3.オリヴィエとエミーリア1.
ジャレッドとトレスが魔術師協会にいるころ――オリヴィエ・アルウェイは妹のエミーリア・アルウェイと会うために、アルウェイ公爵家本家を訪ねていた。
「ジャレッドさまのご実家の一件は大変だったそうですわね」
「ええ、とても。でも、大変だった甲斐はあったわ。おかげでリズ・マーフィーさまの死の元凶と、ダウム男爵家とアルウェイ公爵家に対する脅威もすべて排除できたもの」
口ではそう言うも、実際は簡単ではなかった。知らないところで父とジャレッド両祖父が行動しており、結果うまくいったのだ。
オリヴィエにしてみれば、婚約者の精神状態、祖父とはいえヴァールトイフェルの長であるワハシュとの戦闘と続き、決して冷静ではいられなかった。
なによりも、ジャレッドの戦いが終わるのをただ待つだけということが辛く、なぜ自分に戦う手段がないのだろう、どうして魔術師ではなかったのだろうかと思いさえした。
「お姉さまも大変だったようですわね。今のお顔を見ていればわかりますわ」
「もう二週間も前の話なのに、つい昨日のことのように思えるわ。わたくしと出会ってからジャレッドはいつも大変な目に遭い傷ついてばかりよ――ときどき自分が疫病神ではないかと疑問にさえ思うわ」
ジャレッドとオリヴィエが出会ってから三か月が経った。まだ、三か月だ。にも関わらず、ジャレッドは何度も戦い、傷つき、苦悩している。
初めて会ったとき、婚約するわけにはいかないと相手が嫌がるよう無理難題を吹っかけたことが懐かしい。しかし、宮廷魔術師になれという無謀なオリヴィエの条件もジャレッドは叶えてしまった。もちろん、彼自身が戦い傷つくという代償を伴うことで、だ。
「ふと思うことがあるのよ」
「お姉さま?」
「わたくしはジャレッドと一緒にいていいのかしら、わたくしだけでジャレッドを支えてあげることができるのかしら――と」
珍しく弱気な姉にエミーリアは言葉もない。
かつてオリヴィエの母ハンネローネが自分の母であり側室だったコルネリアによって命を狙われていることがあった。そのときのオリヴィエは決して弱音を吐くものかと歯を食いしばり、周囲に弱みを見せず、同時に父親を含めて誰も信用していなかった。例外だったのは姉妹同然に育ったトレーネ・グラスラーだけ。
ジャレッドと出会う前のオリヴィエは強かった。エミーリアにはない強さを持ち、羨ましいと思った。ゆえに母とともに悪事を企てもした。しかし、今はどうだ。年の離れた姉にはかつての強さがなくなっていた。
もともと強い女性ではなかったのだが、境遇が強くさせた。強くならなければならなかった。それは他ならぬエミーリアや彼女の母のせいだが、もうオリヴィエにとって二人は脅威ではない。
守ってくれる人がいて、愛する人ができた。信頼でき、心を許すことができたことは素晴らしいことであり、羨むべきことだが――結果として、オリヴィエ・アルウェイという女性を弱くした。
エミーリアは思う。姉が弱くなってよかったと。弱くなることができてよかった。
何年も張りつめていた弦のようだった姉は、今はすっかり悩める少女のようになっている。初めて愛した少年のことを思い苦悩している様子は、かわいらしくさえ思える。
オリヴィエが悩むことも理解できる。ジャレッドと婚約してから、次々と事件が起きたのだ。きっかけであったかもしれないが、決して原因ではないことは間違いない。
「弱気なことをおっしゃらないでくださいまし――もしかして、レナ・ダウムさまにジャレッドさまの側室になるチャンスを与えたのも、お姉さまのお悩みが理由ですか?」
「いいえ、レナ・ダウムに関しては試しただけよ」
「といいますと?」
「イェニーとマルテさまはレナにチャンスを与えてほしいと願われたわ。ずっとジャレッドに想いを寄せて素直になることができず悪事に知らぬうちに巻き込まれた――かわいそうだと思ってしまうことは理解できるけど、わたくしは同情しなかったわ。彼女自身が素直になれば話は簡単だったのだから。もちろん、それが難しいことは承知しているけれど、ジャレッドが大変なときまで感情を偽る必要があったかどうか疑問よ」
