14.残された時間の中で
花も恥じらう可憐な女の子であるエリアルと共に入浴しているテムズは異性と認識する彼女をまともに見られないでおり、せっかく向かい合っている利点が完全に殺されていた。
「ご主人様、何故目を逸らすのです?」
「いや、それはだな」
タオルなどの下着を着用してもらえたとはいえ、足や鎖骨の辺りなど見える艶やかな地肌は見えているエリアルの猛襲が彼を捕らえて放さない。
これをうぶなこの男が昂ぶる感情を押し殺して見るにはいささか異性に対する耐性を獲得するための鍛錬が足りていない。
「ご主人様に褒めてもらったあたしの可愛い身体を見てもらいたいです」
「むぅ、可愛いのは分かってはいるんだが、年頃の女の子と入るというのがおっさんにはちと厳しくてな」
「あたしにとってはご主人様は誰よりもかっこいいです。おっさんだとしても大好きです」
「いや、そういうことではなくて」
テムズの軽率な口が、彼女を調子づかせていた。
ここは彼女を落胆させる可能性があっても断っておくべきだったと今更ながら、彼は存分に後悔している。
エリアルの見た目は少し成長した程度の身体付きとはいえ、こうも積極的に誘惑されてはテムズが保たない。
初期はそうでもなくても、本人の熱意によって、与える感性は容易に操作できるためだ。
「はぁ、エリアル、頭撫でてやる」
困ったときにはエリアルの頭を撫でる方法でお茶を濁す。
望んでこちらに来てくれるため、子どもでも騙されないであろう、こんなに安いやり方でも存外迎合してくれるからやりやすい。
「はい! ご主人様、よろしくお願いします」
湯に濡れて、水々しい光沢を増した元より麗しい髪を洗ってやる。
ほんの少し触るだけで汚れがたくさん表面化してくるのは、これまで行ってきた戦いが示す勲章に近しい。
テムズが気を紛らわすというしょうもない私情のため、彼女の喜びの気持ちを利用する。
「ご主人様のなでなで、頭が更にぽわってなるから好きです。ご主人様に従うこと以外、余計なことが考えられなくなります」
奴隷は主人と接するとそれだけで快楽による多幸感に包まれ、より主人への依存度を高める。
他人への興味が殺意と利用のみに重きを置いている。
そのため周りにほだされて改心する心配も無く、正気の人間に対してするのは当たり前の、こういった危険性について懸念をしたところで、杞憂に終わるであろう。
「俺や同類以外と接するのがお前にとって余計だからな」
テムズの言葉は奴隷の心理を射抜いている。
人間、その他の種族も含めて注げる愛には際限がある。
そうでなければ何人も恋人を作るような存在が少数派だったりはしない。
奴隷は並み居る万物の生命の中から主人を選び、愛を注ぐ。
偏愛、恋愛、狂愛、親愛とあらゆる種を一人に与え、育んでいけば、やがて究極的な恋人となっていく。
「はい、まさしくその通りです。他の事が目に付くだけで気分が悪くなります。堪えられません。ご主人様の推察に、疑う余地は毛程も無いと言えますね」
エリアルにとって心行くまでそれを堪能させる。といっても、彼女は主人に頭を撫でられるのが大好きで、心行くまでとする概念が存在し得ない。
つまり飽きることなく無限に楽しみは続く。黒く澱んだ彼女の瞳に赤色の光が灯るのは、力を増している証となる。
しかし、テムズには魔力を譲渡する限度がある。
身体の許容量を貯め込む力はほぼ無限なれど、主人本体が崩壊する危険が著しく高まるため、節度を持たなければならない。
「そろそろ止め時だな」
限界を見計らって手を放すも、快楽による主人の安らかなる破滅を望むかのように、まだ満足はしていない。
その右目はアーキアに魔力を分けた際には死体のように何も映さない、虚な状態が常であった。
一回触った時点で魔術の痕跡は薄くながら戻るも、完全には程遠かった。
「ご主人様の魔力は大好きですが、楽しみは後に取って置いた方が良さそうですね」
回復までの時間はそれなりに要するらしい。
魔力の許容量も若干落ちているのか、口や顔には出さないものの、少々苦しそうであった。
「どんなに美味しいものであろうと一気に食べたら美味しくなくなる時が来る」
