6.リュディガー公爵領での日々4. エルネスタの目覚め.
浅い眠りから覚めたジャレッドのもとに、リュディガー公爵家の家人からエルネスタが目を覚ましたと言伝をもらった。
身支度を手早く整えると、彼女の部屋に向かう。ノックをすると、リリーが顔をのぞかせた。
「おはようジャレッド。エルネスタなら起きているよ」
「おはよう。よかった。会えるかな?」
「うん。さあ、入って」
リリーに促されて部屋の中に足を進めると、ベッドの上で体を起こしているエルネスタが視界に入った。
薄手の寝間着の上にカーディガンを羽織った姿を見つけると、思わず安堵の息を吐く。
「無事でよかったよ、エルネスタさん」
「ご心配をおかけしました」
小さく頭を下げたエルネスタは、見る限り変わった様子はない。
ベッド脇の椅子に腰を降ろすと、ジャレッドは彼女に尋ねた。
「なにがあったんだ?」
「すみません。なにも覚えていないんです。自分でも、どうして気を失ってしまったのか見当もつかず」
思い出そうと目を伏せるも、首を横に振り表情を曇らせてしまう。
エルネスタの口から、夜風にあたりにいったことは記憶にあるが、そこから屋敷の部屋で目を覚ますまでの過程になにが起きたのかまったく覚えていないと言う。
一晩そばにいたリリーから話を聞き、他ならぬ本人が一番驚いたらしい。その後、記憶をたどってもなにひとつ思いだせないらしい。
「少なくてもお医者さまはなにごともないと言っていたから誰かになにかをされたとは思わないけど……記憶が曖昧なのも怖いね」
リリーの言葉にジャレッドはもちろん、エルネスタも頷く。
世の中は善人ばかりではない。女性がひとりで歩いていればよからぬことを考える輩はいる。だが、王立魔術師団員の彼女が、なにも抵抗できないはずもない。外傷はまったくと言っていいほどない以上、暴漢に襲われたという可能性もない。
「大事がないようだからいいけど、どうしても不安があるな……王都に戻ったら病院で一通り検査を受けてほしい。いいね、エルネスタさん」
「はい。そうします」
心なしか元気がないように見えるのは、きっと倒れながら記憶がないせいだろう。
「もしかすると食人鬼の一件で疲労が蓄積されたのかもしれない。俺も、その色々と迷惑をかけてしまったし、知らないうちに疲れやストレスが溜まっていたとしてもおかしくないと思うんだ」
「ジャレッドの言うとおりかもしれないね。普段と違うことをすればどうしても疲れてしまうし、肉体だけではなく精神面でもここ数日はいろいろあったからね。いい機会だから今はゆっくり休んでほしいな」
「ありがとう、リリーさん。お言葉に甘やかせていただきますね」
「じゃあわたしは朝食を持ってくるね。ジャレッドはどうする?」
「俺はいいよ。ありがとう」
そう告げると、リリーはエルネスタに少し待っていてねと言い、部屋から足取り軽く出ていく。
彼女もまたエルネスタが無事に目を覚ましたことを喜んでいるのだ。
残されたジャレッドがエルネスタを伺うと、彼女のほうから声をかけてきた。しかし、その表情は暗い。
「私は秘書官失格ですね」
「どうして急に?」
「ジャレッドさまやリリーさんに迷惑をかけただけではなく、なにがあったのか覚えていないなんて……」
「気にすることはないよ。俺だって正統魔術師軍に負けて危なかった。エルネスタさんとリリーがいなければ死んでいたかもしれない」
迷惑をかけたのであればお互い様だ。
確かにジャレッドもエルネスタも失敗をしてかもしれない。だが、まだ生きている。ならば今後挽回していけばいい。
「俺はエルネスタさんたちに助けてもらってる。だから、あまり思い詰めないでほしい」
「ですが……」
「もし本当に秘書官失格だと思うのならこれから頑張ってほしい。言っておくけど、俺は簡単に誰かを見限ることや見捨てることはしない。一緒にこれから頑張っていこう」
励ましの言葉にエルネスタが涙ぐむも、カーディガンの袖で目元を擦り、涙を拭う。
潤んだ瞳をジャレッドに向け、彼女は力強く頷いた。
そこへ朝食を手にしたリリーが現れる。ジャレッドには冷たい紅茶を用意してくれたらしく、手渡されると乾いていた喉を潤すために一口飲む。
食事の支度をはじめた二人の邪魔にならいよう廊下に出ると、
「ジャレッド、少しいいか?」
壁に寄り掛かったプファイルがいた。
「おはよう」
「ああ。どうやら無事に目を覚ましたようだな」
「とりあえずなんともないようでよかったよ。魔力の流れを見たけどとくに異常はないし。ただ――なぜ倒れていたのかまったく覚えていないみたいだ」
「なるほど……妙ではあるが、可能性が皆無というわけではない。人間、いつ具合が悪くなるのかわからず、ときには記憶が曖昧になることもある。それが疲れやストレスによって引きおこることは決して珍しいことではないはずだ」
「それはそうなんだけど」
ここ数日の間、いろいろあったことは事実だ。ならばプファイルの言うとおりである可能性も理解できる。
しかし、やはりジャレッドはひっかかりを覚えるのだ。残念ながら、ただの直感であり、確証はなにもないのだが。
「不安ならそれでいい。正統魔術師軍が目に見えて動きだした以上、お前や周辺になにかしてくる可能性もある。万が一を考えあの女に気を配っておけ」
「ああ、そうするよ。ありがとな」
「……急にどうした?」
「いや、リュディガー公爵領にきてくれたこともそうだけど、エルネスタさんのことも助けてくれて感謝しているんだ」
「ふん……ここにきたのは頼まれたからだ。あの女は偶然だ。お前の秘書官でなければ放置していた。お前が気にすることではない」
素っ気なく返事をするプファイルだが、ジャレッドは知っている。
彼自身が言うほど冷たいわけではない。出会ったときは氷のような印象があったが、一緒に生活するようになって違うとわかった。もしくは、変わったのかもしれない。
「それでもお礼が言いたかったんだよ」
「勝手にしろ」
忠告をしてくれたことを含め、感謝するジャレッドになんとも言えないかをしてプファイルは身を翻して去っていく。
もしかするとエルネスタを心配して様子を見にきてくれたのかもしれない。
素直じゃない、と思いながらもどこかプファイルらしい態度に笑みがこぼれた。
彼の忠告を胸にしまいながら、楽しそうな声を弾ませるリリーとようやく笑顔を浮かべてくれたエルネスタに、なにごともないよう祈るのだった。




