13.奴隷たちの嫉妬
一通り宿の案内を済ませた後の夕食。
奴隷たちが主人を取り囲み、料理を食べさせようとしてくる。
テムズはせっかく始まったこの小さな宴に乗るべきだと考えていた。
「ご主人様、あーんして下さい」
奴隷のために口を開けるテムズに応え、エリアルがスプーンに持たせたスープの具を食べさせてくれる。
エリアルは丁寧に熱々のスープを冷ますため、アーキアに倣った甘い息を吹き掛ける。
テムズは彼女の厚意と好意を受け入れ、それらを濃縮した証を口に入れようと務めるのが主人の責務であった。
「ご主人様、あの、あたしがふーふーしたアーキアのスープは美味しいですか?」
もじもじと腕を腹の辺りで交差させているエリアルの頰は赤らんでいた。
可愛らしい所作で身体を預けながら、動かないでいるテムズの口までスープを運ぶ。
これは飲んだらさぞ美味しかろう。
奴隷が愛を込めて作ってくれたスープを、奴隷が愛をもって贈っていた。
形を変えながらも取り戻した日常に涙する。
これほどまでに他人から思われ、もてなされたことなどない。
偽りとはいえ、感謝に頭が下がるばかりだ。
「ご主人様が喜ぶ顔、見たいです」
その行為に感化されると、自然と彼女の服装の薄さに目が行ってしまう。
女性への性的な欲求が歪ませる視線と、そこから来る耐性の無さはそれぞれがテムズにおいて上位に君臨し、男と劣情は切っても切れない間柄となることを証明していた。
「どうですか、美味しいですか?」
「近い!」
ほんのりと汗ばんだへそ出しの盗賊服に、左側のふくらはぎにはすでに潰したデッドフォックスの刺青がちらりと見える。
いくら子どもでも、反則的な艶やかさには脱帽であり、彼女の領域にはなかなか踏み込みにくくなる。
彼女の所有する盗賊のスキルと類稀なる身体能力、この刺青は今後ともテムズの頼りになるはずであろう。
後々の活躍を期待して疑わず、重たい腰を据えたまま、堂々と構えている。
「美味しいぞ。それにお前のような美少女に食べさせてもらえるのならより満足だ」
口下手なりの下手な礼に、自身が恥ずかしくなってくる。身体中が強張り、気恥ずかしさに俯いたまま動けない。
まるで魔法にでもかけられたように、身体へ命令を送っても石となって微動だにしていなかった。
「ありがとうございます。ご主人様に褒めていただき、光栄の極みです」
自分から食べようとすると察知した彼女が皿を引き離すので、彼女から貰うしかない。
そこから、エリアルはテムズに応えようと必死なのが痛いほどに彼へ伝わってくる。
彼への期待に真摯に応えようとするあまりに焦燥に駆られ、失敗を恐れて怯えて震える手には、最初に刃を向けてきた時の荒々しい様はどこにも無い。
こうした所は女の子らしい弱みを見せてくるものだから、困ったものだ。
これには呆れながらも、テムズは乗り掛かった船に駆け込み、そこから助け舟を出す。
「ほら、ちゃんと持て。かえって失敗するだろうが」
見違えるほど弱々しい手に、自身の手をそのまま貸す。
すると、テムズだけを反射する死んだ目が水を帯びる。
「俺に見せた強さはどこへ行ったんだ。今日の騒ぎに比べたらこの程度、屁でもないだろうに」
真っ向からテムズと向き合うこの盗賊は、立派に主人に仕える麗しい少女であることにおいては、疑う余地は存在しない。
「ご主人様の期待に応えていくうちに、段々と目の前が暗くなるんです。どう頑張ったらご主人様は最高の微笑みをくださるのだろう。もっと強くなろうと考えていたら、先がまるで見えなくなっていくんです」
主人以外を他を顧みず、強さを求めて切磋琢磨するエリアルにおいて、真に戦うべきは己自身となる。
「考えても考えても、答えは出るどころか、なおさら分からなくなるんです。とりあえず頑張るのですが、先なんて当然見えません。霧が意地悪する一方なんです。強くなったのに、今回の敵はやけに強い。あたしなんかまるで赤ん坊でした」
いかなる敵より、進化を阻む壁に出くわすことを恐れ、用意周到に立ち回る。
しおらしい主人へのかしこまった態度も、最高の自分で彼と向き合いたい望みがそのように彼女を塗り固めているからだ。
それが過ぎて空回りしてしまい、凍土に置かれたように手が焦りでかじかみ、震えの症状を起こしていた。
