1.闇の中で輝く光
僕が何をした。
僕はただ僕として生まれてきただけなのに。
どうして虐げてくる?
何故去ってゆく?
どうしてこの孤独は埋まらない?
────この問いの答えを僕が知るときは、ほんとうに来るのだろうか。
◇◇◇
東京のはずれ。午前二時を回った頃。
冷たい雨が、容赦なく降り続いている。
僕は暗い路地の壁に背中を預け、膝を抱えて座り込んでいた。銀色の髪はぐっしょりと濡れて額に張り付き、視界を邪魔する。
パーカーとジーンズはぼろぼろな上に泥にまみれていて、重たく体に纏わりついていた。
吐いた息は白く、その寒さに肩が小刻みに震えた。
寒い。
怖い。
痛い。
瞳の奥が、まだ熱を持っていた。
「────また、暴走しちゃった・・・」
ぽつりと溢した後悔は誰に受け止められるでもなく虚空に響くだけで。
僕は、ぎゅっと硬く、目を瞑った。
この世界には、なんら変哲もない普通の人間と、そうじゃない人間たちがいる。
「宝石眼」と呼ばれる、まるで宝石のように色鮮やかに輝く瞳を宿す「異能者」だ。
◇◇◇
宝石眼。
その本当の価値とは、ただ美しいことにあるのではない。
異能と呼ばれる超常的な力の源泉であることが、人知を超えたその輝きの真価なのだ。
自然を覆し、時に天災とも呼ばれるほどの脅威的な力。
彼らはその希少さと、目が光るというあまりにも美しすぎる光景と、単純な不気味さと、そして畏怖から、長い年月の中で多くの人を魅了すると同時に、多くの人からの迫害を受けてきた。────それは今も変わらない事実である。
其れ故に、異能者の大半は裏社会で一生を過ごす。
その力や瞳の特性故に、表の世界で大勢の人間に紛れて生きるのはとても難しいからだ。
カラコンで隠しきれない、宝石に似た華やかな輝きや、異能が発動した瞬間を見られたりと、異能者であることは簡単にバレてしまうからだ。
そのために、彼らは必然と、社会から隠れてひっそりと息を潜めて生きていくか、政府や裏組織に飼い殺しにされて生きるかの、二択しかない道を歩んでいくのだ。
生涯天涯孤独で、思いを分かち合える仲間を常に探し続ける哀しき存在。
そして僕は、その「異能者」だった。
◇◇◇
一括りに「宝石の瞳」と言っても種類がある。
ルビー、サファイア、エメラルド、アメジスト、オニキス、トパーズ、ダイヤモンドの、原石と呼ばれる七つの希少な宝石眼を中心として、それぞれに派生した属性が存在するのだ。
ルビーの派生は情熱と破壊を。
サファイアの派生は知恵と静寂を。
エメラルドの派生は生命と再生を。
アメジストの派生は精神と支配を。
オニキスの派生は闇と隠蔽を。
トパーズの派生は光と希望を。
ダイヤモンドの派生は無限と幻を。
・・・というふうに。
僕の瞳は、透明感のある灰色で、角度を変えれば虹色に煌めくダイヤモンドのようにも見えるが、その正体は結局、ダイヤモンドの派生の派生でしかないただの''石英''だ。
宝石眼の中でも、最もありふれた安物で不安定なもの。
ダイヤモンドみたいに完璧じゃない。
曇りがあって、粗くて、脆い。
それでも、異能はある。
僕の異能名は「幻晶輝界」。
現実を歪めて、幻影を生み出す能力だった。
幻影と言いつつも、半3次元のような性質があって触れようと思えば触れられるし、ただの光の粒子みたいにすり抜けることだってできる。
この異能を応用して自分の分身を作ったり、刃を創り出して飛ばしたり、防御壁を張ることだってできる。
何気に便利なんだけど、体力の消耗が激しいし、何より制御が難しい。一度暴走すると、僕の体力が限界を迎えるまで誰彼構わず傷付け続けてしまう。
そんな僕を、父さんは金を生む''道具''として扱った。石英みたいなクズ能力でも、成長した僕を闇市で売れば、多少の値がつくからと、殴り、閉じ込め、無理やり瞳を光らせた。
「もっと強くしろ!」
「金を生む以外にお前の価値はないんだから!」
「お前の所為で俺は苦労してるんだ!」
母さんは僕を産んで直ぐ、家を出て行ってしまったらしい。
僕の味方は誰一人としていなかった。
・・・そもそも、異能者として生まれてきた時点で、僕の味方なんて無いに等しいのだけれど。
