第十二話 赤いボタン
十三回目。
男は、白い床の上に立っていた。
もう、叫ばなかった。
笑いもしなかった。
床を殴ることもなかった。
スマホを投げることもなかった。
正の字を刻もうともしなかった。
赤いボタンを怖がろうともしなかった。
白石を怪物にしようともしなかった。
ただ、立っていた。
右足が痛い。
腹は減っている。
喉は渇いている。
眠い。
全部、同じだった。
白いタイル。
壁はない。
天井はない。
風もない。
匂いもない。
何もない。
何もないことにも、もう驚かなかった。
男は、ゆっくり息を吐いた。
「またか」
そう言った。
声は白い床に落ちた。
落ちて、消えた。
それだけだった。
十三回目。
それが本当に十三回目なのかは、もうわからない。
十回目かもしれない。
十五回目かもしれない。
百回目かもしれない。
ただ、何度もここに来た。
何度も百年を過ごした。
何度も面談室に戻り。
何度も押した。
それだけは、わかった。
男は、ポケットからスマホを取り出した。
二〇二五年三月十一日。
午後三時四十七分。
六十三パーセント。
圏外。
右上のひび。
いつもの画面。
いつもの数字。
いつもの傷。
写真フォルダを開く。
七枚。
CR大富豪。
大戸屋の定食。
バス停の時刻表。
契約書の一部。
営業会議のホワイトボード。
間違えて撮った天井。
本人確認用の自撮り。
男は、しばらく七枚を見ていた。
今まで、それらは責めるものだった。
失敗の証拠だった。
逃げた証拠だった。
見なかった証拠だった。
読まなかった証拠だった。
話さなかった証拠だった。
だが、十三回目の男には、少し違って見えた。
それらは、残っているものだった。
自分が見なかったものを、見せるために残っていた。
そう思った。
男は、営業会議のホワイトボードを開いた。
五味 〇件。
赤いゼロ。
片桐の声が聞こえた。
「確認しろ」
「準備しろ」
「報告しろ」
「困ったら早めに言え」
「確認って、見ることじゃないぞ」
片桐は、敵ではなかった。
五味を潰した上司ではなかった。
少なくとも、最初は。
何度も言っていた。
何度も教えていた。
怒鳴る前に。
呆れる前に。
疲れる前に。
真人は、それを聞いていた。
聞いているつもりだった。
頷いていた。
メモも取っていた。
だが、本当には聞いていなかった。
「はい」と言えば、聞いたことになると思っていた。
「わかりました」と言えば、わかったことになると思っていた。
男は、ホワイトボードの写真を見つめた。
五味 〇件。
ゼロ。
そのゼロは、ただ成績の数字ではなかった。
見なかった数だった。
確認しなかった数。
相談しなかった数。
報告しなかった数。
先に延ばした結果の数。
男は、写真を閉じた。
次に、契約書の一部を開いた。
小さすぎて読めない。
拡大しても、文字はぼやける。
さらに拡大しても、読めない。
読めない写真。
読めないまま残っている写真。
男は、画面を見ながら言った。
「読めなかったんじゃない」
違う。
「読まなかったんだ」
読めるように撮ることもできた。
その場で読むこともできた。
人に聞くこともできた。
片桐に聞くこともできた。
白石に約款を持ってきてもらうこともできた。
だが、しなかった。
読む前に、わかった気になった。
見たから大丈夫。
写真を撮ったから大丈夫。
契約書にサインしたから大丈夫。
なんとかなるっしょ。
ならなかった。
男は、写真を閉じた。
大戸屋の定食を開いた。
焼き魚。
味噌汁。
ご飯。
湯のみ。
箸袋。
画面の端の、沙紀の指先。
薄い水色の袖。
顔はない。
沙紀の顔は、写真の中にない。
男は、その指先を見つめた。
沙紀は、真人を見捨てたのではなかった。
一緒に現実を見ようとしていた。
「失敗したところに、私も立たせてほしかった」
そう言っていた。
