
「――分かりました。行動しないよりは……ですね」
ライは口角をあげ、嬉しそうに微笑んでいる。普段から穏やかで怒る事はないのだが、ここまで嬉しそうにしている姿を、フランは初めて見た。フランは、改めて写真をまじまじと見つめた。
エリシャが参加したお披露目公演を観劇しに行くことが出来たが、主役を務めていた彼は確かにオーラがあり、舞台上では異彩を放っていたのを覚えている。しかし、歌やダンスは苦手な様子もしばしば感じ取った。粗削りの印象があったが、それでも安定して良いパフォーマンスをする入団7年目の役者を、跳ねのけて主役を任せたいと感じるほどのオーラがあるというのは、確かに否定はできないとフランは思う。
「未知数の役者と、新進気鋭のフラン君がどんな化学反応を起こすか楽しみだよ」
「……本当に楽しんでますね」
人の気持ちを軽く弄び、実験しながら。
「ふふっ。あ、そうだ。新人公演のトップ男役なんだが、彼を推薦した」
ライはエリシャの写真の横に新たな写真を置いた。エリシャとは違い、男性らしい穏やかな顔をした男性が移っている。
「セナ・ウェールズ君だ」
入団7年目。秋組の中で人気のある若手俳優だ。彼はどこかミステリアスな雰囲気のある役に定評がある。若手の中でも本公演で目立つ役を与えられており、スターになると噂されるほどの人気ぶりだ。
身長175cmのセナと身長163cmのエリシャ。申し分ない身長差だ。娘役が映えなければ舞台として見応えが無くなってしまう。
「役作りもしっかりとしてくるし、演技力、歌唱力もダンスも申し分ない。型にハマりすぎる気質があるから、エリシャ君が相手役になる事で、自分の殻を壊して貰えたらなと思ってる」
「わかりました。何処まで貢献出来るか分かりませんが、頑張ってみます」
「不安になった時や、相談したい事があったら直ぐに僕に言ってね」
「レパルスさんが楽しみたいんですね」
「うん、その通り」
公演に出演する役者の出番が書かれた香盤表という紙が稽古場に張り出される当日。フランは期待と不安を心に込めながら、エリシャと出会う事になる。案の定、脱走を試み、そしてライ・レパルスの思惑が功を奏した訳だった。