四日前、散々光らされて体力が尽き、倒れ込んだところ、
「ったく、役にたたねぇな‼︎」
と、逆上した父さんに失神する寸前まで殴られ、
ふつん、と糸が切れた。
限界を迎えていたはずの瞳が勝手に輝き、家中の窓ガラスが一斉に砕け散った。
無意識に造り出した幻の刃によって、父さんが壁に叩きつけられ伸びている隙に、我に返った僕はそのまま逃げ出したのだった。
・・・もっと早くこうしていればよかった、と思いながら。
それから、人目のない路地裏を転々として回った。
人目のあるところでは裏組織や政府が利用できそうな異能者を探して目を光らせているからだ。
僕みたいに不安定で制御できない瞳は、特に狙われやすい。
不安定ということは、極端に強い時も有れば、極端に弱い時も有る。最弱の時を狙われれば確実に捕まってしまうだろう。
初めの二日はよかった。
野宿だったが、父に怯えずゆっくりと眠ることができたのは本当に快適だった。
けれど、直ぐにその生活は終わりを見せた。
昨日から、父さんが雇った追手が僕の前にチラつくようになったのだ。
30分ほど前も、ここで父さんの使いの男たちに囲まれていた。
「てめぇの目、石英でも金になるんだってよ。動くんじゃねぇぞ」
いつもいつも僕が聞かされていた台詞。
男がナイフを振り上げた瞬間、また無意識的に瞳が光った。
普段の僕だったら生み出せない程の数の幻影が生まれ、僕と全く同じ姿をした幻が男たちを惑わせる。
その数、三十程。どれが本物なのか、分からない。
・・・僕だって偶に分からなくなるんだ。僕と殆ど面識のない男たちじゃ到底見分けがつかない。
これまた無意識のうちに生み出した幻の刃が飛び、一人の右腕の表面を切り裂いた。
彼の腕からは血が吹き出し、男達は恐怖に顔を歪め、悲鳴を上げながら逃げていった。
その様子を見ていた僕は、途端に我に返り、ガクンと膝をついた。
異能の暴走の反動で吐き気がした。
瞳が奥が燃えるように熱い。
僕はそれに耐えるように膝を抱え、蹲った。
◇◇◇
そして現在に至る。
僕の異能は、他人を傷つける。見ず知らずの無関係の人間まで。
折角防御壁だって張れるのに、それを全部ぶち壊すようなこの恐ろしい能力が、大嫌いだった。
石英の、安っぽい輝きのくせに、何故、ここまで力があるんだろうか。
・・・何の為に、僕は生まれたんだろうか。
考えれば考えるほど、もう訳がわからなくなってしまった。
耐え切れず逃げ出してきたことも全て、悪い事のように感じられてきて、知らずに零した涙が雨と混じって頰を伝った。
・・・痛みと吐き気が治まってきた。
なら早くこの場を移動しなければと、立ち上がりざま、足がもつれて尻餅をつく。
体が重い。寒さが骨まで染みるようだ。
「────たすけて」
もう、全て嫌になる。僕が何をしたっていうんだよ。
ただ偶々、異能者として生まれてきただけじゃないか。
確かに異能で人を傷つけたこともある。
けどそれは、そっちが先に僕を傷つけ続けたんじゃないか‼︎
────もう、限界だったんだよ。
僕は天を煽った。
ただの石英に移る景色は、暗い暗い灰色。
雨だからじゃない。
生まれて此の方、景色が色づいて見えたことなんてなかった。
そのまま後ろに倒れ込んだ。雨は弱まることなく、全身に降り注ぐ。
お腹が空いた、喉も渇いた。怖いし、眠いし、疲れてるし、痛くて、寒い────。
・・・このまま雨に打たれて、死んでしまうんだとしたら、それで良い。僕は、生まれてきたことが、罪だったんだから。
咎人が、生きていくことなんて、最初から諦めるべきだったんだ。
そんな暗い考えが頭をよぎったときだった。
「・・・凄く、綺麗な瞳だね」
低い、甘い声が、雨音を切り裂いた。
僕はびくりと体を震わせ、慌てて上半身を起こした。
路地の入り口に、大通りの光を背にして誰かが立っている。
長身の男だった。
黒いコートを羽織っていて、黒い前髪は目にかかる程長く、唇に妖しい笑みを浮かべていた。
しかし、不自然だ。
雨に一切濡れている様子がない。男は傘も差さずに、平気な顔をしている。
「────誰だ?」
もしや、また父さんからの刺客か?
