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煩悩108の異世界で、踏襲少女は紅茶とともに世界を救う  作者: ふりっぷ
第三章 リアステ帝国編

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未踏帯の息吹

帝国編の長い閉塞を抜け


ただ、息ができる場所へ

 

 風が、冷たかった。


 だが、それは嫌な冷えではない。


 高所から吹き下ろす澄んだ風が、

 頬を撫でるように通り抜けていく。


 佐和子は、ゆっくりと息を吸い――吐いた。


「……息が、しやすい」


 ぽつりと漏れた言葉に、誰もすぐには反応しなかった。


 周囲には、帝国式の白亜の建築も、監視用の結界もない。

 あるのは、草の匂いと、遠くに連なる黒い山影だけだった。


 背後で、セリアが肩を回す。


「はー……生き返る。なあ、これ完全に外だよな?」


「はい」


 ミュリアが即答した。


「リアステ帝国の観測圏、結界圏、いずれからも外れています。

 追跡術式の反応もありません」


 マーレは周囲をきょろきょろと見回しながら、恐る恐る口を開く。


「……あの、ここは……どこ、なのでしょう」


「地図上では未踏帯だね」


 佐和子が短く答える。


「灯が記録されてない地域。

 だから、誰も来ないし、誰も管理してない」


 ミュリアが一瞬、目を伏せた。


「……つまり」


「うん」


 佐和子は、頷いた。


「ここから先は、私たちだけ」


 言葉にした瞬間、胸の奥に溜まっていた重さが、

 すっと抜けた気がした。


 帝国にいた間、常に感じていた圧迫感。

 視線。

 評価。

「正しく使われる」ことを前提にした空気。


 それが、ここにはない。


「……不思議ですね」


 マーレが、静かに言った。


「煩悩断章の反応は、確かに不安定です。

 ですが――」


 指先で、空をなぞる。


「寿命蠟に似た波長が、わずかに……回復しています」


 セリアが眉を上げた。


「は? 回復?」


「ごく微量ですが。

 観測されていない状態の方が、

 世界が呼吸しているように見えます」


 佐和子は、苦笑した。


「やっぱりね」


「……やっぱり?」


「見られてないほうが、世界は長生きするみたい」


 佐和子は、地平の向こうを見た。


「ここからだとサンヴォーラ王国が近い。

 リアステ帝国の話はしないと――」


「霊道卿としては、そうですね…」

 ミュリアが後を継いだ。


「その前に、ダンジョン一つ攻略しておこうぜ、

 みんなでさ!」


 セリアが声を上げた。


 誰も、反対しなかった。

 その沈黙は、同意だった。


 ◆


 小さなダンジョンは、丘の裏手にひっそりと口を開けていた。


 石組みは古く、入口の紋章も半分以上が風化している。


「規模は……E級以下ですね」


 ミュリアが慎重に告げる。


「踏襲管理者の痕跡もありません。

 放棄されて、相当時間が経っているかと」


「ここで、試そう」


 佐和子は、短く言った。


「しばらくA級はやらない。

 みんな揃った――確認だけ」


 セリアがにっと笑う。


「慎重だねぇ。いい傾向だ」


 中は、ほとんど崩壊していた。


 魔物も弱く、数も少ない。

 踏襲というより、後始末に近い。


 戦闘は、十分もかからず終わった。


 灯は、奥の祭壇に、かろうじて残っていた。


 ひび割れ、煤け、今にも消えそうな小さな光。


 佐和子は、そっと手をかざす。


「……大丈夫。急がなくていい」


 神気を、ほんの少しだけ流し込む。


 管理もしない。

 縛りもしない。


 ただ、道だけを整える。


 灯が、ふっと揺れ――


 次の瞬間、確かに、明るさを増した。


「……成功、ですね」


 ミュリアの声が、わずかに震えていた。


「寿命反応……一日分、回復しています」


 たった一日。


 だが、それでいい。


 佐和子は、深く息を吐いた。


「大丈夫だ」


 自分に言い聞かせるように。


「ちゃんと、続けられる」


 ◆


 帰り道、佐和子は一瞬、立ち止まった。


 背筋に、冷たいものが走る。


「……今、誰か」


 言いかけて、首を振る。


 視線。


 ほんの一瞬、覗かれた感覚。


「さっちゃん。大丈夫です」


 ミュリアが、静かに前へ出た。


「私の知っている気配です」


 その目が、迷宮の奥を見ていた。


 ◆


 ──迷宮の静かな一角。


 《アストラ=リフト》で出会った老店主が、

 ミュリアの前に立っていた。


「どうしてこのようなところに?」


「半年前から式神がよく鳴くようになってな。

 お前さんのいる場所を探しておった」


「すいません、半年前……白蜘蛛シロガネ

 限界まで神力を注ぎ込みました」


「叱りに来たのではない。

 お前は、もう式神に選ばれた者だ。」


「それは……」

 ミュリアが目を見開く。


 彼女の背後に、風が舞う。


 風の式神クイナが、彼女の肩に乗った。


「こいつは、わしの式神だった。

 だが、もう違う。お前の風だ。」


 水の式神《鯖助》が水面から舞い上がり、

 ミュリアの正面までふよふよ宙を泳いでくる。


 鯖助の左右には青と赤の”箱”が浮かんでいる。


「こやつの青の箱はあらゆる“物”を収納できる。

 赤の箱はあらゆる“記憶”を収納できる。


 お前はすでに記憶結晶を持っているが、

 サン=ヴォーラ王国に筒抜けじゃ。

 秘匿したい記憶はこいつに移した方がいい」


「記憶を格納する力は、過去を知るためじゃない。

 未来を選ぶためにある。」


 ミュリアは震える手で、二体の式神に触れた。


 彼女の瞳に、決意が灯る。


「……はい。受け取ります。」


 老店主は微笑んだ。


「神格位なんぞ、肩書きにすぎん。

 だが、式神は嘘をつかん。


 お前は、もう“神”に近い。」


  ──そして、彼は背を向けた。


 風が吹き抜け、彼の姿は迷宮の奥へと消えていった。


 ◆


 夜。


 焚き火の火が、小さく爆ぜる。


 マーレは眠り、セリアは剣の手入れをしている。


 ミュリアが、隣に座った。


「……さっちゃん」


「なに?」


「あのような結果になって、後悔はありませんか」


 一瞬、考える。


「……あるよ」


 正直に答えた。


「私さえ我慢できれば、

 もっと効率よく寿命を延ばせたかもしれない」


 でも、と続ける。


「誰もいない、管理されたダンジョンは楽しくなかった……」


 火を見つめながら、言葉を選ぶ。


「管理されすぎた世界は、呼吸の仕方を忘れる」


 ミュリアは、静かに頷いた。


「では――」


「うん」


 佐和子は、顔を上げた。


「管理されない踏襲で、

 世界を、もう一度――育て直す」



リアステ帝国編もこれで終了となります。

構想の為、しばらく更新お休みいたします。


新章は「佐和子の国造り(仮)」です。

途中、閑話を更新するかもしれません。


よろしくお願いいたします。

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