50、秋に驚く
山景を探す。道をたずねるのは難しい。山に入り、秋に驚く。山を緑にした夏。季節が夏を忘れ始める。紅葉を踏み、朱景を汚す。山奥に古寺あり。ここに真葉はあるか。「山孤懸月」(山ひとり月に懸かる)。神仙郷を探して、山を訪ねる。もてなしはただ山菜だ。この国は、神隠しを行い人を隠す村を各地に持つ。
中国の漢詩に比べて、我が国の漢詩は出来が悪い。男は漢詩を書き、女は和歌を書いたというのはどうにも疑わしく、男の書いた漢詩に良い出来のものがない。飲食店の飾りに書いてある現代詩は、あれはなかなか読ませるものがある。
「想昔日」(むかしを思う)。毎年、秋が来る。おれもむかし、神仙郷に迷い込んだことがある。古寺で季節を料理する。百草を闘わし、茄子の天ぷらをツユにつけて食す。御飯がどんどん進む。青天が飛ぶ。深山の古寺で我が身を忘れる。古寺に真実はかすかだ。
柳田国男は「神隠し・隠れ里」で山中に神仙郷を発見したことを記している。神仙郷はたまに見つかるのだ。白髪のじいさんがいたという。おれが見つけた神仙郷には、すごい美人がいて、生活苦をぼやきながらも、客の相手をしてくれた。
おれは神仙郷の謎を解いた。神仙郷は失敗した文化なのかもしれない。衛星都市の支援を受けなければ、神仙郷は分業規模が小さく、経済が乏しくなる。神仙郷を作っているのは、国家だ。「神仙郷があった方が絶対に楽しい国だろう」という理由にはうなずくものがある。町がデコボコであるべきだという意見は、町が平等であるべきだという意見に対抗しうる。
山景の設計士が風景を捨てる。捨てられた風景に我らは住む。
我が国は、大宝律令が制定された奈良時代からずっと神仙郷を作ってきた。国中から美男美女を数百人集めて、隠れ里に住まわせるのである。これが神仙郷だ。一年に一個作るから、1300年で1300個の神仙郷を作ったと考えて良い。ちょうど、1300個というのは、市町村の数とだいたい同じだ。地元の市町村に一個どこかに神仙郷がある。そこが神隠しをする。そして、隠された子供をもてなし、遊ばせて帰す。我が国の幻想のひとつだ。
収穫の秋。鳥が人の眼をからかい、虫が人家に潜入せんとして、修験者が滝行をする。道に落ち葉が積もり、重なる。山の道は崩れ落ち、自動車が通れないため、長い距離を歩くしかない。
参考文献。
「王朝漢詩選」。




