5.姉と弟.
「姉上――少しお時間よろしいでしょうか?」
エミーリアを落ちつかせ、後日屋敷にくることが決まったことを父に報告し書斎をあとにしたオリヴィエを呼び止める声が聞こえた。
振り返らずとも声の主はわかる。この屋敷で彼女のことを親しみの籠った声で姉上と呼ぶのはひとりだけだ。
「あら、トビアスじゃないの。どうかしたのかしら?」
アルウェイ公爵の長男トビアス・アルウェイが真面目な顔をして立っていた。
オリヴィエとトビアスは姉弟だがあまり似ていない。父は同じでも母が違うからしかたがないのかもしれないが、幼いころは少し残念だったことを思いだす。オリヴィエの髪がブロンドに対し、トビアスの髪の色は茶色い。エミーリアは同じブロンドだが、日に当たるとやや茶色がかかる。
顔つきもそうだ。オリヴィエはハンネローネに似ているが、トビアスは父ハーラルトに似ている。
「ご相談したいことがありまして……」
彼の母コルネリアが父たちによって捕縛されてから、幼少期のようにトビアスとの会話が増えた。しかし、仲がいいわけではない。オリヴィエはしがらみなど気にしていなかった幼いころのように兄弟として元に戻れるとは思わないが、やり直すことはできると信じている。対し、トビアスは負い目からかまるで姉ではなく、主に対する臣下のように接することがある。
気持ちはわからなくもないが、やめてほしいと再三伝えているのだが、弟がオリヴィエに対する態度は未だ硬い。
「構わないよ。長くなるのならどこかの部屋でお茶でも飲みながら」
「いえ、すぐにすみます。姉上のお時間を無駄にさせたくはありませんので」
少しでも姉弟中を縮めようとしたオリヴィエだったが、トビアスの言葉に心なしか落ち込んでしまう。
もしかしたら弟は心中では自分や母に思うことがあるのかもしれない。そう思わずにはいられない。
「そんなことを気にしなくてもいいのよ?」
「他にも用事がありますので申し訳ございません。また次の機会にゆっくりと」
トビアスはもともと自己主張をする性格ではない。おとなしいのではなく、周囲に気を使う性格だった。気の強い母が家人や他の側室たちに当たり散らす場面を見ていたせいもあり、自然とおとなしい人間として成長していくことになる。
そのためか彼はコルネリアに逆らうこともできず望まれるまま生きてきた。今のトビアスは、母による長い支配から解放されているのだが、母のしたこと、妹が加担していたことを含めると、従来の性格と相まってオリヴィエたちに下手な態度を取るようになる。これは末の弟のコンラートとその母テレーゼにも同じだ。
いつか時間が解決してくれるとオリヴィエは信じているが、どれだけ時間を費やせばトビアスの態度が軟化するかわかるはずもない。
想像以上に、コルネリアの残した爪痕が残っているのだと実感せざるを得なかった。
「姉上とハンネローネさまには謝罪させていただいましたが、巻き込んでしまったどころか母のせいで幾度となく戦ったジャレッド殿、妹のせいで誘拐されてしまったイェニー殿にまだ謝罪ができていません。お忙しいとは伺っていましたが、そろそろ正式に謝罪させていただけないかと思っています。ご都合をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「……あなたねぇ、謝罪はいらないって言ったでしょう。何度も言うけれど、トビアスが悪いわけではないのよ。あなたはなにも知らなかったのだから」
「いえ、知らなかったことが罪だと思っています。知って止められていたかは疑問ですが、姉上とハンネローネさまが母のせいで苦しんでいながら私はなにも知らなかった。それが恥ずかしいのです」
「……トビアス」
「そんな私を息子として愛してくださると言ってくださったハンネローネさま、こうして変わらず弟として接してくださる姉上には、どれだけ感謝しているか……。エミーリアのことも気にかけてくださり、感謝の言葉もございません」
「ジャレッドもイェニーも気にしていないと言ってくれているのだから……」
実際、ジャレッドとイェニーはトビアスに対して悪感情はない。加担しかけたエミーリアに対しても許すどころか、最初から悪く思っていないのだから、なにも知らなかったトビアスが謝罪する必要はない――そう言ってあげたい。
同時に、トビアスの気持ちも理解はできる。家族のしでかしたことだ。彼の言葉通り、知っていてなにかできたとは限らないが、知らなかったゆえに謝罪したい。家族のしたことだからこそ謝罪するべきだと思うのだろう。
「ならばせめて、ご挨拶だけでもさせてください。ジャレッド殿はいずれ姉上の夫となる方です。私の義兄になる方なのですから、やはり」
「……お、おお、夫って――ま、まだ早いわ。それに、その、宮廷魔術師のことや、色々と忙しいの、もちろん、あなたとジャレッドが良好な関係を築いてくれたらわたくしも安心だけど、でも、その、早いわっ」
夫――の一言で、急に頬を紅潮させもじもじし始めたオリヴィエに、トビアスは目を細めて微笑んだ。
下手にでていた青年ではなく、姉を想う弟として微笑ましいと思わずにはいられなかった。
「な、なによ」
「いえ、姉上は変わられましたね。私の知る姉上は――母のせいでいつも張りつめていました。しかし、今はとてもかわいらしく思います。それだけ、ジャレッド殿が素敵な方なのでしょうね」
「か、からかうのはやめなさいっ」
赤くなった頬を隠すように手で押さえると、気恥ずかしさから不機嫌となり、弟を睨む。
「すみません。ですが、ジャレッド殿のご活躍は私の耳にも入っています。宮廷魔術師に相応しい方です。もちろん、姉上の夫としても」
「――本当にそうなのかしら?」
「姉上?」
ジャレッドのことを褒めたつもりが、姉の表情が消えたことでトビアスは内心焦った。なにか気に障ることを言ってしまったのか、それとも別のなにかがあるのか。
「どうかしましたか? なにか悩みがあるのでしたら」
「いいえ、なんでもないわ。忘れてちょうだい」
「……しかし」
「お願いだから忘れて。いいわ、ジャレッドとイェニーに都合を聞いてみるわね。ただし、謝罪ではなく挨拶よ。くれぐれも間違えないようにね。すぐに手紙をだすから待っていてちょうだい」
「……わかりました。お待ちしています」
頭を下げたトビアスは、オリヴィエを案ずる。
婚約者との関係は良好だと聞いているが、もしかするとなにか不安でも抱えているのかもしれない。
挨拶を交わし、別宅へ戻る姉を見送ったトビアスは、早く姉に心から幸せになってほしいと願う。
そして、その日の夜、ジャレッドたちがいつでも歓迎してくれる旨の手紙を受け取り、ならば明日にでも、と返事をしたのだった。




