41.オリヴィエの心配.
――ウェザード王国王都、アルウェイ公爵家別宅にて、オリヴィエ・アルウェイは集めた情報を前に、頭を抱えていた。
「リュディガー公爵領に食人鬼の群れ……それも二百体以上ね。どうしてこうもジャレッドに面倒事ばかり降りかかるのかしら」
机に広がる資料は、父のハーラルト・アルウェイに頼んで送ってもらったものだけではない。ヴァールトイフェルの情報力を使い、プファイルとローザが調べてくれたものでもある。
すでにジャレッドが秘書官を連れてリュディガー公爵領に向かってから六時間が経っているが、なにも連絡がない。
アルウェイ公爵家の使い魔を放ち、リュディガー公爵家に情報を求める旨を伝えてあるが、今のところなにもない。
魔術師協会も情報をあまり得ていないようで、職員のデニス・ベックマンから今回の一件の説明と、王都に戻ってきた竜騎士からの情報を得たくらいだ。
魔術師協会はリュディガー公爵領に物資などを主とした後方支援に向かっているため、情報をよこせと問うことは躊躇われる。
「落ちついたらどうだ、オリヴィエ」
「ローザ……落ち着けないわ」
「今、プファイルが向かっている。奴の足ならば、夕方にはリュディガー公爵領についているはずだ」
「あなたと彼には感謝しているわ。まさか、ジャレッドの様子を見にいってくれるなんて思ってもいなかったから」
プファイルとローザはジャレッドと屋敷を守ると約束していた。現在、ハンネローネを襲うコルネリアの脅威はなく、ジャレッドの母の仇であるアネットもいない。
それでも、万が一に備えたいと考えていたジャレッドの意を酌んだのは、ひとえにプファイルたちがただ同居しているだけの関係ではなく、屋敷に住まう人たちを好ましく思っているからだ。
「感謝の必要はない。アルメイダ殿が屋敷の守りを任せても構わないと言ってくださったので、私たちが自由に動ける」
婚約者の師であり、ヴァールトイフェルの面々が敬意を払って接する、見た目こそ幼いアルメイダのおかげで、ローザたちは屋敷の守りに集中する必要がなくなった。
彼女は今、竜の少女璃桜と、もうひとりの婚約者であるイェニー・ダウムと一緒に庭で花壇をいじっている。もちろん、その場に母ハンネローネもいた。
アルメイダの実力はオリヴィエにはわからない。だが、彼女の信頼するジャレッドを救い、鍛え、一流の魔術師に育ててくれた人物なら信用できた。
同じ屋敷に住んでいれば会話もあり、意外と相性がいい。当初、ジャレッドのために身を引くことも考えろと言われたこともあったが、今ではそんな素振りはないので安心している。ときどき、姑のような発言をすることもあるが、それらを含めてうまくやっている。
「ねえ、ローザやプファイルなら百を超える食人鬼の群れを相手にして生きて帰ってこられるかしら?」
「無論だ。夜は厄介だが、日中ならば魔術ですべて焼き尽くせばいい。もっとも、私たちは魔術を使うことは任務では禁じられているのでときと場合にもよるが、それでも生還は難しくない。なによりも――ジャレッドには石化魔術がある」
「失われていたはずの、古代魔術よね?」
「そうだ。アルメイダ殿と暮らしていたときに書物を読み覚えていたらしい。即席で使ったジャレッドには驚かされるが、話を聞けば恵まれた魔力と地属性魔術の相性で強引に使ったに近い。だからこそ、心配もある」
「心配ってなにかしら?」
オリヴィエは思わず息を飲み、震える声を隠すように問う。
「石化魔術は未完成ゆえに魔力消費が激しい。いくら魔力に恵まれている奴でも、繰り返し撃てば魔力が空になる。そのときに敵が残っていれば、危険だ」
魔力は有限だ。いくらジャレッドの魔力が規格外であっても、消費の激しい魔術を続けて使えばいずれなくなる。魔力がなくなれば彼は体術とナイフで戦うしかない。
接近戦も鍛えられているが、リスクが大きくなる。魔力が不足すれば自然と肉体の消耗もしてしまう、そのときに万全ではない肉体でどこまで戦えるか不安が残る。
「だが、あくまでもジャレッドがひとりで戦っている場合だ。幸いと言うべきか、秘書官に魔術師がいて、リュディガー公爵家の兵もともに戦っている。ならば、単身で危機に陥ることはそうそうあるまい」
「そう、よね」
「あの辺りは蛮族の侵攻があるため食人鬼の襲撃に便乗して襲ってこなければいいのだが――む」
不意に言葉を止めたローザが、窓から外を覗く。
「どうかしたの?」
「いや、侵入を試みようとした愚か者がアルメイダ殿に気づかれ、イェニーに撃退された」
「……そう、またなのね」
「心当たりは――あるようだな」
「ええ、あるわ。どうやらジャレッドとわたくしが婚約したことを快く思わない人間がいるらしいわ」