それから二回目、時間を置いてから注いだ魔力で完全なる回復を果たし、再び貯蓄できる最大魔力を取り戻した。
だから彼女の魔力要求は甚だしく、ついにはテムズを屈服させるまでに至る。
洞窟の一件から、失われた魔力は常人と同じく限界突破とともに自然回復するようなので、基本テムズは下手なことはせずにそれを待つスタンスでいる。
「じっくり味わい尽くし、全てを楽しい時間に変えてこその通というものだ」
今回はテムズにとって不可抗力。求められては避けられないし、断れない。
ああも感情を掻き乱されては別のイベントを起こして相手の気を紛らわす。
強引に関係性のリセットを図る以外には他人への対応がただでさえ下手で、かつ彼の矮小化してしまった理性では策をまとめられなかった。
「元気回復、疲れはどこかに行っちゃいました!」
「俺は疲労困憊だよ。風呂に入ったらなおさら疲れた」
風呂で疲れを取るつもりが、テムズは頻繁に行っていた魔力の受け渡しでかえって消耗している。
その隣では、ついには一介の魔王に比肩する奴隷の元盗賊が笑顔を、憔悴しきった彼に向けていた。
「いつっ!」
テムズを襲うのは疲れだけではなかった。
他人の勝手気ままに精神を支配するような強力な魔術に反動が無い筈は無く、それはたった数日で彼の身体を蝕み始める。
左腕には鎖のような黒色の呪印が現れており、そう遠からぬ先に、全身を喰らい尽くすとその侵食具合から明言されていた。
「ご主人様……」
完璧ではなくとも強力と思っていた魔術にも反動があった。
呪術と呼ばれる相手を呪う魔術には、術者にも相応のデメリットを強いる術が少なからずある。
人を呪わば穴二つ。東方から伝来した言葉の一つにもそうあったことを、今にして思い出させる。
「夕食や風呂でずっとお前たちと暮らしたいと言ったのは本当だが、すまん。俺に残された僅かな時間、お前たちには付き合ってもらうぞ」
このような魔術に魂を売り渡しておいて、甘い汁だけを啜れるとは思ってはいない。
クラシドを倒して少し酔った。少しばかり、実は都合が良いのではないか、と楽観的になって逃避したりもした。
しかし、訪れる現実は非情であり、そうするだけ無駄骨であった。
仲間にやられ、剰え盗賊に命を狙われ、偶然にもこの魔術と出逢った時、テムズはエリアルと並ぶ悪魔になった。
そんな彼に課せられた最後の使命は、自らの尊厳を扱き下ろした元パーティに対する復讐を完遂すること。
置いて行ってしまうエリアルたちには悪いと思いながら、彼は残された命の炎を最後まで自分のために燃やし尽くすと決めた。
「ご主人様がいなくなったとて、あたしたちに根付いた魔術は永遠に不滅。ご主人様亡き後も、ご主人様が恨んだこの世界を永遠に呪い続ける事をこの身に、この心に誓いましょう」
テムズの腕に擦り寄るエリアルの瞳からは大粒の涙が溢れていた。
偽りなのか、本物なのか、おそらく術に感化されているだけの偽りの涙。
それでも残された灯火を燃やし、死に体寸前の脆弱な身体を奮い立たせるには充分に働いた。
「ああ、頼むよ」
湯から上がり、今にも床に就こうとしていた彼は弱々しい声量で、確固たる決意を彼女に伝播していく。
もって後数日の命、派手にやろうじゃないか。
疲れが抜け切らず、死へ向かっていくであろう重い身体を寝かせながら、明日朝一番の大仕事に備える。
隣ではエリアルとアーキアが眠っていた。
結局最後に出た折衷案を採用し、互いに良い想いをしようとのことにて妥協したのだが、やはり本音は言いたくなる今日この頃。
「うぐ、単刀直入に言わせてもらうが、暑苦しいぞ」
両手に花は栄華さえ来なかった男児に誇らしいことこの上ないが、一人用のベッドに三人も入るのは無駄が無さ過ぎて窮屈である。
追加で一押しすれば落ちよう不安定な状態だが、そこはテムズに忠実な奴隷たち。まったく落ちない。
「欲望に忠実とはこの事だよな。とろけた顔が憎たらしい」
所々柔らかい部位の侵食もあって落ち着くことはなく、気づけば朝日を拝めるようになっていた。