その言葉を、真人は受け取れなかった。
情けなさを見せるのが嫌だった。
頼りないと思われるのが怖かった。
失敗を共有するより、笑って逃げる方が楽だった。
「大丈夫だって」
「なんとかなるっしょ」
それで、沙紀の前からも逃げた。
沙紀が歩いていったのではない。
真人が歩かなかった。
男は、画面の端の指先に触れた。
触れたのは、ガラスだった。
沙紀ではない。
指先ですらない。
ただの写真。
それでも、男は言った。
「見てなかったな」
白い床は何も答えない。
だが、それでよかった。
答えは、もう外から来るものではなかった。
男は、CR大富豪の写真を開いた。
金色のポスター。
笑う大富豪。
札束。
一撃。
逆転。
人生を変えるチャンス。
新装開店まで、あと三日。
あの日、真人はまだ入らなかった。
まだ選べた。
三日間、選べた。
行かないこともできた。
求人に応募することもできた。
カードの利用明細を見ることもできた。
督促の通知を開くこともできた。
誰かに相談することもできた。
だが、写真を見た。
何度も見た。
行く理由を育てた。
行かない理由を薄くした。
男は、ポスターの金色を見ていた。
一億円と同じ色。
パチンコ台の光と同じ色。
赤いボタンの向こう側にあるはずの色。
金は、いつも未来の顔をしていた。
だが、その未来は、いつも今から逃げるためのものだった。
勝てば返せる。
一億円があればやり直せる。
押せば楽になる。
その未来は、真人に今を見せなかった。
男は、写真を閉じた。
バス停の時刻表を開いた。
有効期間。
2020.4.1〜2020.9.30。
写真の中には、最初から書いてあった。
ここまでだ、と。
この先は使えない、と。
だが、真人は見ていなかった。
時刻表を見ていたのではない。
確認した気になっていた。
男は、写真を閉じた。
間違えて撮った天井を開いた。
白っぽい天井。
蛍光灯の端。
何の意味もない写真。
その白が、白い空間に似ていた。
何の意味もないものにも、意味が生まれることがある。
何の意味もないと思っていたものが、後になって、自分を見せることがある。
男は、天井の写真を閉じた。
最後に、自撮りを開いた。
本人確認用の写真。
疲れた顔。
笑っていない目。
無精ひげ。
少し開いた口。
五味真人。
三十二歳。
男は、しばらくその顔を見ていた。
他人に見えた。
何百年も、他人のように見えていた。
だが、今は少し違った。
これは、自分だった。
情けない自分。
逃げた自分。
見なかった自分。
読まなかった自分。
話さなかった自分。
押した自分。
そして、これからまた押すかもしれない自分。
男は、画面の中の真人に言った。
「お前が、俺だ」
画面の男は答えない。
「俺が、お前だ」
それも、答えなかった。
当然だった。
写真だからだ。
だが、男にはそれでよかった。
十三回目の百年は、静かに過ぎた。
男は、ほとんど叫ばなかった。
ほとんど笑わなかった。
幻も見なかった。
いや、見たのかもしれない。
沙紀の声が聞こえた気がする夜があった。
片桐がホワイトボードの前に立っている気がする日もあった。
白石のネクタイが、白い床の遠くに揺れているように見えたこともあった。
パチンコ屋の電子音が、耳の奥で鳴ったこともあった。
コンビニの蛍光灯を思い出すこともあった。
夜勤明け。
真人は、いつも同じコンビニに寄っていた。
棚に並んだ弁当。
冷蔵ケースの缶チューハイ。
レジ横の揚げ物。
自動ドアの音。
真人は弁当と酒を持って、レジの前に立つ。
その時間には、いつも同じような顔ぶれがいた。
毎朝、同じ缶コーヒーを買う作業着の男。
新聞を買う老人。
小さな子どもを連れた母親。
夜勤帰りらしい別の男。
真人は、その人たちを見ていた。
見ていたが、何も知らなかった。
名前も。
仕事も。
家族も。
何に疲れているのかも。