魔術師として優れたジャレッドと良縁を結びたいと思う人間は多い。宮廷魔術師候補となる前からいたそうだが、オリヴィエと婚約し宮廷魔術師になることが決まってからは、より多くの人間が彼となんとか縁を得ようとしている。
大半が男爵から伯爵家であり、公爵家のオリヴィエが正室となるのなら是非とも側室にという声ばかりだ。しかし、明らかにオリヴィエを無視して正室を求める声もある。その多くが、代々魔術師を輩出している一族だ。
「言い方は悪いけれど、魔術師至上主義者たちよ」
「ああ、奴らか。私たち――いや、ヴァールトイフェルも魔術師至上主義者には目をつけている。とくに過激派と呼ばれ軍を名乗る――正統魔術師軍に関しては、ワハシュが直接指揮して追っている」
「……正統魔術師軍? 聞いたことがないわ」
「奴らは、魔術師こそ進化した人間であり、国を率いる正当な存在だと主張している。水面下であるが、確実に動き――この国を乗っ取り魔術師の国へ変えようとしているのだ」
オリヴィエは言葉を失う。
そんなことができるわけがない。魔術師は確かに強いだろうし、戦えば実力者ばかりだと聞く。すくなくとも少し武芸を嗜んだ程度の人間では相手にならないのもわかる。
だが、魔術師は希少だ。魔力を持つ人間さえ少なく、魔術師として活動できる者など限られている。
そんな彼らが国を乗っ取ろうなどと、無理に決まっている。そもそも人員が足りないはずだ。
「できるはずがないわ、仮に事を起こしても国には宮廷魔術師や王立魔術師団、王立騎士団もいるわ。王都守護のアルウェイ公爵家も有事には動くし、なにかあれば各地の貴族が黙っていないはずよ」
「それでもできると思っているからこそ奴らが危険だと判断している」
「……こうは言いたくないけれど、頭がおかしいんじゃないかしら」
感情を隠さないオリヴィエに、ローザは同調するように苦笑した。
「だろうな。少なからず頭がおかしくなければ、国を乗っ取ろうなど思わない。お前たち公爵家の中で、魔力を持つ者が何人いる? 王族の血を引くものではどうだ? 奴らはすべて排するつもりだぞ。行動を移していないだけで、隙さえあればいつ動くかわからない欲に塗れた獣だ」
「――まさか、先ほどの侵入者もそうだというの?」
「いや、違うだろうな。地下に潜って行動している奴らがわかりやすく行動するはずがない。今回は、ジャレッドの情報を欲しがっている人間たちなのだろう――なに、軽く拷問してすべて聞きだしてやろう」
「あのね、お茶みたいな軽さで拷問するなんて言わないでくれるかしら……まさかとは思うけど、今までの侵入者にも拷問なんてしていないわよね」
「……」
「返事なさい!」
ジャレッドの心配をしていたはずなのだが、ローザの気づかいかそれとも素なのか、少しだけ気が紛れた。
「では、私は侵入者の回収にいってくる。いつまでも放置しておいたらハンネローネ殿に気づかれてしまう」
「……いいわ、お願い。ただし、あまり手荒なことはしないでちょうだい」
「わかっているさ。あくまでもヴァールトイフェルのやさしさで対応するつもりだ」
おそらく優しさを受ける侵入者にとっては辛いことになるだろう。
しかし、オリヴィエは止めようとは思わなかった。どのような意図があるにしても、好き勝手に人の屋敷に侵入しようとする輩に対する温情は持ちあわせていないのだ。
「おそらくプファイルがリュディガー公爵家に到着さえすれば連絡があるだろう。もどかしいかもしれないが、今は待て。宮廷魔術師の妻になろうというのなら、しっかりと構えているべきだ」
「そう、そうね、そうよね。ありがとう、ローザ」
冷静さを取り戻すことができたオリヴィエは、窘めてくれたローザに感謝する。
今後、心配する機会は増えると承知していたはずなのに、不安を抑えきれない未熟さが恥ずかしい。
心配はしても、不安になるのはジャレッドを信じていないことになる。
「わたくしはジャレッドを信じているわ」
「ならばそれでいい。堂々としていろ、そうでなければ――イェニーやリュディガー公爵の娘に正室の座を奪われるぞ?」
「――っ、あなたリリーのことを?」
「私たちを甘く見るな。名と経歴を隠しただけで、なにが変わる? 知己ではない人間には通じるかもしれないが、顔を知っていれば一目瞭然だろうが」
事実、オリヴィエは一目見てアリーと名乗っていた女性が、リリー・リュディガーだとわかった。
だがまさかローザがリリーに関して知っているとは思っていなかっただけに驚きは大きい。
そんな時だった、
「――どうやら知らせが届いたようだな」
「え?」
なにを言っているのか問おうとするよりも先に、部屋の扉が音を立てて開かれる。
そこには無表情ながら、オリヴィエにはわかる安堵が浮かべたトレーネがいた。
「オリヴィエ様――ジャレッド様の無事が確認できました」
彼女が発した言葉を理解したオリヴィエは、心から婚約者の無事を安心したのだった。