「一人で立ち向かうからそうなる。お前は俺がいてようやく一人前の奴隷なんだ。俺の手を借りないでどうして敵に勝てると思うんだ」
己に化した過ぎたる試練に孤軍奮闘し、助力をも惜しむ凍えた心がもたらす重圧に押し潰される。
冒険者なら誰もが一度通るであろう道に、彼女は差し掛かり、壁に阻まれていた。
彼女は強くなっていくうちに、主人を守る意思が先行していき、その弊害で自分の力だけで解決しようとする考え方をするようになっていた。
奴隷としての存在意義を根本から履き違え、誤った方向に行っていたところに彼はちょうど出くわしていた。
「こういう時こそ助けあわなきゃな」
「ご主人様、えへ、あたしはご主人様と助け合う。それが当然」
「一々俺が困ることを考えて手を抜くな。そりゃ、例えば抱きつかれて痛くされたら困るが、それはまあ匙加減の問題だ。失敗なんて人間には付き物だし、手を抜かれることこそ失礼だと思うぞ」
強いからこそ、知らないうちに誰にも打ち明かせない弱みができているものだ。
相手の尊厳を容易に踏みにじれる強さを獲得したエリアルだって例外ではなかった。
怪我をした時に教えていたことも今回の一件に繋がっていた。
奴隷の扱い方について見直すのは、エリアルだけでなく、自身も含めてだろう。
テムズはこの教訓をしかと胸に秘め、後々の原動力にしようと誓った。
「エリアルちゃんばかりずるいです! このアーキアめもご主人様に不器用ながら奉仕をさせていただききたく思います」
エリアルに対する嫉妬の念を一切隠さないもう一人の奴隷、アーキアが彼女を追うように、彼女の皿から出したスプーンを差し向ける。
最初に加わった愛着から、彼女にばかり構っては不公平と、なまじ紳士的に振る舞おうとするテムズはアーキアからの分も残さず受け取る。
「アーキア、もう充分だよね。次はあたしの番だよ」
負けじと嫉妬を始めたエリアルがアーキアからテムズを分捕ろうと画策し、スープを彼に再び飲ませようとその身体を存分に活かして威圧的に迫る。
アーキアもエリアルに対抗意識を燃やして、彼女と同じ行動を取っている。
「ちょっと待て。夕飯時に喧嘩するんじゃない」
彼女たちの醸し出す強烈な雰囲気にテムズは萎縮し、立場的に上なのか疑わしいほどに意見ができずにいる。
「エリアルちゃんは私より先に奴隷になってご主人様とくっついていましたよね! なら貴女よりあの方と触れ合いが短い私の方が、今は彼とたくさん接する権利があるというのが道理ではありませんか」
アーキアはエリアルと喧嘩別れした友人のように、丁寧ながら砕けた物言いをするようになっていた。
エリアルにちゃんづけしているのが確たる証拠でしかなく、二人の間には浅からぬ溝ができていた。
「ふんだ! そんなルール知らないよ。あたしたち奴隷の世界にこの世の糞みたいな掟を持ち出されてもね」
「それもそうですね。そこはエリアルちゃんの意見に同意します。ですがテムズ様は渡しません! こうなったら実力行使で奪い取ります!」
「仲良しになったばかりなのに、残念だよ」
物憂げな表情で短剣と魔法、それぞれの武器をテムズの両隣で構える奴隷たち。
楽しい食事会が物騒な戦いの場と化していく。
何より睨むだけで敵対者を殺してしまいそうな視線の弓矢に両脇から射抜かれ、テムズは実際に生きた心地がしなかった。
「良い加減にしろ!」
「ひゃい!」
「て、テムズ様!」
流石に堪えかねたテムズが喧嘩両成敗で場を収める。
主人の怒号に奴隷の彼女たちはあれだけぶつけ合っていた殺気が見る影も無くし、すっかりと萎縮してしまっていた。
「エリアルはしばらく待て。今はまだアーキアからいただく時間だ」
「かしこまり……ました……えへ、ご主人様のお言葉がお腹の奥にジンジン来て、気持ち良い。もっと、こんなに使えなくてダメでクズで、どうしようもない愚かなあたしを責めて欲しいな」
猛省しているのか定かではない、発情しているエリアルの不穏な小言は聞かないフリをして、テムズは同じく照れているアーキアからスープを貰う。
「ご主人様の味がする……美味しい……」
その横では、瞳から光を失ったエリアルがテムズが口をつけたスプーンを自身の口へ躊躇無く運んでいた。