どこへ帰るのかも。
何も知らなかった。
そして、相手も真人のことを知らなかった。
真人は、そのコンビニでは、夜明け前に弁当と缶チューハイを買う男だった。
それだけだった。
店員にとっても。
ほかの客にとっても。
ただの客。
ただの顔。
ただの一人。
だが、その「ただの一人」の中にも、人はいた。
真人は、それを見ていなかった。
世界は、自分の失敗と借金と不安だけでできていると思っていた。
だが、違った。
片桐には片桐の疲れがあった。
沙紀には沙紀の待っていた時間があった。
契約が流れた夫婦には、生まれてくる子どもがいた。
コンビニの常連には、それぞれ朝があった。
白石にも、白石の役割があった。
真人は、ずっと自分だけを見ていた。
いや。
自分すら見ていなかった。
自分の不安を見ていた。
自分の恥を見ていた。
自分の逃げ道を見ていた。
本当の自分は、見ていなかった。
十三回目の男は、白い床の上で、それらをひとつずつ見た。
片桐。
沙紀。
流れた契約の夫婦。
CR大富豪のポスター。
バス停の時刻表。
督促の封筒。
暗い部屋。
電気の止まった冷蔵庫。
コンビニのレジ。
白石。
赤いボタン。
そして、五味真人。
全部を、見た。
見たからといって、許されるわけではない。
見たからといって、過去が変わるわけでもない。
沙紀が戻るわけではない。
契約が戻るわけではない。
借金が消えるわけではない。
百年が消えるわけでもない。
だが、見ないまま押すよりは、ましだった。
男は、そう思った。
ある年、男は白い床に座り、ぽつりと言った。
「一億円じゃなかった」
声は小さかった。
「欲しかったのは」
そこまで言って、しばらく黙った。
一億円が欲しかったのだと思っていた。
借金を返すため。
生活を戻すため。
人生をやり直すため。
だが、違った。
欲しかったのは、金ではなかった。
金の向こうにあるものだった。
何も決めなくていい時間。
誰にも会わなくていい場所。
何も読まなくていい空白。
誰にも返事をしなくていい百年。
督促の電話に出なくていい百年。
沙紀と話し合わなくていい百年。
片桐に報告しなくていい百年。
契約書を読まなくていい百年。
自分の人生を、決めなくていい百年。
男は、白い床を見た。
「俺は」
口に出す。
「一億円が欲しかったんじゃない」
その言葉は、白い空間に落ちた。
今までで、一番重く落ちた気がした。
「人生を決めずに済む百年が、欲しかったんだ」
言ってしまえば、簡単だった。
だが、その簡単なことに気づくまで、何百年もかかった。
男は笑わなかった。
泣きもしなかった。
泣けなかった。
ボタンを押した瞬間、泣いていなかったから。
ただ、目を閉じた。
白い空間に涙はなかった。
それでも、何かが少しだけ静かになった。
十三回目の百年は、終わりに近づいていた。
スマホの日付が何度も戻る。
三月十一日。
三月十一日。
三月十一日。
一年が消える。
また始まる。
また消える。
男は、もう数えなかった。
数えなくても、終わりが近づくことだけはわかった。
何度も経験したからではない。
体が覚えているわけでもない。
ただ、白い空間の静けさの中で、終わりだけが少し濃くなる気がした。
百年目。
三月十一日。
午後三時四十六分。
男は、立っていた。
いつものように。
右足が痛い。
腹は減っている。
喉は渇いている。
眠い。
全部、同じ。
だが、男の目は、赤いボタンを探していなかった。
白石を恐れてもいなかった。
一億円を憎んでもいなかった。
ただ、待っていた。
午後三時四十七分。
声がした。
「おかえりなさいませ」
白い床が、面談室の色を帯びた。
古いカーペット。
机。
黒い箱。
赤いボタン。
白石。
グレーと青のストライプのネクタイ。
「ご判断を」
真人は、椅子に座っていた。
三十二歳の五味真人。
