第28話 料理と調合は似ています?
その日は朝から、驚くほど穏やかだった。
店を開ければ客は来るし、薬も売れる。けれど、急ぎの注文が入ることもなければ、慌てて新しい薬を作る必要もない。
数日前から販売を始めた体潤水も、少しずつ客に知られるようになっていた。
最初の二日ほどは、店先で少量ずつ試飲してもらった。その甲斐もあったのか、今日は以前に飲んだという客が一本買っていった。
「嬢ちゃん、この前飲ませてもらった水、一本くれ」
「体潤水ですね」
「そう、それだ。暑い日に飲むなら、ただの水よりいい気がする」
「ありがとうございます」
まだ次々と売れるほどではない。
それでも、何なのか分からない水から、名前を覚えて買いに来る客がいる商品にはなり始めていた。
夕方になり、最後の客を見送って店を閉める。
レオナールは販売メモと帳簿を広げ、残っている商品を確認した。
「……合ってるな」
「はい」
「今日も誤差なし」
「もう慣れました」
「最初からこれくらいやってくれれば楽だったんだけどな」
「最初は販売メモがありませんでしたから」
「……そういう問題か?」
以前は売上を聞いても「銀貨がいっぱいです」で済ませていたフィリエンヌだったが、販売メモを使うようになってからは違う。
売れたものを書き、その分だけ在庫が減る。当たり前のことなのだが、その当たり前ができるだけで、帳簿をつけるレオナールの負担はずいぶん減った。
今日売れた薬も確認し、補充する品と数を決める。
「これと、こっちは補充した方がいいな」
「はい。夕食のあとに作ります」
「今日はそれだけでいい。明日すぐなくなる数じゃない」
「分かりました」
帳簿を閉じれば、今日の店の仕事は終わりだ。
レオナールは椅子から立ち上がると、食材の置かれた調理台へ向かった。
ここ数日は、日中の暑さが目に見えて増している。つい先日の定休日には、フィリエンヌが子供の頃、夏になると暑さでよく倒れていたという話も聞いた。
ならば、食える時にきちんと食わせておいた方がいい。
「……体力のつくものにするか」
肉はある。
人参、大根、キノコ、ブロッコリー、ジャガイモもある。
しばらく考えて、レオナールは今日の献立を決めた。
その間、フィリエンヌは少し離れたところから、じっとレオナールを見ていた。
食材を並べる。
視線を感じる。
肉を確認する。
まだ見ている。
レオナールは一度振り返った。目が合った。
「……何だ?」
「何でもありません」
そう言う割に、視線は外れない。
妙なものを感じながら、レオナールは人参へ手を伸ばした。
「今日は何を作るのですか?」
「肉と野菜のクリーム煮にしようと思ってる」
「そうなのですね」
フィリエンヌが椅子から立ち上がった。そのまま調理台まで歩いてきて、レオナールの隣に立つ。
「何だ?」
「私もお手伝いします」
「……手伝い?」
「はい。今日は私が料理します」
「待て。話が変わってるぞ」
「では、切りますね」
「待て待て」
「なんですか?」
「いや、なぜ急に料理をするんだ」
「いつもレオナールが料理しているところを見ていますから」
「それがどうしたんだ」
「私にもできると思います」
レオナールは黙った。
脳裏に、まだ毒が抜けきっていなかった頃に食べさせられた料理が蘇る。
野菜は硬かった。味はよく分からなかった。
少なくとも、もう一度食べたいと思うものではなかった。
「……その謎の自信はどこから来たんだ」
「師匠と薬を作る時も、最初は見て覚えました」
「料理は調合じゃないぞ」
「でも、材料を切って、量って、火にかけますよね?」
「…………」
「同じでは?」
「そこだけ抜き出すと妙に似てるのが腹立つな」
フィリエンヌは不思議そうに首を傾げた。
「全部任せるのは駄目だ」
「どうしてですか?」
「どうしても何もあるか。手伝うだけならいい」