夕食後はお待ちかねの入浴の時間である。この宿にはそれにおあつらえ向けの施設が存在しており、使わない手は無い。
浴室もまた宿と変わらずきれいに掃除が行き届いていて、アーキアらしく欠点の一つも見当たらない。
この宿では東方より伝来したおけを使う様式を採用しており、それには身も心も清めた者には神が舞い降りるとされる。
無心で神を信仰する伝統が根づいた、東方らしいいかがわしくも神秘的な要素が踏襲されている。
「ご主人様ときれいになりたいな」
「ああ、一緒に入るか……女の子と入る親父なんてただの犯罪者だろう。絞首刑にされても文句は言えんぞ」
夕食であれだけ張り切っていたアーキアはこの時ばかりは本職である宿の娘の仕事に就き、外で浴室に用いる火を焚いている。
それはつまり、テムズとエリアルの二人きりになるということであった。
断るだなんて口が裂けても言えない言葉だ。
貴重な戦力がこのような些事でへそを曲げてしまえば、今後必ず良からぬ事態に見舞われると断言できよう。
「ご主人様とお風呂。とても楽しみです」
だからこそ、テムズにはこれを否定する選択肢は存在しない。
邪魔する者がいない以上、エリアルと一緒に入浴をするのは当然のように決まってしまっていた。
エリアルは主人に否定されるだけでモチベーションを急落させてしまう。
全てに絶望し、何かをする気力すらも失うくらいであるため、彼の采配で彼女の運命は決まっているとしても過言ではない。
「確実に殺すか殺されるかだった血塗られた関係を、理に反して無理矢理味方に付ける。反動くらいはあって然るべきか」
せっかくのこともあり、心強い手駒となったエリアルのわがままくらいは聞いてやるのが主人の責務である。
そんな考えを根幹に据えて、エリアルへ寛大に接していると、よく懐いてくれる。
プライドと引き換えに身を守る戦力を補強できたとするなら、安い買い物をしたものだ。
「ご主人様とお風呂。ご主人様とお風呂」
思うところはあるものの、あんなに整った可愛らしい顔を見せ付けられながら頼まる。
それならば腹に据えかねようと、彼女を無理に排斥するような悪感情を表に出すわけにはいかなくなる。
可愛いは正義そのものであり、凡百の男どもを正面から豪快に捻じ伏せる。
「ご主人様とお風呂、お風呂! おふろ!」
エリアルがテムズに見せ付ける形で盗賊装束を脱ぎ捨て、それと同じく魔獣の皮で作られた下着があっという間に露わになる。
あの露出度の高い服は魔獣の皮でできていると言うだけあり、見た目にそぐわない防御力がある。それこそゴロツキの拳や足くらいではびくともしない頑丈な衣だ。
エリアルのクラシドに対する防御力に関する説明は当然それだけでは及ばず、洗脳魔術による、彼女への異常な魔力上昇に強さが直結していると見るのが妥当であろう。
「ご主人様、あたしの身体を見てどう思いますか」
昔迷宮で与えられた試練よりも無理難題をエリアルはふっかけてきた。まともに布を剥いだ状態の女体を見た事が無いテムズにはとにかく刺激が強く、思考の過多で容量の飽和は免れない。
「……可愛いぞ。すごく可愛い」
大人の魅力が凝縮されたアーキアと子どもらしい活気が武器のエリアルとではそもそも比較をするのがお門違いであり、どちらがどうとかなどと選ぶことすらおこがましい。
そんな神が天から一物も二物も与えたかのごとき整った体格が、二人して並び立っていた。
「ご主人様に可愛いって言われた。つまらなかった盗賊人生で手にした唯一にして一番のお宝だね」
ご機嫌になったエリアルは人生における美点を気持ちの籠っていない抜け殻に委ねてしまう。
彼女の仲間と積み重ねてきた盗賊人生をそんなものよりも下に見ているのが見え透いていて、彼女における信念の崩壊が感じられることが、自らが行使した魔術への恐怖へ、自然に繋がる。
人間の尊厳や思い出をこうもあっさり書き換えて良いものなのか、単なる善と悪を超越した究極の提示がなされている。半端者にそのような無理難題への解答が示されるわけもない。
ただ、復讐のために得た人間を武力として行使するしかないなど、それを神からの産物を踏みにじるのみの悪にも劣る卑劣な行為としての自覚はあった。