テムズが朝起きると、痣は更に拡がっていた。身体に奔る痛みもそれに比例して増しており、エリアルたちの心配を煽るほどだ。
こんな状態では復讐どころではなく、彼はこの堪え難い痛みで自我がどうにかなってしまいそうだった。
「延命の方法を考えなければならないな」
わずかになった命を復讐までに繋ぎ止める策を講じなければならない。
復讐するまでに死ぬのは何としてでも避けるためには死活問題となる。
居ても立ってもいられず、飛び起きる。
「ぐはっ、こいつはキツい」
応急処置としてアーキアとエリアルにはすでに流し込んだが、あれ以上の容量を流すと今度はあちらが限界を迎える。
無限に使えると豪語していた最有力候補がそんなザマであり、次の手を考える必要ができてしまったことに憂慮する暇さえ、削れていく寿命は与えてはくれない。
「ご主人様、それならば魔力を他人に流して奴隷にするのはいかがでしょう。丁度今日は取引なので」
あれ以降、テムズにも魔眼が備わっており、奴隷を増やすならエリアルが昨日やった手がそのまま流用できる。
実戦を曲がりなりにも乗り越えてきたエリアルの提案は非常に現実的であり、即採用圏内に至る。
「取引? 初耳だな」
アーキアは一般人だったゆえにエリアル程魔力を受け入れる器にはまだなり得ていないために、町人たちも同様の理由で大量の魔力を流すには厳しい。
善人たちを虐殺して生きながらえるというのは、化け物にしても限度を弁えてはいないだろう。
合理的な一時凌ぎと割り切るにしても、村に大量の死体を抱えることになるという無駄な手は使えない。
それに残ったエリアルたちにはこの地を拠点にしてもらうため、血塗れのゴーストタウンを彼からの餞別にするのは、主人としてあまりにも最悪の別れ方だ。
「獣人娘の護送任務が正午に執り行われるのですよ」
エリアルが関わるのは数日前に壊滅に追い込んだデッドフォックスの任務。
彼女はあたかもまだデッドフォックスが健在だと相手に思わせながら、奴隷を買い取る腹積もりなようだ。
獣人は基礎体力からして、人間のそれを遥かに凌ぐ。テムズは買い取った獣人に魔力を流すエリアルの妙案を二つ返事で採用する。
正午が近づきつつある頃を見計らい、テムズは痣をローブで隠しながら、エリアルと共に村外れの荒地へ降り立つ。
村というよりは、ギルド連盟ですら現状見放している治外法権の無法地帯であるこのスラム地帯が隠蓑として有効に働いていた。
隣にいる当事者は語るものである。
「いや、誰もいないな」
「村人も一切近づかないスラムです。近づこうものならならず者たちに金品を巻き上げられ、最悪殺されますから」
壊れかけた門を開き、先を急ぐ彼らの道行くかたわらには、崩れた建物から迸ってくる強烈な視線が感じられた。
紛れもなく、金品や武器を狙った敵視であり、気を許せば襲ってくる。
テムズには最高の護衛であるエリアルがいるために脅威にはならないが、村民たちが拐われでもしたら一大事は免れない。
「お前、“できず”のエリアルだよな」
「お仲間さんは今回一人か?」
エリアルはデッドフォックスながら他のメンバーと違い、非常に侮られている。
ひとたび、あちらからすれば使えないことが歴然としているエリアルだと分かり、取り巻きにいる華奢なテムズが目につけば襲われない理由が無いときていた。
「今日はエリアル一人だけみたいだな」
「このおっさんも仲間か? にしては仲良く弱そうにしているな」
しばしばこういった悪党からいびられているのは、実力も無かった癖に仲間の前では偉そうに鼻を鳴らして息巻いていた彼女の自業自得だ。
スラムの深くで孤立して助力を得られず、震えている彼女の身包みを剥がそうと、追い剥ぎたちが二人を取り囲む。
「ごめんなさい!」
ある男が謝るエリアルの襟巻きを掴み、その小さな身体を宙に持ち上げる。
飢えた蛇の頭部をしたようなその男のたっぱはかなり長く、周りとの差は歴然となっている。
「申し訳ないと思ってんなら金を寄越しな。俺たち、ちょうど生活費に困っていたところなんだよ。さもないと積りに積もったお前への恨みが爆発しちゃうぜ」
