12. エピローグ:林檎と令嬢
セシリアとクレメントは婚約を結んだ。
サイラスとの婚約を白紙に戻した直後、性急に結婚しては不名誉な疑惑をまねきかねない。最低でも一年、婚約期間をおくこととなった。
婚約者として迎えた十八歳の聖レオーナの祭日は、二人にとって忘れられないものとなった。
「シシー、これ……」
「焼いてみたの。美味しいといいんだけど」
林檎を持って訪ねてきたクレメントはご機嫌だった。何しろ、今年は誰はばかることなく、当日に堂々と会いにいけるのだから。
木箱一杯に林檎を詰めて、朝早くやってきた彼を、ウィンクル伯爵家の一同は可笑しそうに歓迎した。
そして、セシリアは貰った林檎で料理を作った。時間がかかると言った彼女に、気分を害することもなく、待ってくれたクレメント。
セシリアは、彼になら嫌な思い出を乗り越えて、もう一度あの料理を出せるかもしれないと勇気をだした。
林檎パイを受け取ったクレメントは、慎重にフォークを口に運ぶ。
「美味しいよ、シシー。聖レオーナの日、おめでとう。また、俺に作ってくれるかい?」
「うん。クレムのために、また作るわ」
ずっと傷ついて俯いていた十二歳の自分が、ようやく顔を上げて、はにかんだ気がした。
穏やかな日々が過ぎていった。問題など起きずに、花嫁道具を準備する嬉しさは格別だった。
年が明け、春。林檎の花が咲き乱れる季節に、セシリアはクレメントと、結婚式を挙げた。
「おめでとう!」
「お幸せに!」
歓声の中で、花嫁と花婿が教会の中から姿を現す。参列者の祝福に包まれて、クレメントはセシリアを軽々と抱き上げると、その頬へキスを贈った。
林檎のように、セシリアの顔が真っ赤に染まる。
「可愛いよ、シシー」
「クレム……」
惚気る花婿へ野次が飛び、得意げなクレメントが、羨ましいだろうと友人たちへ言い返す。しっかりと抱きあげられたセシリアは、春の光と、間近から見上げる愛する人の誇らしそうな凛々しい顔に、くらくらと眩暈を覚えた。
サイラスに傷つけられ、セシリアもまた萎縮するばかりで、折り合いがつかなかった一度目の婚約。
けれど、破綻した関係を受け入れる前に、これでは駄目だと、ギリギリで拒否できた。
この人が支えてくれたからこそ、なんとか声を上げるだけの力が残っていたのだ。か細く頼りないセシリアの叫び。それを、家族が掬い上げ、不幸な婚約を白紙に戻し、オルグレン伯爵家との縁組に動いてくれた。
セシリアの林檎パイを、嬉しいと喜んで受け取ってくれた人だ。九つの頃から、そしてこの先もずっと、林檎に託して真心を捧げてくれる人だ。
クレメントと、これからも共に生きていける。
一粒の涙が、令嬢の頬を濡らす。
おめでとうの歓声に応えて、セシリアはクレメントと一緒に手を振った。