「あたしは可愛いあたしは可愛いあたしは可愛い……ご主人様のお言葉、今後する邁進のためにも、しかとこの胸に焼き付けておきます」
彼女は相変わらず奴隷としては至極真っ当で、人間としては破滅の道をひた走っていた。
苦笑いしながら彼女が狂い行くのを鑑賞していると、外にいるアーキアから合図が来たことに気付く。
男女二人で浴場に入ると、エリアルが早速主人への奉仕に動き出した。
早速にして桶を持ち寄り、彼に湯をかけようと構えている。
「お背中、お流ししますね」
エリアルは身に付けたローブが無くなり、一日を跨ぎ、久々に地肌が露わになったテムズの肉体に惚れ惚れとしている。抵抗なく肌に触れているのが、背中への感触から伝わってくる。
「これが世界を統べる方の背中なのですね」
たかが背中でなんとも大仰にテムズも知らない野望を語り出したエリアル。
復讐なんて小さくて、成したところで後には何も残らない男には、世界征服など大層に見えて仕方ない。到底小さな器に縛られている男が果たせる大望ではなかった。
彼は復讐は誓えど、世界征服なんて大それた真似は眼中にすら無かったのだ。
「世界征服か……」
自惚れが過ぎた愚考だと最初は思ったテムズはふとエリアルを見やる。
短期間で魔力を蓄え、爆発的に強さを増していく化け物たちを側に置いているのを、テムズはここで踏まえてみる。
「いや、俺なんかには到底無理だ」
「それは謙遜ですよ」
エリアルが妖艶に身体を揺らしながらテムズに覆い被さる。髪留めから解放された漆黒の髪がテムズにしなだれかかり、彼の考え方を奴隷ながら反発、否定してくる。
「深淵に触れてしまった貴方には素質があるのです。貴方は選ばれた。さもなくばかつてのあたしに殺されていた。あるいはそれ以前、勇者サイガたちに殺されていても不思議ではありません」
世の中にはろくでもない人生を辿る愚か者がいる。
そういった奴こそ長生きし、生き地獄を味わされるのが残酷な理といったところだ。
彼は絵に描いたようなろくでなしであり、魔術師としては下の下。侮られ、蔑まれるのが当たり前であった。
「俺には復讐という泥臭い報復がお似合いだ。大それた真似はせずに、終わったら隠居でも考えるさ。お前らと一緒ならそこそこは楽しめそうだしな」
向上心なんてとうの昔に、憧れとともに捨て去った。そこにいるのは復讐に燃える、灰が間近な木屑ただ一つ。
それも燃えてしまえば、いよいよすることもない。
当て所なくあるはずもない居場所を求めてさまよう。
これよりも、全てを成し遂げて燃え尽きたそこらの爺さんよろしく、隠れて地道な研究をしていくのが性に合っている。
「そんなものはあたしのご主人様ではありません。全てを憎み、滅する。貴方を否定した連中は勇者サイガだけに止まらないはずです」
湯を掛け流し合う拠り所がエリアルのご高説を垂れ流す会場になってしまっていた。
エリアルは首をもたげ、彼に甘くささやく。現在敵対関係にある悪魔よりも突き抜けて恐ろしさを放つ、裏を秘めたささやきには、思わず耳を傾けてしまった。
「身近に手繰り寄せられた深淵に触れて、お前を手駒にして、俺にも思うところはあったさ。だがあまりにも壮大で乗り気にはなれなかった」
エリアルの言う通り、テムズは虐げられていた。
それが積み重なってあの不幸を招き寄せ、危うく死にかけた。彼を利用した勇者サイガらは報酬を受け、同胞を蔑ろにした罪も忘れて英雄として町を凱旋している。
屑がのさばり、弱者が虐げられるのがまかり通る世界。力なんて及ばないと分かっていながら、変えたいとは思った。
しかしながら、嫌われ者が声高々に大層なご高説を連ねたところで耳を傾ける連中なんかいやしないものだ。
「必要な力は今ここにある。征服までとはいかないが、革命へ向けて、狼煙は打ち上がった」
「ご主人様、それでこそあたしの大好きなご主人様ですよ。やる気のない人はご主人様失格です」
黒い笑みを浮かべるエリアルの頭を撫でながら、テムズは新たな目標に向けて、かつて死に絶えた自分を取り戻していた。
エリアルは一丁前に力量を測っていたようで、もしも隠居を決めていたら背中を刺して殺す気でいたようだ。
彼女の中にいるのは、後にも先にも野心に満ち溢れた主人だけというのがよく分かる対応だった。




