29.オリヴィエとジャレッドの時間。
「あなたって、本当にお人好しなのね……」
今日の出来事をオリヴィエに伝えたジャレッドは、彼女からどこか呆れを含んだ苦笑と向けられてしまった。
「これから宮廷魔術師になろうとしている人間が、王立魔術師団の副隊長を倒して敵に回すなんて、前代未聞じゃないかしら?」
「ですよねぇ」
後悔などしていない。
エルネスタに対する暴言は許せなかったし、あのレドモンドという男の態度の腹が立ったのは事実だ。やり過ぎたとも思わない。
自分が王立魔術師団から敵視されることでオリヴィエはもちろん、秘書官たちに迷惑をかける可能性があるが、それ以上にあの男を含めあの場にいた人間に対する態度が許せなかったのだ。
「ジャレッドがバルナバスとエルネスタに負い目を感じる必要はないのよ?」
そう言って、オリヴィエはそっとジャレッドの頭を抱きしめ胸元に寄せた。
最近では、必ずといっていいほどこういうことをされてしまう。なんだか、姉や母に甘やかされている気分となって気恥ずかしさを覚えてしまうため、なかなか慣れない。
そもそも夜だというのに、薄手の寝間着姿のオリヴィエと彼女のベッドの上で二人きりだ。正直、緊張もしている。
もうひとりの婚約者であるイェニーは、オリヴィエを正室として立てているため、二人の時間に割って入るようなことは決してしない。だからといって関係が悪いわけでもなく、むしろ実姉妹よりも良好なのだから不思議だ。
「あなたはするべきことをしたの。それだけよ」
「それでも、エルネスタさんから兄を奪いました」
「もうっ、気持ちはわかるけど、バルナバスは捕まれば死罪だったわ。魔術師として戦って最期を迎えることができたのだから、彼だって本望だったはずよ」
「そうだといいんですけど」
「なによりも、ブラウエル伯爵と関係者はもう裁かれたのだから、どうしようもないわ。あなたにできることは、あの子にいつまでも負い目を感じているのではなく、力になってあげること――そうでしょう?」
はぁ、とため息をついてオリヴィエは続ける。
「エルネスタの問題は、彼女自身の心の問題よ。冷たい言い方だけれど、第三者があれこれ言ったとしてもきっと混乱させるだけだわ。きっと彼女自身がどうすればいいのかわかっているはずよ。その上で、心が頭に追いつかないのよ」
オリヴィエは、事情は違ってもかつての自分に似ているとエルネスタを思う。
かつての自分も頑なだった。母とトレーネ以外を信じず、少ない友人も、家族さえも遠ざけて、狭い世界に引きこもっていた。
エルネスタもそうだ。境遇には同情するし、家族を失った辛さは察するに余りある。だが、それで終わりではないのだ。彼女の人生はまだ続くし、生きているのなら兄のぶんまで幸せになるべきだ。
まだ時間が必要かもしれないが、前へ進む覚悟ができればジャレッドは協力を惜しまないはずだ。
かつて自分たちのために命がけで奮闘してくれたように――。
――でも、ちょっと、いいえ、すごく嫉妬してしまうわ。
女として、婚約者として、愛しい少年が他の女性を気にかけるのは面白く思えない。たとえ、負い目からであっても、複雑な感情を抱いてしまう。
自分ばかりがやきもきしていることが悔しかったので、彼の気分を変えることを兼ねて、からかうことにした。
「それにしてもずいぶんとあの子のことを気にかけるのね。負い目はさておき、ずいぶん美人だったし、あの白髪と整った容姿もはかなげに見えるからかしら?」
「ち、違いますから! そんなつもりはないです、邪推しないでください!」
「……今、言葉が詰まったわよね? まさかとは思うけど――」
「だから違いますって! 確かにエルネスタさんは美人ですけど、そういう対象じゃないです。秘書官なんですよ?」
「そんなにムキになると逆に怪しいわよ……なんて言ったらあなたはもっと困るでしょうからこのくらいにしておいてあげるわ。大きな声もだせたのだから、少しはすっきりしたかしら?」
一瞬、なにを言われたのかわからなかったジャレッドは、困った顔をした。
「元気づけてくれるなら、もっとわかりやすい方法でお願いしますよ……本気で、邪推されているのかと思いました」
「ふふっ、ごめんなさい。婚約者に抱きしめられながら、他の女の子の事ばかり話すからつい嫉妬しちゃったのよ」
「……それは、その――ごめんなさい」
「よろしい」
しまった、と内心思いジャレッドは素直に謝った。口にしているほどオリヴィエが怒っていないとわかっているが、マナー違反だったことは明らかだ。
ここ数日、エルネスタのことばかり気にしてしまっているのは、オリヴィエが邪推した理由からではなく、兄を奪った負い目からだと自覚している。
無論、彼を止めるには他の方法がなかったと今でも思うが、遺族を前にすると思うことは多々あるのだ。
「さてと、エルネスタのことはいいとして、問題はリリ――じゃない、アリー・フェルよ。あの子には気をつけないさいよ」
「知りあいだと聞きましたけど、ただの後輩先輩だけじゃないですよね?」
「ええ、あの子のことはよく知っているわ。悪い子ではないことは保証するけれど、腹黒いところもあるから、警戒しておきなさい」
「警戒が必要には見えませんが、一応しておきますね」
実際、名前から経歴まで不詳なのだから警戒に値する人物であるが、ジャレッドも今まで多くの人間と出会っている。数日つきあえば、彼女が善人か悪人かくらいは判断できる。
なによりも、オリヴィエが知己であったことから、警戒レベルを下げた。そして、今日アリーがエルネスタのために心から怒った姿を見て、この人なら大丈夫だと思ったのだ。
「ねえ、わたくしになにも聞かないの?」
「アリーさんのことですか?」
「そうよ。わたくしは、知りあいなのよ。なら、教えろと言わないかしら、普通?」
確かにジャレッドの欲している答えをオリヴィエは持っている。
知りたくないと言えば嘘になるが、あえて聞かないのには理由がある。
「俺が思うに、アリーさんは理由があって俺に素性を隠している。そして、オリヴィエさまもそのことは知っている、だから言えない。違いますか?」
「それはそうなのだけど、黙っていることが申し訳ないと思うのよ。でも、アリーのことを考えると勝手に話してしまっていいのかとも」
「話さなくていいんですよ。彼女が言いたくなったら聞くことにしていますから」
エルネスタのために、あんなにも怒ることができるアリーなら、たとえ素性がわからずとも問題ないだろう。
だが、オリヴィエはジャレッドへの負い目から不安のようだ。
「いいの? わたくしとあの子のわがままにあなたがつきあう必要なんてないのよ?」
「そんなこといちいち気にしませんよ。それに――」
「それに?」
「オリヴィエさまのわがままなところは好きですから」
「――なっ、ななっ、なにを言うのよ!」
嘘偽りない言葉だったのだが、婚約者は気に入らなかったようだ。
真っ赤な顔をして枕を振り回し始めたオリヴィエに、自然と笑みがこぼれる。悩んでいたことを忘れることはできずとも、気持ちを切り替えることはできた。彼女と過ごすと、いつも力を与えてくれる。
――ありがとうございます、オリヴィエさま。
口にはださず感謝しながら、もうひとつの枕を手に取り反撃してみると、動きをとめて彼女は驚いた顔をした。
すぐに唇をつり上げると、再び枕を向けてくる。
膨れていたオリヴィエの声が、楽しげになるのに、時間はそうかからなかった。