どれだけの苦汁を舐めさせられたのか、容赦なくエリアルから金品を巻き上げようとする悪党のリーダー。
そのようなリーダーの気迫に見合わず、周りはというと見えない何かに怯えているような素振りを絶えず見せている。
「兄貴、デッドフォックスのメンバーにこれ以上はマズいんじゃ」
「そうですよ、クラシドさんに目をつけられたら最期ですぜ」
クラシドからの報復を恐れ、取り巻きたちがエリアルへの攻撃を止めた方が良いと、リーダーに促していた。
ところがこうした警告を男は無視し、エリアルを苦しめることで憂さ晴らしを目論んでいる。
それも最初からそのつもりであり、こうなってしまったリーダーを発言権の無い下等な手下どもは持ち合わせていなかった。
「こいつはなあ、かなりの見栄っ張りでよお。ちょっと突けばプライドが埃を払って出て来るんだ。ちょっとやそっと殴ったところでクラシドには言えねえよ。なんせ負けず嫌いなんだからなあ?」
「ひっ! あ、謝るから許してください」
「今までの威勢はどうしたんだ!」
男が泣きじゃくるエリアルの頰を殴り飛ばす。
強く殴られた部分には赤いアザができていて、当人は痛みにのたうち回っている。
「ごめんなさい、ごめんなさい!」
フードに身を包むテムズは動かず、存在感を隠蔽していたが、殺気立っている男たちの目は欺けなかった。
「お前も何か持ってんだろ。大事なエリアルがこれ以上いたぶられたくなかったら、身包み全部置いて行きな」
素直にエリアルを狙っておけば、弱々しいままで嬲られてあげていたものをと、テムズは彼らよりむしろ、怒れる彼女に怯えていた。
「なんでご主人様に手を出そうとするの?」
エリアルが目の色を変え、平然とした様子
で立ち上がり、手下の一人である男の腕を掴み、なんとへし折った。
「グギャァぁぁぁぁぁぁぁ!」
断末魔を上げ、エリアルの足元に腕を押さえながらうずくまる。
骨が折れたときの激痛は冒険者なら想像に難くなく、相当に痛そうであるのは明白である。
痛みによる怯みになど、良識的な感情が欠如している彼女は目もくれず、怒りに震えるエリアルが腕の一振りで周囲を薙ぎ払う。
建物にしがみつくリーダーを除き、手下たちは軒並み吹き飛ばされ、地面に延びてしまう。
「なんだこいつは、いつの間に化けやがった!」
「お前がご主人様に目を向けなければ、弱いふりをして我慢してあげたんだよ?」
「前言撤回、俺たちを許してくれ。金ならいくらでも払うから、さ」
エリアルは事前に言い渡されたテムズの命令により、事を荒立てない方針を固めさせていた。
現実は上手くいかないものであり、結果は悪党に絡まれてご覧の有様。言い訳の一つも出ない失態だ。
「許してくれ! 俺はまだ死にたくない!」
「いかがなさいますか、ご主人様」
「そんなクズ捨ておけ。殺す価値もない」
クラシドやカムラのような将来的に有望株であった実力者はともかくとして、掃き溜めに住む自分と同じ目をしているならず者たちは、テムズと同じような奇跡でも体験しない限り、向上心もないまま廃れていく。
そんな連中は相手にするだけ、こちらが損を被るのみである。
「かしこまりました。ご主人様好きぃ」
「エリアルの奴、どうしちまったんだ?」
「さあ、他の連中が一向に姿を見せないのも気になるところですが」
「分かんねえことばかり考えても仕方ねえか。とりあえず骨折した奴を治すぞ。話はそれからだ」
襲ってきたならず者を不本意ながら退け、昨日と特に変わらない荒んだ街並みの中で歩いていると、空気も読まずに生き生きとしている強面の男たちと、鎖に繋がれた茶色の毛が際立つ獣人娘が目に留まる。
「あ、いましたよ」
エリアルが目の色を変えて彼らの元へ急行。テムズは走り出した彼女に引っ張られ、流されるままに行き着いた。
「奴隷商人の皆さん、久し振りだね。息災にしてた?」
「チッ、今日は一番使えねえ奴を寄越してきたな。クラシドさんは何を思ってこいつを懐に抱え込んでんだか」
「こいつって誰のこと?」
エリアルが可愛らしく惚けると、これをあらゆる意味で嫌がる男たちから一斉に、彼女へ指を差されてしまった。




