第1話 天才のほころび
馬で競うギャンブルが競馬なら、竜で競うギャンブルは競竜だ。
勇者が魔王を討伐してから二千年が経過していて、世界政府が誕生してから六七二年が経過していた。
スマートフォンが普及しているし、LEDのネオンが光り輝いているわけだが、競竜を愛する心だけは中世時代から変わっていなかった。
なぜ科学がひしめく現代で、中世時代の花形兵器である飛竜がギャンブルの駒になったのかといえば、富裕層の名誉に直結していたからだ。
【三冠竜を所有した竜主は、勇者と同等の名誉を得ることができる】
かつての勇者は卓越した竜騎兵であり、強力な飛竜を操って魔王を討伐した。
そんな歴史があるから、お金を持て余した大富豪たちは、現代の勇者になりたくて、競竜の世界にどっぷり浸かっていた。
統合政府歴六七二年。競竜秋季シーズン・三冠クラシック最終レース・魔王賞G1。
『今年の魔王賞は記念すべき二千回目。そんなお祭りムードを象徴するかのように、今年の魔王賞には無敗の二冠竜が出走します。もし《フラミニア》が、このレースに勝つことができれば、無敗の三冠竜誕生です』
ゲゼリット島専用G1ファンファーレが鳴り響くと、十六頭の精悍な飛竜たちが続々とゲートインしていく。
現地入りした観客たちも、ネット配信を見ているファンたちも、誰もが三冠竜の誕生を心待ちにしていた。
現地の売店はすべて完売であり、竜券の売り上げは最高記録を更新していて、勤務中の人々までこっそりスマートフォンでレースを見守っていた。
彼らと同じくスタートを待つ少年がいた。
ヴァルケナン・カルペル。
軍人の名門カルペル家出身の小学校六年生だ。かつて勇者が所属していた帝都竜騎兵隊の指揮官はカルペル家の軍人だった。
そんな名門出身ということもあって、実家がお金持ちなので、血色はよかったし身なりも整っていた。
ヴァルケナンは男児用礼儀用スーツをしっかり着こなして、来賓席の特別シートに座っていた。
「父さん、今日も勝つよね」
ヴァルケナンの隣には、彼の母親がいた。田舎育ち特有の人の良さが顔に出ていて、幼いころから力仕事を手伝ってきたことから手足が骨太だった。
「きっと勝つわ。だって天才だもの」
ヴァルケナンの父親であり、その母親の夫である男は、無敗の二冠竜の鞍上であった。
ゴルドザーム・カルペル。正真正銘の天才だ。
これまで何百というG1を制してきて、デビューしてからずっとリーディング竜騎手を独走してきた。
だがクラシック三冠だけは取ったことがなかった。
だから今日はかなり気合が入っていたし、金曜の夜に自宅を出発するときも目線が矢じりのように鋭かった。
この男、実に礼儀正しいのだが、跳ね返りなところもあって、軍人の名門カルペル家出身なのに、軍人にならずに竜騎手になっていた。
当時カルペル家の人間たちはゴルドザームに猛反発したらしいが、彼が天才竜騎手であることを知るなり手のひらを返した。
都合のいい連中である。
幼いヴァルケナンは、名門の重圧だとか過去の確執などはよくわからなくて、やたらと軍人だらけの親戚だなぁぐらいに思っていた。
そんな実家事情はさておき、魔王賞はスタート寸前になっていた。
十六頭の飛竜たちのゲートインが完了して、全頭が落ちつくのを待つ。それを実況役が解説した。
『各飛竜ゲートイン完了。《フラミニア》がうるさいところを見せているので、落ち着くのを待ちます。もっとも勇敢な飛竜が勝つといわれているこのレース、はたしてどの人竜が掴むことになるのか…………スタートしました!』
ゲートがガコンっと開くと、十六頭の飛竜たちは、背中に載せた竜騎手たちにうながされて、天高く飛びあがった。
巨大な翼を展開して、スピードを出しやすい高度に到達。惑星の大気を豪快に切り裂いて、ぐんぐん加速していく。
竜騎手たちが装着した色とりどりの勝負甲冑が、昼下がりの太陽を乱反射して宝石みたいに輝いていた。
第一コーナーに入る前からポジション争いが始まっていて、軽自動車と同じサイズの飛竜たちが、接触寸前の距離感で翼の風圧をぶつけあっていた。
来賓席のヴァルケナンは、高鳴る心臓を抑えるために己の両手を胸に押しつけた。
「父さんは三冠竜騎手になるんだ。絶対に」
息子は信じていた、父が三冠竜騎手になることを。
もしそうなったら、父は世界中の人々に尊敬されるし、その息子である自分も誇らしい気持ちになるだろう。
きっと学校で自慢できるに違いない。
許嫁の女の子にも自慢できる。どうだふふん羨ましいだろう、と。
そうやって一度空想癖に火が付いたら止まらなくなった。
これはヴァルケナンの短所だった。
学校の授業中とか、放課後の帰り道とか、なにかしらのきっかけでスイッチが入ると、空想が始まってしまうのだ。
かけっこで一番になったらかっこいいだろうなとか。テストで100点とったら自慢できるだろうなぁとか。
そうやって空想するせいで私生活に支障をきたすこともあるため、親にも許嫁の女の子にも怒られていた。
この悪癖は父の大事なレース中にも発動してしまい、三冠飛竜が誕生する瞬間をひたすら空想していた。
だが実況の絶叫で現実世界に戻った。
『なんと《フラミニア》が鍾乳洞コースに突入した! 天才ゴルドザーム・カルペル、まさかこの障害だらけのコースを飛ぼうというのか。いやおかしい……大変だ! 鍾乳石に激突して競争中止! 無敗の二冠竜が堕ちていく……なんてことだ……』
ゴルドザームの《フラミニア》が、鍾乳石の隙間を抜けようとしたら、飛竜の腹部が接触。まるでボールがバウンドするみたいにコースアウトして、反対側の壁に激突。空気が爆発したような轟音が鳴ると、自由落下が始まった。
どうやら《フラミニア》は意識を失ったらしく、ぴくりとも動かない。
その背中に乗っていた甲冑姿の人型は、なすすべもなく地面に叩きつけられて、まるで壊れた人形みたいに転がった。
ヴァルケナンは、ただ呆然とモニターを見つめることしかできなかった。
叫ぶこともできないし、泣くこともできない。感情が氷のように凍結して、恐ろしい現実を拒否していた。
競竜場のスタッフたちが「現場に救急車を運べ! 回復魔法の使い手もだ! 急げ、間に合わなくなるぞ!」と叫ぶ声を、やけに遠く感じた。
母親は、小学生の息子を抱きしめると、がくがく震えながら喉を小さく鳴らした。どうやら息子を励まそうとしたらしいが、あまりもの恐怖に声を出せなくて、か細い声が壊れたヴァイオリンみたいに漏れるだけだった。




