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『ある噂』

「——あれ」

 リビングに飾られた、昔ながらの日めくりカレンダー。そこに記された日付を見て、少女は首を傾げた。


 ——————


「ドッペルゲンガー?」

 

 高校ニ年の二学期が始まって暫し。学生達は皆、各々に満喫していた夏季休暇への名残惜しさを振り払うことが出来ずにいた。

 未練がましさ色濃い、気怠げな空気漂う昼休み。結立灯ゆいだちともりが発したその声は、本人が思っていたよりも遥かに強く教室に響いた。

 何人かの生徒が、何事かと視線を動かす。

 その目線の向かう先——机を寄せ合っている三人の女子生徒、そのうちの一人が、可能な限り身を縮こませていた。

 

「と、灯ちゃん!声!声おっきいよ……」

 唇に指を当て、囁き声で叫ぶという器用な芸当を披露する少女。

 仙波星翠せんばほしみ。その表情に悲壮感はなく、周囲からの注目を浴びることだけを嫌っている様子であった。

「と、ごめんごめん……で、なにそれ。本当に見たの?や、疑ってるわけじゃないんだけどね?」

 途中から声の調子を落とし、こちらもまた囁く様に問い掛ける。

 言葉に小さく頷きながら、星翠はここ数日自らが目撃した『正体不明』について回想する。

 

「夜眠る時、部屋の隅に何かが居るなぁって感じて……金縛りとかはなくて、普通に体も動いたから、ぱっとその人影の方を見たの。そしたらそれが——」

「……自分と同じ顔をしてた、と」

 再び、星翠はこくんと小さく頷いた。

 

 僅かに思案する素振りを見せた後、灯がさらに一段声を潜めて、

「……それってもしかして、話題になってるやつかな?」

身近で俄かに噂される、とある怪異について口にした。

 

 ——————


 夏休みも終わりに差し掛かった頃。SNSを中心に、とある噂が急速に広がりを見せた。


 自分と同じ顔、同じ姿をした正体不明の存在……その噂こそ、『ドッペルゲンガー』に纏わるものだった。

 オカルトの領分においては遥か昔から語り継がれる、手垢のついた怪奇現象の典型。ある種使い古されたと言い表しても差し支えない現象が同時多発的に発生し、SNSで拡散される。それは確かに、奇妙と言えば奇妙な話であった。

 加えて。その奇妙さに拍車を掛けたのは、それらの怪現象が日本のある特定の地域でしか見受けられていない事だった。

 ——————

 

「自分たちが住んでる街が話題の中心ってだけでもびっくりなのに、身近に実際体験した子がいるって、なんか不思議な感覚だなー……いや、面白がってる訳じゃないよ?」

「わかってるよ、勿論」

 一人百面相を披露しながら、それでも絶えず自身の身を案じる灯の姿に、星翠の胸中は申し訳なさで埋め尽くされていた。

 

 自室に現れる、自らに似た奇怪な影。複数回に渡り姿を見せたその異質にはしかし、実の所直接的な実害は何もありはしなかった。

 異常と形容するのも憚られる、全くの無害。ただ現れ、立ち尽くし、気付けば消え失せる……通り雨よりも細やかな違和感。

 何の気もなしに、不用意に伝えてしまった自らの現状が、友人に不要な心配を掛けてしまっている。今この瞬間にこそ、仙波星翠は心苦しさを感じていた。

「で、でも本当に何にも悪いことは起きてないし……話しておいてあれだけど、見かけるのはいつも寝入りの前だから、半分くらい寝ぼけてたのかも知れないし……」

 半ば以上、取り繕うばかりの言葉。

 星翠の内心とは裏腹に、灯の表情は尚一層曇る。ただ、星翠の言葉、その真偽を問い詰めるような真似は憚られるのもまた事実であり。故に灯が選んだのは、話を別人に振るという選択であった。