何も知らないはずの真人。
だが、今回は、ほんの少しだけ違った。
目が、赤いボタンだけを見ていなかった。
机の上の契約書を見ていた。
分厚い紙。
黒い文字。
署名欄。
押印欄。
真人は、赤いボタンから目を離した。
契約書に手を伸ばした。
白石は、何も言わなかった。
止めなかった。
急かさなかった。
真人は、契約書を開いた。
一ページ目。
文字が並んでいる。
読みにくい。
細かい。
面倒くさい。
いつもの真人なら、そこで流していた。
だが、今度は目を落とした。
一行ずつ。
契約者。
契約期間。
体感時間。
百年。
孤独な空間。
現実時間。
ほとんど変わらない。
契約解除。
不可。
真人は、ゆっくり読んだ。
意味がわからないところで、止まった。
白石を見た。
「ここ」
声が出た。
「この“ほとんど”って、具体的にはどれくらいですか」
白石は、穏やかに答えた。
「通常、お客様の生活上、問題が生じない範囲とされております」
「通常って、誰にとっての通常ですか」
白石の目が、少しだけ細くなった。
笑ったのかもしれない。
「約款に定義がございます」
真人は、契約書に目を戻した。
次の項目を読む。
身体状態の固定。
飲食不要。
睡眠不要。
老化なし。
外部通信不可。
第三者との接触不可。
真人は眉をひそめた。
「睡眠不要って」
「はい」
「眠くならない、という意味ですか」
「いいえ」
白石は言った。
「眠る必要がない、という意味です」
真人は黙った。
喉の奥に、何かが引っかかった。
理由はわからない。
だが、そこで流さなかった。
「眠気は?」
「契約時点の状態に準じます」
「空腹は」
「同様です」
「痛みは」
「同様です」
真人は、自分の右足を見た。
エレベーターを降りたときにぶつけた右足。
小さな痛み。
忘れていた痛み。
そこに、ほんの少しだけ意識が行った。
白い床の男は、何も言わなかった。
言う必要がなかった。
真人は、また契約書を読んだ。
一ページ。
二ページ。
三ページ。
白石は待っている。
時計の音はしない。
面談室の外の音も、遠い。
真人は、何度も止まった。
質問した。
「契約解除不可というのは、期間中の解除ができないということですか」
「はい」
「契約前の撤回は」
「もちろん可能です」
「一度押したら」
「契約履行開始となります」
「途中で死ぬことは」
「契約期間中、身体損壊その他通常の生理的変化は伴いません」
「つまり、死ねない」
白石は一拍置いた。
「その表現を用いるお客様もいらっしゃいます」
真人は、白石を見た。
「他にも押した人がいるんですか」
白石は答えた。
「個別のお客様に関する情報はお答えできません」
「いるんですね」
白石は微笑んだ。
「ご判断に必要な情報は、契約書および約款に記載されております」
約款。
その言葉が、面談室に落ちた。
真人は、手を止めた。
白い床の男も、手を止めた気がした。
以前の自分なら、ここで笑っていた。
「ああ、大丈夫です」
「いいですって」
そう言っていた。
読むのが面倒だったから。
早く終わらせたかったから。
わかった気になっていたから。
だが、今度の真人は何も言わなかった。
遮らなかった。
契約書の該当箇所に目を戻す。
記憶の保持。
消去。
例外的残存。
別途約款。
真人は、その文字を見た。
見た。
今度は、ちゃんと見た。
白石が静かに言った。
「別途約款もお読みになりますか?」
面談室は、静かだった。
赤いボタンは、黒い箱の上にある。
押せば一億円。
押せば百年。
いや。
もう、それだけではない。
押せば、また白い床。
押せば、また右足。
また空腹。
また喉の渇き。
また眠気。
また何もない百年。
それを、真人は知らない。
知らないはずだった。
だが、何かがそこにあった。
白い床の男は、言わなかった。
押すな。
とは言わなかった。