「分かりました」
返事だけは素直だった。
レオナールは少し考えて、ジャガイモを一つ渡した。
「じゃあ、まずこれの皮を剥いてくれ」
「はい」
フィリエンヌは真剣な顔でジャガイモを受け取った。
レオナールも隣で別の食材の準備を始める。
しばらくして、何気なく横を見た。
「……待て」
「なんですか?」
「それ、どこまで剥く気だ?」
「皮がなくなるまでです」
「もうとっくになくなってる」
フィリエンヌの手にあるジャガイモは、最初より明らかに小さくなっていた。
「きれいに剥けていますよ」
「きれいに小さくなってるんだよ」
「駄目ですか?」
「そんなに厚く剥いたら、食えるところまで捨てることになる」
「でも、皮は全部なくなりました」
「皮のすぐ下は味もいいし、身体にいいところだ。薄く剥けば十分だ」
「そうなのですか?」
「そうだ。だから、その小さくなった芋を見て満足そうな顔をするな」
フィリエンヌは手の中のジャガイモを見た。それから、剥いた皮の方を見る。
「……もったいないですね」
「そういうことだ」
二つ目を渡す。
今度は薄く剥くように言われたフィリエンヌは、先ほどまでとは打って変わって慎重になった。
少し剥く。止まる。厚さを見る。また少し剥く。
「……今度は遅すぎる」
「薄くと言いました」
「限度がある」
「難しいですね」
「皮剥きでそこまで悩む奴、初めて見たぞ」
それでも二つ、三つと続けるうちに、最初よりはまともになった。
「次は人参だ」
「はい」
フィリエンヌが人参を手にした、その時だった。
「キュ」
足元から小さな声がした。
フィリエンヌが下を見ると、シュネリュが人参を見上げている。
「シュネリュ?」
試しに、端をほんの少し切って差し出してみる。
シュネリュは鼻先を近づけ、すんすんと匂いを嗅いでから、ぱくりと食べた。
「人参が好きなんですか?」
もう一つ、別の人参から小さく切って差し出す。
今度は匂いを嗅いだだけで、ぷいと顔を逸らした。
「……食べません」
「何が違うんだ?」
レオナールが二本を見比べる。
先ほどシュネリュが食べた方を少し切って口にした。
「ああ。こっちの方が甘い」
「分かるんですか?」
「匂いで分かるのかもしれないな」
もう一度、甘い方を差し出す。
「キュッ」
今度は迷わず食べた。
「シュネリュは甘い人参が好きなのですね」
「みたいだな」
新しいことを知ったフィリエンヌは嬉しそうだった。
ところが、レオナールが新鮮な肉を取り出した途端、シュネリュはあっさりそちらへ移動した。
「……シュネリュ」
「キュ」
「人参はもういいんですか?」
「そりゃ肉の方が好きなんだろ」
「干し肉も好きですよね」
「肉ならだいたい好きなんじゃないか?」
シュネリュは期待に満ちた目で肉を見上げている。
「分かったから待ってろ。お前の分は味をつける前に取ってやる」
「キュッ」
「返事だけはいいな」
シュネリュの好物が一つどころか二つ判明したところで、料理へ戻る。
皮を剥いた人参とジャガイモを前に、レオナールは包丁を渡した。
「次はこれを食べやすい大きさに切ってくれ」
「何センチですか?」
「……何が?」
「食べやすい大きさです」
「そこまで決めなくていい。だいたい同じくらいで」
「何センチくらいに揃えればいいですか?」
「だから、だいたいでいいんだよ」
「それでは分かりません」
「…………」
仕方なく、レオナールが一つ切って見せた。
「これくらい」
「最初からそうしてください」
「料理でいちいち長さを測る奴はいない」
フィリエンヌが切り始める。
大きい。
次は小さい。
その次は細長い。
レオナールは途中で止めた。
「同じくらいにしろ」
「同じくらいにしています」
「してない」
「少しくらい違ってもいいのでは?」
「違いすぎる。大きさが違えば火の通り方も変わる。小さいのが崩れる頃になっても、大きい方は硬いままになるぞ」