「どう思う?抄帷」


 二人の会話を静観していた少女、合掌抄帷がっしょうとばりは口元へと運んでいた箸を止め、数秒固まった後、

「どうだろう。本人がそう言うなら、そうなんじゃない」

短く言って、食事を再開した。

「ちょっと。少しは興味持ってよ、友人の悩みですぞ」

 憤慨とまでは言わないが、微かに語気を強める灯に向けて、抄帷は小さく肩をすくめた。

「興味ないって訳じゃないけど。仙波さん自身が言った通り、実害がない上に本人が気にならないなら捨て置いていいんじゃないかな——どう?仙波さん」

 向けられた視線に、星翠は思わず軽い緊張を感じた。


 合掌抄帷がっしょうとばり

 中学からの友人である灯とは違い、星翠にとっては数少ない高校に入ってからの友人。

 ただ、星翠自身は彼女を『友人』と呼ぶことに、若干の抵抗を感じていた。


「それは……うん。と、特に困ってるとかはないかな」

 答えながら、目の前の『友人』の顔を盗み見る。

 表情らしい表情はなく、深く灰掛かった色味の瞳だけが真っ直ぐに星翠を見据える。

 星翠は思わず身を震わせた。


 ——口数が決して多い訳ではない。かと言って内向的という訳でもない。

 社交的でないように見えるが、校内の交友関係は意外なほど広い。

 端的に言えば。仙波星翠にとって合掌抄帷は、『よく話すがどんな人物なのかがわからない』存在だった。


「うん。なら、それでいいんじゃないかな」

 視線を外し、再び自らの弁当へ。食事の手を進めるその姿に灯は何をか言いたげであったが、昼休みが残り少ない事実に思い至り、渋々話は立ち消え……三人は食事を済ませる事に集中するのであった。


 ——————


 結局、放課後になるまで『ドッペルゲンガー』の話が再び話題に上がることはなかった。

 不用意に自ら始めてしまった怪異譚。その内容が掘り下げられなかった事に安堵を覚えながら、星翠は帰り支度をすすめていた。

 帰りは灯と一緒であることがほとんどだった。だが、今日に限ってはその灯が委員会の仕事で遅くなるらしい。事前に連絡を受けていた星翠は一人で帰ることと相なったのだった。

 一通りの支度を終え、席を立ったその時。

 

「仙波さん」

 

 呼び止めるその声に小さく飛び上がる。そんな自身の様子を心配するように、続けて言葉が向けられる。

「ごめん、驚かせちゃって」

 立っていたのは、合掌抄帷であった。

「う、ううん!私が勝手に驚いちゃっただけだから、こちらこそごめんね……」

 二人して謝罪し合うその姿は、周囲からは奇異に映るだろう。だが、そんな客観的で悠長な感想を抱く余裕は、当の星翠にありはしなかった。

「め、珍しいね。どうしたの、な、なにかあった……?」

 仙波星翠と合掌抄帷は友人である。だが実の所、二人きりで会話をする機会というのは、今日に至るまでほとんどなかった。常に場には他の……大体は灯が……人物を含めた三人以上である事がほとんどだった。

 それどころか。抄帷から星翠へと声をかけて来たのは、恐らくこの日が初めてであった。

「昼休みの話なんだけど」

「……ひ、昼休み?」

「そう。ドッペルゲンガーの話」

 更には、その内容自体も、余りに予想外のものであった。


「あ、えと、うん……えーっと」

 反応に困り果て、モゴモゴと口籠る星翠に対し、抄帷は相変わらず感情の薄い表情と——不釣り合いな程真っ直ぐな視線を伴った言葉を続ける。

「確認なのだけど。本当に何も困っていることはない?」

「……え?」

「さっきは結立さんからの心配自体が申し訳ない様子だったから話を切ってしまったけれど。ドッペルゲンガーの一件、仙波さんが困っていることは本当にないのか。それを確かめたかった」

 押し黙った星翠が、抄帷を見つめる。

 闇の底の更に奥。夜より深い、暗澹を湛えた瞳が、その視線を真っ向から受け止める。

「もしあったとしたら。力になりたいと思って」

 そして。紡がれる言葉は、更に真っ直ぐ星翠へと届いた。

 あっさりと言い切るその姿に面食らいつつ……『ドッペルゲンガー』とは別の、ある一つの噂を星翠は思い出していた。


 県立向陽高校。その学校に通う、奇妙な二人の噂。

 学内・学外を問わず。小さな悩みから、荒唐無稽な問題まで。誰彼を構わず、見境も無く。困窮し、困惑し、困り果てた人々を助けるために奮闘する物好きな二人組。

 謝礼も、感謝も求めず。見返りの一切を拒みながら、それでもそんな生き方を断行する者がいるという、噂。

 そんな、ある種都合の良い噂が広まらない筈もなく。

 誰が呼んだか、付いたあだ名は——『何でも屋まがい』。

 

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― 新着の感想 ―
読ませていただきました! 1話、続き、どうなるのかな、とわくわくしました。面白かったです! 星翠ちゃん、いい子で推せますね。 抄帷ちゃんも気になります。 今後の展開も、楽しみにしていますね! 応援し…
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