何だかんだで内輪の解決
◇
……夕食の後。
「狼、ちょっといいですか?」
「……何だよ?」
食事を終えて部屋に引っ込もうとしていた狼を、何故か優が呼び止めた。
「天野さんの件、結局どうなりました?」
「っ……どうせ、聞かなくても分かるんだろ?」
優の問いかけに、狼は自嘲気味な返答をする。対する優は、彼の言う通りにその反応を予測していたらしく、表情を崩すことはなかった。
「あまり不貞腐れないでくださいね。……さっき天野さんから連絡があって、狼のお陰で色々うまく行きそうみたいですから」
「……へっ、そうかよ」
慰められて、余計にへそを曲げる狼。けれど、優は構わず続ける。
「今回のことであまり気を落とすのは、お門違いもいいとこです。狼のしたことは別に間違っていませんし、少なくとも今回はプラスに働いたんです。後悔するようなことではないんです。それに―――何でも自分一人で解決できるわけではないですから」
「……」
優の言葉を聞いてか、狼はばつが悪そうに頬を掻いていたが、最後のほうで照れくさくなったのか、無言でその場を去ってしまった。
「……ま、分かってくれましたよね」
無言の退場は照れ隠しだと分かっていたのか、優は肩を竦めてそう呟いた。
「狼君、どうしたの?」
優の前から立ち去った狼を見つけて、闇代が声を掛けた。狼が振り返ると、闇代は彼の様子がおかしいことに気づいた。
「もしかして……何かあった?」
「……ねぇよ、なんにも」
否定をする狼の口調には、いつもの覇気がなかった。それは暗に、何かあったと白状しているようなものだ。
「話して」
「……なんもねぇって言ってるだろ」
食い下がろうとする闇代を、狼は強く拒絶する。……とはいえ狼としても、闇代に何もかも話すわけにはいかないので、仕方ない面もあるのだが。
「どうして? どうして話してくれないの……? わたし、そんなに信用ない?」
「……個人のプライバシーに関わることだから、お前には話せない」
いい加減闇代がしつこいのと、今にも泣きそうな目を向けられて、狼は渋々そう白状した。っていうか、最初からそう答えていればよかったのでは?
「じゃあ、何かあったんだね?」
「……ああ」
頷くと、闇代は途端に笑顔になった。
「ありがとう、話してくれて」
思わぬ礼に、狼は面食らっていた。闇代にとっての『話す』とは、内容を全て話してしまうのではなく、自分が教えられる範囲で打ち明けることだったのだ。
「多分、狼君は、やろうとしていたことがうまくいかなかったんだと思う。けどね、何でも自力で解決するのは不可能なんだから、全部自分でしょいこまないで。もしもわたしに、わたしたちに話せることなら、手伝わせて。……これって、狼君が教えてくれたことなんだよ?」
「……闇代」
驚いたことに、彼女の言葉は、狼がどういう行動を取ったのか、その結果がどうだったのか、ぼんやりとだが見透かしていた。しかも、先程優が彼に対して言ったような台詞―――何でも一人で解決しようとするな―――まで。
「とりあえず、今はそれだけかな。……ほんと、何かあったら、出来るだけ話してね」
闇代はそう言い残し、その場から去っていった。
「……ったく」
そんな彼女に、狼は少しだけ元気付けられたのだった。
◆
……狼があかりの家を出た後。
「何かあったの?」
あかりの祖父が、あかりの母に問いかける。あかりの母は、扉の前で茫然自失としながら立ち尽くしていた。おまけに、その扉からはあかりの叫び声が聞こえてきたのだ。何もなかったと思うほうが不自然だろう。
「……父さん」
あかりの母は、目に涙を溜めながら、自分の父親を見上げた。それを見て、あかりの祖父は大体の事情を察したようだ。
「あかりのことは僕に任せて、君は向こうで休んでなさい。いいね?」
「でも、父さん……」
不安げに見上げてくる娘の肩に、あかりの祖父はそっと手を添えて、諭すように話しかけた。
「安心して。君が―――君たちがあかりを産んだのは、何一つ間違っていないよ。それは僕が保証する。だから、自信持って。ね?」
「……うん」
そう言って娘を遠ざけた後、あかりの祖父はあかりの部屋に続く扉を開いた。
「あかり?」
部屋の鍵は掛かっていなかった。掛け忘れたのか、若しくは誰かに入ってきて欲しかったのか。そんな部屋のベッドに、あかりは横たわっていた。
「あかり。大丈夫かい?」
声を掛けるも、返事はない。眠っているのか、無視しているのかは分からないが。
「あかり……もしも起きてるなら、そのままでいいから、聞いて欲しい」
それでも起きていると信じて、あかりに語りかける。―――彼女に、伝えたいことを。
「この家に産まれて、確かにあかりは苦労しただろう。世間からの目もあるし、何より、自分の両親のことだって信じられなかったかもしれない。けれど、あの子達が軽はずみな行動を起こしたために君が産まれたのだと思っているなら、それは間違いだ。君は、あの子達にとってかけがえのない子供だよ」
それからあかりの祖父は、あかりに、彼女の両親についての話をし出した。
「あれはそう、丁度十七年前だった。その頃僕は妻を亡くして、子供たちを養うために仕事で家を空けがちだった。家事はおろか、まともに顔を合わせることだって殆どなかったんだ。だからなのか、二人はとても仲が良かった。今思えば、兄妹にしては不自然なくらい距離が近かった。思春期なのに部屋を分けなかったことも原因のひとつかもしれない。……とにかく、あの子達にとって、兄妹こそが家族であり、何よりも大切で、愛しかったんだろう」
