1.リュディガー公爵領での日々1. 倒れていたエルネスタ.
ジャレッド・マーフィーは、リュディガー公爵家当主フーゴ・リュディガーと大方の話を終えていた。
彼が娘であるリリー・リュディガーに対する過剰なほどの愛情は、驚きと苦笑いに包まれるも、少しだけ羨ましくも感じる。
ジャレッドは父親と不仲であった。母の死や自身の出生などにまつわる理由から、しかたがないことであったと理解はしている。父親から本心を聞き、愛されていなかったわけではないと知れたことはよかった。
だからといって父子の関係が修復されたわけではない。
もともと修復が不必要なほど関係が希薄であったため、和解という形になるも、その後父子の仲がよくなったかと尋ねられると首をかしげてしまう。
以前とは違い、父親が愛してくれていることを知ることができた。母親を愛していることもわかった。今では、ときどき手紙のやり取りもしているが――その程度だ。
これはもう許す、許さないの問題ではない。
はじめから父子の関係が破たんしていた以上、本心を知ろうと、和解しようと、新しい関係を築いていくしかないのだ。
だが、新しい関係というのはなかなか難しい。父親には子供はジャレッドだけではない。義母と義弟もいる以上、自分よりも彼らを優先してほしいという気持ちが強かった。そのことはしっかりと伝えてあり、父親も承諾した。つまり、ジャレッドとの関係は後回しなのだ。
だからだろうか、一心に娘に愛情を注ぐフーゴを父に持つリリーが羨ましく思うのだ。
彼のためにも、リリーに対して誠意ある行動をしなければならない。側室の件は、はっきり言ってジャレッドにはお手上げだ。
そのような話があったことすら知らなかったのだ。まずはオリヴィエと話さないといけない。その結果、どうなるのかまでは予想することもできないが、結論が出るのならはっきりとしたい。
「――ん?」
そのとき、部屋の窓が開く小さな音を耳にして立ち上がる。武装していなかったので、机の上に置いてあった万年筆を握り構える。
「ジャレッド、身構える必要はない。――私だ」
「……プファイル?」
カーテンの隙間から現れたのは、大陸一の暗殺組織ヴァールトイフェルの後継者のひとりであるプファイルだった。弓の使い手であると同時に、魔力の矢を無尽蔵に放つ強者である。
かつてハンネローネを狙った彼は、ジャレッドに敗北した。その後、何度か助けになってくれた経緯もあり、今では一緒に同じ屋敷で暮らしている。
敵として出会ったことが嘘のように今では友人だと思えるのだから不思議だ。
「どうして、お前がリュディガー公爵領にいるんだ――っ、じゃなくてっ、エルネスタさんになにがあった!」
プファイルがなぜここにいるのか問おうとして、彼の腕に見覚えのある人物が抱きかかえられていることに気づき慌てる。
秘書官であるエルネスタ・カイフ。以前、宮廷魔術師候補を殺し、現宮廷魔術師トレス・ブラウエルをも殺しかけたバルナバス・カイフの妹である。
宮廷魔術師に匹敵するどころか、彼らでも困難極まりない迷宮の主ミノタウロスの単身撃破を叶えた実力者であり、ジャレッドが殺めた相手だ。
バルナバスの妹であるエルネスタが、兄を手にかけた人間の秘書官を望んだことは驚きだったが、彼女は犯罪者の兄を持つため所属する王立魔術師団で苦労をしていたそうだ。
優秀であることと、彼女がなにを思い、なにを考えているのか知りたくて秘書官に決めた。
そんな彼女が力なくプファイルに抱きかかえられているのだから驚きもする。
「プファイル殿、なにがあった?」
「さあな。食人鬼の打ちもらしがいないか見て回っていた帰りに、この女を見つけた。ジャレッドの秘書官だと気づいたので、ここに連れてきた」
フーゴがプファイルの名を知っていたことから、二人はすでに顔見知りなのだと知る。
「外傷はないようだが、魔力の残滓を感じる。命に別状はないと思うが、医者に見せろ」
「見つけてくれてありがとう。あの、公爵」
「わかっている。今、医者を呼ぼう」
秘書官を受け取り、フーゴに医者の手配を頼もうとすると。それよりも早く、彼は頷き部屋から出ていった。
微塵も考えることなくエルネスタのために動いてくれた公爵に感謝しながら、ジャレッドは後を追う。
プファイルに関して気になることは多いが、今はエルネスタが心配でならなかった。
「リリー! おい、リリーっ!」
廊下を進みながら大きな声で娘を呼ぶ。
「お父さま、なにかあったので――っ、エルネスタ!?」
「医者を連れてこい。エルネスタ殿が外で倒れていたそうだ。早くしろ!」
父親に頷くと、リリーは走って医者を呼びにいく。
「エルネスタ殿の部屋はこっちだ」
「はい」
フーゴに従い、ジャレッドはエルネスタを部屋まで運ぶと、そっとベッドに横たえた。
呼吸と魔力の流れを確認するが、乱れた様子はない。わずかに涙のあとがあることに気づいたが、気を失っている彼女に問うことはできない。
「お父さまっ、連れてきたよ!」
すぐにリリーが屋敷に常駐している医者を連れてきてくれた。初老にさしかかった医者は、ベッドの上のエルネスタの診察をはじめた。
じっと、見守ることしかできないジャレッドたち。
「ふむ……私の見る限り、問題はないでしょうな」
「それは本当か?」
「ええ。魔力の残滓は確かに感じましたが、外傷はありません。おそらく、彼女が魔術を使おうとしたのでしょう。戦ったような痕跡はもちろん、打撲傷すらありません。なぜ気を失ったのかは本人ではないとわかりませんが、大丈夫です」
医者の言葉にジャレッドたちが安堵の息を吐く。
なにごともなかったことを素直に喜ぶ一方で、ならばなぜエルネスタが倒れていたのかという不安も残った。
しかし、今はただ彼女の無事を喜ぶことにして、目を覚ましたら事情を聞くとしよう。
エルネスタのそばにいてくれると言うリリーに、彼女のことを任せジャレッドたちは部屋をあとにするのだった。