怖がれ。
とも言わなかった。
ただ、見ていた。
真人が何を見るのかを。
真人は、白石を見た。
それから、契約書を見た。
赤いボタンを見た。
もう一度、白石を見た。
「お願いします」
そう言った。
白石は、ゆっくり頷いた。
「かしこまりました」
白石は立ち上がった。
棚の方へ歩いた。
背中は普通だった。
歩き方も普通だった。
怪物ではない。
悪魔にも見えない。
ただ、仕事をしている人間のようだった。
白石は、薄い冊子を持って戻ってきた。
契約書よりは薄い。
だが、文字は細かかった。
表紙には、こう書かれていた。
別途約款。
記憶の保持・消去・例外的残存に関する事項。
真人は、その表紙を見た。
息を吸った。
吐いた。
ページを開いた。
白い床の男は、何も言わなかった。
読め。
とも言わなかった。
もう、言う必要はなかった。
真人は読んだ。
一行ずつ。
記憶保持に関する条項。
契約期間中の記憶統合。
契約終了時の記憶消去。
次回契約履行時における例外的残存。
契約者の意思決定に影響を及ぼす可能性のある感覚残余。
認知的不整合。
違和感。
嫌悪感。
既視感。
未確認の恐怖。
それらの取扱い。
真人は読んだ。
途中で止まった。
何度も読み返した。
白石に質問した。
「つまり、契約期間中の記憶は、現実には基本的に残らない」
「はい」
「ただし、次に同じ空間に入ると、統合される」
「はい」
「現実側には、違和感や既視感のような形で残ることがある」
「その場合がございます」
「でも、それは本人が気のせいとして処理することもある」
白石は、ほんの少しだけ目を伏せた。
「そのように記載されております」
真人は、読み続けた。
ページをめくる。
条項。
但し書き。
例外。
除外事項。
定義。
難しい。
面倒くさい。
読みたくない。
だが、読んだ。
読めないところは戻った。
わからないところは聞いた。
白石は答えた。
答えないところは、答えないと言った。
嘘はつかなかった。
真人は、約款を閉じた。
面談室に、沈黙が落ちた。
白石は言った。
「ご不明点はございますか」
真人は、少し考えた。
「あります」
「はい」
「これは」
真人は赤いボタンを見た。
「押さないこともできますよね」
白石は頷いた。
「もちろんでございます」
「押さなければ、一億円は」
「支払われません」
「契約も」
「履行開始となりません」
「帰っていい」
「はい」
白石は静かに言った。
「ご判断は、お客様にございます」
真人は、赤いボタンを見た。
赤い。
ただの赤いボタン。
丸くて、つるりとしている。
押せば一億円。
押さなければ、何も変わらない。
借金は残る。
督促も残る。
家賃も残る。
封筒も残る。
暗い部屋も残る。
仕事がないことも残る。
沙紀がいないことも残る。
片桐の声も残る。
五味真人も残る。
一億円を得るか。
白い百年を得るか。
それとも、何も得ずに帰るか。
それとも・・・
真人は、赤いボタンを見ていた。
白石は、何も言わない。
「ご判断を」
その声だけが、静かにあった。
真人は、契約書を見た。
別途約款を見た。
自分の右手を見た。
その手は、まだ動いていなかった。
白い床の男は、見ていた。
何百年もかけて、ようやくここまで来た。
読むところまで。
質問するところまで。
遮らないところまで。
「いいですって」と言わないところまで。
ここまで来た。
だから、あなたはたぶん思う。
今度こそ。
今度こそ押さない。
真人は、赤いボタンを見た。
白石が言った。
「ご判断を。」
真人は、少しだけ笑った。
それがどういう笑みだったのかは、誰にもわからない。
救われた笑みだったのか。
諦めた笑みだったのか。
理解した笑みだったのか。
壊れた笑みだったのか。
それとも、ただの癖だったのか。
真人は、右手を上げた。
カチッ。




