――第 138 幕 石札の熱――
頭蓋骨の裏側で青白い火花が弾ける。 極度に乾燥したウール生地が擦れ合う「カサカサ」という摩擦音が、耳の穴を塞ぐ。
ジュッ。
右手の掌で、爆発的な熱が弾けた。 完全に炭化し、皮膚と癒着していた佐渡赤玉石の札が、臨界点を超える。
「あぐッ……!」
喉の奥から、カエルが潰されたような濁った排気音が漏れる。 真っ赤に焼け焦げた石が肉を溶かす。 炭化した肉の下にわずかに残っていた皮下脂肪が、一瞬にして沸騰する。
チリチリチリ……。
油が揚がる微細な音が響き渡る。 インクが酸化した酸っぱい臭いとカビた紙の甘い臭気が、気管支の粘膜にザラザラと張り付く。 息を吸い込むたび、肺の奥底に細かい砂利が沈殿していく。 「私」は左手の指先で、パジャマの第一ボタンを何度も弾く。
カチッ、カチッ。
プラスチックの微小な音が顎の骨を伝う。
熱波が右腕を駆け上がる。 左腕のホッチキスで縫合された極度裂傷を引き攣らせ、腰椎をビリビリと震わせる。 焼け焦げたような苦味が、舌の根にこびりついた。
「が、あ……ッ」
なぜ、唐突にこの石が臨界点を超えるほどの高熱を発し始めたのか。 その熱源のメカニズムを論理的に分析し、腕から石を引き剥がす手段を直ちに探るべきなのだろう。 だが、息を吸い込むたびに鼻の奥へへばりつくインクが酸化した酸っぱい臭いとカビた紙の甘い臭気が、脳細胞間のシナプスの接続を強制的に切断していく。
この不潔な臭気が邪魔だ。
気管が細かく痙攣し、まともな思考の結線が組み上がらず、ドロドロに溶け落ちていく。 それはまるで、かつて泥の底に沈めた見知らぬ死体の……いや、違う。 なんだろう、あれは。
どうでもいい。
この不快な視界の明滅の奥にある連想に、意味などあるはずがないのだ。
歩調が狂う。 右足が、目の前のグレーの背中と同じ座標に着地しなかった。 サイズの合わない革靴が、白く粉を吹いたコンクリートの床に、不規則な摩擦音を立てて滑る。
ズリッ。
「私」はバランスを崩し、寄りかかろうとしていた隣の首なし男の肩を、乱暴に突き飛ばした。 ザッ、ザッ、という数万人のユニゾンが乱れる。 「私」は、立ち止まる。 背中に乗るチンピラの骨折した足が大きく揺れる。 折れた骨の断面がゴリッと擦れ合う不快な振動が、太腿に伝わってくる。 左手で引きずる警官と助手の革ベルトがピンと張り詰め、「私」の左肩の関節を引っ張る。
私は、右手の異常な激痛に耐えきれず、歩みを止めてしまったのだろうか。 いや、本当は違う。 私はただ、この焼け焦げる右手の痛みを口実に、私にすがって生き延びようとする彼らという「重荷」の進行を意図的に止め、この死者の群れの中に取り残されて無様に怯える様を、薄目で見下ろしていたかっただけだ。 他人が私という牽引力を失って絶望し、自分以上に惨めに壊れてくれればくれるほど、あの不潔な病室で暴かれた私自身の罪悪感の輪郭が相対的に曖昧に塗り潰されていく。 彼らが弱く惨めであればあるほど、自分だけはまだ「彼らを見捨てる選択権を持つ側の人間」なのだという錯覚にすがりつくことができる。 そんな極めて卑小で醜い自己正当化の欲求が、痛みに耐えて前へ進もうとするエネルギーを根こそぎ奪い去っていくのだ。
「私」の胃壁が雑巾を絞るように激しく収縮し、舌の裏側に強烈な酸っぱい味が広がる。 「私」は大きくずらした顎を戻し、過剰な唾液をゴクリと無理やり飲み下した。
この冷徹な物理的激痛と息苦しさに没頭していれば、自分が加害者ではなく、無力な被害者であるかのように振る舞えるという、浅ましい自己欺瞞。
「私」は、自らの親指の爪を犬歯で激しく噛みちぎる。
カリッ、カリッ。
爪が皮膚を削る。 右手の掌からは、私の肉と脂が焦げる強烈な臭いが立ち上っている。 乾燥した埃と酸化したインクの臭いが、肉の焦げる臭気と衝突する。
「……っ」
ひび割れた唇から、血の混じった透明な唾液と共に、掠れた摩擦音が零れ落ちる。 神経が焼かれる。皮膚が裂ける。 左手の親指の爪で、人差し指の腹を強く引っ掻く。 ジワリと血が滲み、微かな鉄錆の味が口内に広がる。
カリッ、カリッ。
爪が皮膚を削る。 パジャマのボタンを弾く。
カチッ、カチッ。
周囲を行進していた首なしの群集の足音が、ピタリと止んだ。 数千、数万のグレーのスーツが一斉に動きを止める。 そして、錆びた鉄扉が軋むような音を立てて、彼らの首なしの胴体が、一斉に「こちら」へ振り向いた。
顔はない。目もない。
視界の端が白くチカチカと明滅し、眼球の裏側で青白い火花が弾ける。 ボタンを弾く。
カチッ。
四方八方から突き刺さる無数の圧力が、皮膚の表面から水分をヤスリのように削り取ろうとする。 視神経が点滅し、網膜にザラザラとした砂嵐が走る。 「私」は、炭化した肉にめり込む石の熱をさらに強く握り直す。 欠けた奥歯の隙間から、冷たく乾燥した空気を、肺の底まで深く吸い込んだ。
インクの酸っぱい臭いと肉の焦げる悪臭がこもる空間に、ただプラスチックの反復音と、爪が皮膚を削る音だけが充満し続けていた。




