【間章3】ヘリング家の事情3.
ユマナ・ヘリングにとって、我が子ラウレンツは可愛い一人息子である。
もともと子供ができにくく、結婚してから数年もの間、子宝に恵まれることがなかった。子供の産めない正室は、屋敷で居心地が決していいものではなく、側室を迎える動きがあったことを嘆くことさえできなかった。
それでも夫ケンドリックは断固として側室を娶ることなく、ユマナ一人を妻として愛し続けた。これは貴族では珍しいことだ。
愛情を一身に注いでくれる夫に心苦しくなり、側室を迎えて欲しいと願ったことは一度や二度ではない。それでもケンドリックは首を縦に降ることはなかった。
そんな夫婦を神は見捨てなかったのか、結婚して数年たちようやく子宝に恵まれることとなる。諦めていた周囲を含め、誰もがヘリング家の跡継ぎの誕生に喜んだ。
ラウレンツと名付けた子供が、魔力に恵まれ、魔術師としての将来が有望だとわかると一族が総出となって喜び、優れた師を探し出した。
念願の後継者に誰もが期待した。ときには甘やかすものや、過度に厳しくするものもいたが、ラウレンツはまっすぐに育ってくれた。礼儀正しく、優しく、公正であった。
年相応の反抗期もなく、やや感情的になりやすい欠点があったとしても優れた子だった。
ユマナはそんな我が子を自慢に思う一方で危うんでもいた。魔力に恵まれた子がそうであるように、ラウレンツもまた例外なく魔術師として成長していくこととなる。
魔術師の頂点である宮廷魔術師を夢見て、日々鍛錬に励む日々を送る息子が誇らしい。しかし、魔術師が危険であることを知っている母としては、両手放しに喜べはしなかった。
だが、子供というのは勝手に成長していくものだと思い知らされることとなる。
学園に入って間も無く、ピリピリしていたかと思えば、友達ができたと喜ぶようになった。すると、精神的に余裕を持つようになり、大人になったのだと感じた。そんな最中、兄のように慕っていた人を亡くし、あろうことか犯人を追うという暴挙もしたが、友人と慕う同級生に協力しその者を倒したと聞く。
その一件で縁を結んだ宮廷魔術師から弟子として扱われ、気づけば宮廷魔術師候補に名が上がったことに喜ぶ以前に驚いたのはいうまでもなかった。
そして、ギャラガー一族が起こした国家反逆に巻き込まれ、王子を救うため死闘を繰り広げ、そのまま解決に一役買ったと聞いた時には、いったい誰の話をしているのかと思ったほどだ。
正直、夫から息子が宮廷魔術師に推薦されたと聞いた時には、気を失った。
ラウレンツは成長した。まだ年齢的には成人していなくとも、立派な大人になったと母親として誇らしい。だが、やはり心配なのだ。きっと死ぬまで、この気持ちは変わらないだろう。
すでに友人から祝辞の声が届いている。それと同時に、結婚を望む声もある。アルウェイ公爵家からも、オリヴィエ奪還に協力したことの感謝の手紙と、贈り物が届いている。近々、公爵が自ら訪ねて礼を言いたとまで言ってくれているが、さすがに夫が断っていた。公爵の気持ちはわかるが、息子のことだけで手一杯なのだ。
「ラウレンツには枷が必要なのかもしれないわね」
それがユマナが出した結論だった。
よくも悪くも、息子はこれからも前に進んでいくだろう。だが、進むだけではなく、たまには足を止めて後ろを振り返って欲しい。そのためには、大切に思える誰かが必要だ。
家族では駄目だ。異性として心から愛することのできる伴侶が望ましい。
しかし、その役目を誰に任せるかというのが問題になってくる。
すでに夫の元だけではなく、ユマナの元にも大量の縁談が届いている。友人はもちろん、交友関係のない相手からもだ。
アルウェイ公爵家の派閥に属しているヘリング家は、今後その立場を高くしていくだろう。夫は喜んでいるが、母親として喜ぶことはできない。息子が大怪我を負い、命がけで戦った結果地位を高めても嬉しくない。
少し間違えば命を失っていたかもしれないと考えるだけで、夜も眠れないことだってある。
猪突猛進なところがある息子のために、信頼できる姉弟をそばに置いていたが、彼女たちはもう立派な息子の臣下になってしまった。いざというとき息子を止められない。
「過保護だというのは理解しているけれど」
それでも心配なものは心配なのだ。
ため息を吐きながら、縁談を申し込んできた一族の詳細を手に取る。
はっきりいって、あまりいい縁談は少ない。甘い汁を吸おうと、遠い親族から名を聞いて顔が浮かばない相手からの申し出も多数ある。それが一族で自慢の娘なら構わないが、浪費癖のある子や、性格に難がある子を押し付けようとする思考が理解できない。
仮にも宮廷魔術師に推薦されているのだ、そんな夫を将来的に支えることのできる娘でなければ親として頷くことはできない。
「考えるだけでも頭が痛くなるわね」
友人の娘も悪い子ではない。幼少期からラウレンツと親しい子もいる。だが、当のラウレンツが今まで接していて興味を示さなかったのだから不安が残る。
邪険にはできないので一度息子と会わせてみようと考えてはいるが、変な女に好意を抱かれても困るのだ。
無論、数人、よくできた子もおり、その子達なら――と思わなくもないが、自分たちがそうであったようにできるかぎり無理やりな婚姻はさせたくないとも思っている。
まだ未成年という理由を使って時間を稼ごうと考えるも、それはそれで面倒なことになりそうな気がする。
行き遅れを厄介払いするついでに宮廷魔術師を排出できる魔術師の家系と縁を結ぼうとする侯爵もいるのだから、それらを回避するためには早い方がいい。
「……やはりあの子しかラウレンツを任せられないわ」
ユマナは、そう呟くと、思い立ったら吉日とばかりに行動に移すことを決めた。椅子から立ちがると、彼女は同じ敷地に内に隣接する「バルトラム男爵家」に足を運ぶのだった。