オリヴィエの言葉を受け「そうですわね」とエミーリアは呟く。
レナはジャレッドの従姉妹で幼なじみだ。幼少期のころは知らないが、近年では想い人に素直になることができずにいた。それどころか、ジャレッドの弟と婚約すると言いだし、結果――悪事に巻き込まれてしまった。
ダウム男爵家側室アネット・パッジの悪行に気づき、祖父母に助けを求めたことはいい判断だと思う。だが、それ以前の問題だ。想い人がいながら、想い人の敵に回るような行動自体が理解しがたい。素直になれない以外にも感情はあったのだろうが、それにしても自分で自分の首を絞める結果だと言わざるを得なかった。
「ですが、お姉さまはレナさまにチャンスをお与えになりましたわね?」
「ええ、あの女はわたくしのあげたチャンスを見事にものにしたわ」
「あの、側室にはなっていないのですよね?」
「そうよ。もし、レナがジャレッドに側室の話を少しでも話していたら、わたくしは全力をもってしてあの女を潰していたわ」
チャンスを与えながら、うまくいけば潰そうと企む姉に疑問を覚えてしまう。
だが、エミーリアが問う前に、オリヴィエが続けた。
「わたくしはね、レナ・ダウムを調べたときから気に入らなかったのよ。同じ姉妹でイェニーは素直にジャレッドを慕っていながら、レナはできなかった。それは自業自得でしょう。心を入れ替えたから、素直になることができたから、今までのことを許して想い人と結ばせてあげる――そんなことは許されないわ。それでは、ずっと素直にジャレッドを慕っていたイェニーがかわいそうじゃない」
更生した人間にチャンスを与えたいという感情は理解できる。オリヴィエもジャレッドが絡んでいなければレナに多くのチャンスを与えたかもしれない。
しかし、レナの望みはジャレッドだ。素直になれず、望まぬとはいえ敵対側についてしまったレナが、心を入れ替えただけでジャレッドと結ばれる――そんな結末は我慢できなかった。
イェニーと同じく何年も、それこそ生まれたときからチャンスがありながら勝手にふいにしてきたのだ。
ジャレッドを想い続け、側室にしてほしいと単身屋敷に現れたイェニーなら喜んで受け入れるが、お膳立てしてもらえなければまともに想いさえ伝えられないレナをオリヴィエは拒絶した。
ゆえに――言葉でこそチャンスを与えると言いながらも、レナ・ダウムのプライドを刺激した。言葉の端々に、甘えるなと意味を含ませた。
結果として、レナはジャレッドに想いこそ伝えたが、側室になることはない。彼女自身が長く続いた初恋に終止符を打ったのだ。会話を聞いていたわけではないし、ジャレッドから聞いたわけでもない。
ただ、レナが側室にならない。その事実だけでオリヴィエは満足していた。
「そうですわね……確かに、レナさまをジャレッドさまの側室にしてしまえば、イェニーさんがかわいそうですわね。あれほど一途にお慕いしているのですから」
エミーリアはオリヴィエに連れられて何度か顔を見せにきてくれたイェニーを思いだす。彼女のジャレッドに対する想いは本物だ。もしかするとオリヴィエよりも深い想いかもしれないとさえ思うことがある。
ただし、彼女の想いは独占でも、自分が一番でもない。ジャレッドが幸せならそれがイェニーの幸せなのだ。
エミーリアも同じくジャレッドに想いを寄せているが、交友を深めている年下のかわいらしい少女のように想いを昇華することなどはできそうもない。きっとオリヴィエも同じだ。
イェニーはイェニーの想いがあり、オリヴィエにはオリヴィエなりの想いがある。そして、叶うことがないとわかっていながらジャレッドに想いを寄せるエミーリアの想いも彼女だけのものだ。
――先ほどはお姉さまを弱くなったと思いましたけど、違いましたわね。強いときと弱いときの差が大きくなっただけですわ。弱いときは間違いないなく、ジャレッドさまへの不安や負い目でしょうね。
レナに対する姉の態度を見て、弱くなっていないと考えを改めた。オリヴィエは強くもあり弱くもある。今まで強くあり続けようとしてできてしまっていたことがありえなかったのだ。そんな境遇に追い込んだ原因のひとりとして、弱さを取り戻しつつある姉の幸せをただ願うのだった。