だからね、と彼は言った。
「あの子達の間に子供が出来たと聞かされたときには、然程驚かなかったよ。寧ろ、そういう関係に至ってしまうほどに、自分があの子達を省みていないことにショックを受けたくらいさ。―――だから、あの子達がその子供を、君を産みたいと言ったときは反対しなかった。もしもそれが原因で、君が苦痛を味わっているというのなら……僕のことを恨んでもいい。だから、それを支えにしてでも―――あかりには、生きていて欲しいんだ」
そうして、部屋に再び沈黙が訪れる。すると、もう話すことはなくなったのか、あかりの祖父は部屋を出ようと踵を返した。
「……待って」
しかし、それを呼び止める声。―――あかりだ。
「勝手なこと言いたいだけ言って、勝手にどっか行かないでよ。……私だって、言いたいことくらいあるんだから」
「……そう。じゃあ、聞こうか」
ベッドの上に正座するあかりを見て、彼女の祖父はその前にしゃがんで、目線を合わせた。
「……私ね、ほんとは分かってるんだよ? 親が、私を蔑ろになんてしてないって。寧ろ、とっても大切にしてくれてるって。でもね―――駄目なの。頭では分かっていても、心が認めたくないの。世間のことなんてどうでもいい。けれど、自分が……とてもおぞましい存在に思えてくるのは、どうにもならないのっ! ―――醜く歪んだ関係の末に、産まれてはならないはずの自分がこの世に生を受けたっ! そんな意識が、私の中から消えてくれないのっ……!」
つっかえながら、時々嗚咽が混じりつつも、あかりは自分の気持ちを吐露していく。そして最後には泣き崩れ、声を押し殺して涙を流していた。
「どうして……? 私、どうして産まれてきちゃったの……? 生きるのがこんなに苦しいなら、いっそ―――産まれてこなければ良かったのにっ……!」
答えのない問いは、どうにもならない自己嫌悪から発せられるのか。そこから生まれる悲痛な叫びは、いくつもの想いによって雁字搦めとなった、少女の心そのものであった。
「……僕もね、そう思ってたよ」
「え……?」
そんなあかりの手を、そっと握るのは彼女の祖父。突然の温もりに、あかりは跳ねるように顔を上げた。
「僕も昔、家庭の事情で色々あってね……自殺、しかけたことがあったんだ」
「……っ!?」
打ち明けられた事実に、あかりの体が大きく震えた。しかし祖父は、なんでもないように笑っていた。
「まあ、あの時は荒れてたよ。世界の全てがどうでも良くなってね。……そんなとき、僕の自殺を止めてくれた人がいてね。それが妻なわけだけど」
自殺を止めてくれた女性と結婚し、やがて二人の子宝に恵まれた。しかし―――
「ある日、妻は事故で亡くなってしまったんだ」
伴侶をなくした哀しみから、一時は後を追おうかとも考えらしい。けれども、残された子供たちのことを思えば、無理にでも立ち直るしかなかった。妻の忘れ形見を養うためにも、また深い悲しみと喪失感を紛らわせるためにも、仕事に没頭するようになったのだった。
「でも、気づかなかったんだ。……辛いのは、自分だけじゃないってことを」
子供たちも、母親を失って酷く心を痛めていた。それだけでなく、父親も仕事で家を空けるようになって、二人は寂寥感に囚われていく。
「最初のうちは、妙に仲が良くなっていると思うだけだった。母親を亡くして、それを切欠に兄妹仲が深まったんだとね。でも、そうじゃなかった。……二人は、もう、兄妹じゃなくなってたよ」
気づいたときには、二人は既に男女の関係となっていた。しかも、既に子供まで出来ていたのだ。
「僕も内心、最初は産むのに反対だったんだ。兄妹云々もあったんだけど、それ以上に、二人ともまだ若かったからね。僕も、自分子供すらまともに世話できないんだから、ちゃんと二人を支えてやれない。だから、子供のことは二人だけで何とかできないと、この先生きていけないぞって言ったんだけどね……」
でも、二人は頑として子供を堕ろそうとはしなかった。そればかりか、学校を辞めて働くとまで言い出したのだ。
「そこまで言われたら、さすがに反対できなくてね。結局、僕は二人を支えることにしたんだ。幸い、妻のお産である程度は慣れてたから、割と手助け出来たと思う。おしめの換え方を二人に教えたり、寝付くまでひたすらあやしたり、みんなで交代しながら保育園に連れて行ったり、それから写真も沢山撮って、元気に育っていくのが途轍もなく嬉しくて―――あかり、君はそうやって生まれて、育てられてきたんだ」
自分が生まれた経緯を聞かされ、あかりは暫くの間呆然としていたが、やがて我に返ると、気まずそうに顔を背けた。
「……いちゃんは」
「うん?」
「―――おじい、ちゃんは……幸せ、だったの?」
搾り出すように紡がれたあかりの問いかけに、祖父はゆっくり頷いた。
「こんな可愛い孫を持って、幸せじゃないわけがないさ」
「……~~~!」
気障っぽい台詞に、あかりは思わず耳まで真っ赤になってしまった。
「はは、初心だなあかりは」
「……馬鹿」
何はともあれ、一応はこれで一件落着のようだ。