恐怖と緊張で体が強張る。
瞳が、警戒心から勝手に光り始めた。
周囲に、ぼんやりとした僕の幻影がいくつか揺らぐ様子を見た男は、穏やかに笑みを深くした。
「おっと。怖がらないでよ。私は君の敵じゃない」
口調こそ軽いが声色は優しい。
だけどその言葉を、僕は信じることができなかった。
信じたいと思う気持ちと裏腹に、裏切られた分だけ、傷つけられてきた分だけ、誰かを簡単に信じることができなくなっていた。
自然と身体を支えていた右手が後ろへと下がる。
男はゆっくりと近づいてきて、僕の前にしゃがみ込んだ。
視線がかち合う。
男の目を覗き込んだ瞬間、僕はハッと息を呑んだ。
黒い瞳。
深い、深い、底なしの黒。
どこまでも落ちていきそうな暗い闇。
けれど、その中にほんの微かに揺れる虹色から目が離せない。
次の瞬間、彼の瞳が完全に漆黒に染まった。
直後、路地の影全てが蠢きだした。
影は寄り集まり、一つになっていく。やがて、男の目と同じようなブラックホールのように吸い込まれるような黒に染まっていったかと思えば、目視できないほどのスピードで僕の体の下へと移動すると、一帯の地面に広がり、やがて幻影を優しく、しかし確実に飲み込んだ。
僕の幻が、闇の中へ溶けていく。
「!?」
僕は息を呑んだ。
自分の異能が、こんな風に簡単に消されるなんてことは初めてだった。
「やっぱりまだまだ未熟だね。制御できていない。時間も持続しなさそうだ。でも訓練すればなんとかなるかな」
うんうん、と一人で頷いている男を呆然と見上げた。
────この人は僕と同じ異能者なんだ。
そう思った途端、身体の強張りが少し緩んだ。
男は立ち上がり、手を差し伸べてくる。
雨に濡れていないその手はとても暖かそうだった。
状況がよく理解できないまま、始めて差し伸べてもらった手を取るとぐっと引っ張り上げられ、立ち上がらされる。
しかし、我に返った僕は思わずその手を振り払って、俯いた。
正直、怖い。
この人はさっき「自分は敵じゃない」と言ったが、本当にそうかわからない。嘘をついている可能性なんて充分にある。
僕の存在を嗅ぎつけた闇組織の刺客だったら。
政府の異能管理局から来た人間だったら。
もしくは、父さんが新しく差し向けた人だったら。
この人が僕の味方だということの証拠なんてどこにもないじゃないか。
額に汗が滲んだ。こんなにも強い。僕の異能を一瞬で消した。抵抗してもきっと負けてしまう。
どうしたらいい。どうしたらいい。
せめて、自由なまま死にたかったんだけどな。
「あっ・・・貴方は、誰、ですか?」
声が震えた。脂汗がダラダラと背中を流れ伝う。
怖い。
僕の末路を知るのが。
しかし、彼はそんな様子の僕に気づかないとでというように飄々といってのけた。
「ん?私?私は陰地 蓮だ。
陰地なんてくっらーい苗字、いちいち呼ばれたらいつのまにか鬱になっちゃいそうだから、私を呼ぶときは下の名前で呼ぶように!
何者かって聞きたいなら・・・ん〜、そうだなぁ。ジェム・ガーディアンって聞いたことある?
私はそこのメンバーの一人だ」
ジェム・ガーディアン。
それは、殆ど外に出たことのない僕でも知っているほど有名な裏組織だった。
この世界で、宝石の瞳を持つ者たちは、普通の人間とは大きく異なる運命を背負うことになる。
異能は強大な力だが、代償も大きい。下手すれば死んでしまうこともある。
しかし、社会は僕たちを恐れながらも、使い潰そうとする。
そこで身を守る術を知らぬ異能者達を守る為に生まれたのが『宝石の守護者』だと言われている。
闇に紛れた組織でありながらも、孤独な異能者を然るべき居場所へと導いたり、異能者同士の問題を解決したりしているそうで、異能者が一言「助けて」といえば、無条件で駆けつけ、助けてくれるんだそう。
組織の正確な位置情報やメンバーは明かされていないが、噂では原石を宿す異能者が属しているとも。
・・・この人が・・・蓮さんが、ジェム・ガーディアンの一員・・・。
『宝石の守護者』なら、僕のことも、助けてくれるだろうか。
希望の光が小さく、ほんの小さく、遠い場所に、見えたような気がした。
「それで?君の名前も聞いていいかな?」
「えと・・・────晶。上戸 晶、です」
「晶くん、ね。成程、水晶の晶・・・。
うん、いい名前だ。似合っているよ、宝石みたいだ」
宝石。
その言葉に、胸がちくりと痛んだ。
僕の目は石英だ。正直、宝石なんて綺麗な言葉、ふさわしくない。
思わず俯いた。
「僕みたいなのを、宝石だなんて、例えないでください」
────ただの、石英なんだから。
そう伝えると、蓮さんは驚いたような顔をした。
「石英?まさか、そんなわけないだろ。一目見てわかった。
君は────・・・ってもしかして知らないの?」
「はい?何のことです?」
僕は蓮さんが何のことを言っているのかさっぱり理解できずただ首を傾げるばかり。
「はぁ〜。そうか、気づいていないのか・・・。困ったな・・・。どうしよ。
あ、そうだ」
悩むように顎に手を当てていた彼は何かを思いついたらしく、ピンっと人差し指を立てた。
「晶くんはさ、自分の目が原石・・・例えば、ダイヤモンドだったら。どうする?」
・・・僕の瞳が、ダイヤモンド?