フィリエンヌの手が止まった。
「……なるほど」
今度は切ったものを並べて比べながら、少しずつ大きさを合わせ始める。
相変わらず完璧ではない。だが、最初よりはずっとましだった。
「これくらいならいい」
「できました」
「一人で全部やったみたいな顔するなよ」
残りの食材はレオナールが処理した。
肉を切り、大根やキノコ、ブロッコリーを準備する。肉と野菜を順に火へかけ、頃合いを見て煮込み始める。
フィリエンヌはその横から、じっと鍋を見ていた。
「次は何をするのですか?」
「少し煮る」
「何分ですか?」
「……またそれか」
「時間は大事ですよ」
「料理は鍋の中も見ろ」
フィリエンヌはますます難しそうな顔になった。
やがて味を整える段階になる。
「じゃあ、塩をひとつまみ入れてくれ」
「ひとつまみ?」
「これくらいだ」
レオナールが指でつまんで見せる。
フィリエンヌはその指先をじっと見た。
「それでは毎回量が変わりませんか?」
「多少はな」
「同じ味になりません」
「料理なんてそんなもんだ」
「よくありません」
フィリエンヌは調理台の端から匙を取った。
「何してる」
「量ります」
「量るな」
「同じ量を入れた方が、次も同じ味になります」
「待て。その匙いっぱい入れる気か?」
「はい」
「多い!」
レオナールが止める。
だが、フィリエンヌは驚いて手を動かした拍子に、匙に入っていた塩の一部を鍋へ落とした。
二人で鍋を見る。
「…………」
「…………」
レオナールが味を見る。
黙る。
「どうですか?」
「……しょっぱい」
「そうですか?」
フィリエンヌも味見した。
「前よりおいしいです」
「比較対象がおかしい」
レオナールは水分とクリームを足し、味を調整する。
「薬なら量を曖昧にしたら危険ですよ」
「だからこれは薬じゃない!」
「でも、毎回同じ味にならないのは困りませんか?」
「味見して直すんだよ」
「……料理は難しいですね」
「今頃気づいたのか」
どうにか食事として成立するところまで味を戻し、クリーム煮は完成した。
シュネリュには、味付け前に取っておいた肉と甘い人参を小さな器に入れる。
三人で夕食にする。
フィリエンヌは自分も手伝ったクリーム煮を一口食べた。
「おいしいです」
「……そうか?」
「はい。前に作ったものより、ずっとおいしいです」
「だから前と比べるな」
「ジャガイモも柔らかいです」
「まあ、それはな」
「人参も柔らかいです」
「そうだな」
「私、料理ができるようになったみたいです」
「なってない」
「でも食べられますよ?」
「俺が途中から直したからな」
向こうでは、シュネリュが肉を真っ先に食べ終え、次に甘い人参をかじっている。
「シュネリュもおいしそうに食べています」
「お前が味付けした方は食わせてないけどな」
「次は一人でも作れそうです」
「やめろ」
「まだ作るとは言っていませんよ」
「だから今のうちに止めてるんだ」
夕食を終えれば、フィリエンヌは予定どおり調合台へ向かった。
補充する薬草を取り出し、必要なものを迷いなく選んで正確に量る。薬草を刻む大きさも揃っている。
火を入れれば、炎の状態を確かめながら鍋を置き、時間を確認する。頃合いを見て次の材料を加える手にも迷いがない。
レオナールは夕食の片付けをしながら、その様子をちらりと見た。
さっきまでジャガイモ一つ剥くのに苦戦し、野菜の大きさを揃えるために何センチかと聞き、塩ひとつまみに匙を持ち出していた人間と同一人物とは思えない。
調合台の前にいるフィリエンヌには、レオナールが手を出すところなど何一つなかった。
「……やっぱり料理だけおかしいな」
「何か言いました?」
「いや。何でもない」
フィリエンヌは首を傾げたあと、また何事もなかったように薬草へ手を伸ばした。