「・・・いや、そんなわけないじゃないですか。
僕は石英です。ダイヤモンドより、ずっと粗くて脆い。
そもそもダイヤモンドって、原石ですよ。
原石なんて、神話レベルの話で、いるかどうかすら怪しいのに、僕がダイヤモンドな訳ないじゃないですか」
蓮さんって思いの外冗談とか言うタイプなんだなとか思いながら、僕が笑って否定すると、蓮さんは軽いテンションで、爆弾を落とし込んできた。
「原石は存在するよ?
私の目だってオニキスだし」
「えっ・・・」
あまりにも大きな爆弾すぎて思考回路がフリーズする。三秒後、蓮さんの言葉とその意味を脳内でやっと繋げられた僕は、未だ止まぬ雨音を掻き消す程の大音量で叫んでいた。
「えええぇぇぇーー⁉︎」
だが、蓮さんがオニキスならば、先程の異能のことや、オニキスの派生だと思っていた、吸い込まれるような黒色の目のことも全て辻褄が合う。
辻褄は合う。合うけど・・・っ!
衝撃の事実に再度パニックを起こした僕は訳のわからないことを言い出した。
「い、いや、蓮さんがそうでも、僕がダイヤモンドである事は関係ないって言うか・・・。どうする?って言われてもそんな可能性は1ミリもないからどうもしないし・・・」
いや、前言撤回。内容自体は結構まともなこと言ってるな。彼はそれでも食い下がってくる。
「可能性とかじゃなくさ、もし、そうだったらの話。晶くんはどうしたい?何がしたい?」
可能性とか、考えなくていいなら、自分がどうしたいかなんて────
「わかんない、です・・・」
わからなかった。自分が一体、どうしたいのか、何がしたいのか、わからない。
ただ、言われるがままに光り、終わらない暴力から、どうやって身を守るかということしか考えたことをなかったから、そこから逃げ出した今、自分が何をしたいのかわからない。
「僕は、何がしたいんだろう?」
何がしたくて、何が嫌で逃げてきたんだろう。
何処を目指して、走ってきたんだろう。
僕はこれから何に向かって歩いていけば良いのだろう。
一度疑い始めたら止まらなくて、何もわからなくなってきた。
「どうしたい、なんてわかりません。やりたいことも、行きたい所も、行くべき場所も、何もない。
・・・これは、悪いことなんでしょうか?」
「さぁ?私は異能者だからね。世間一般的なことはよくわからない」
蓮さんは笑い飛ばすような軽い口調で言った。でもね、と続ける。
「少なくとも私は悪いと思わない。何故なら私も昔そうだったからだ。ある場所から逃げたくて、必死にもがいて漸く手に入れた自由の先には何もなくて、呆然とした」
「────ただひとつだけ言っておこう。
君にやりたいことがなくても、君がダイヤモンドでなく石英でも、君は君だ。
私達ジェム・ガーディアンは、そんな原石を磨き、宝石へと仕立て上げる場所だ」
その言葉が、心に突き刺さった。誰も、そんな風に言ってくれたことない。父さんは安物だって言ってた。僕自身も、そう思ってた。なのに。胸の奥が、熱くなった。涙がにじむ。
「・・・でも、父さんは石英だって・・・安物だって・・・僕の瞳のせいで、殴られて・・・逃げてきたばかりで・・・」
声が震える。恥ずかしい。こんなところで、泣きそうになるなんて。蓮さんは静かに聞いて、笑みを浮かべた。
「もう、そんな場所に戻らなくていい。君の輝きを、私達が誰にも汚させないよ」
その言葉に、僕は震える手で、蓮さんの手を取った。温かい。本当に、温かかった。立ち上がると、体がふらつく。蓮さんが支えてくれる。
「さあ、行こう。君の本当の価値を、私たちが教えてあげる」
僕は頷いた。
今まで止まっているようだった僕の歯車がゆっくりと回り出したように思った。
雨が、少し弱まってくる。
僕の心に、小さな光が灯った気がした。
僕は今まで、ただ逃げていただけだった。
世界が怖くて、痛くて、恐ろしくて、それを紛らわすことだけに一生懸命だった。
けれど、今。蓮さんの手が、僕を導いてくれる。
少しだけ、気楽に信じてみてもいいのかもしれない。
僕の瞳が、本当に輝けるなら。




