18. 轟業
満身創痍の入院生活。
ひたすら寝起きを繰り返し……。
いつしか、眠れない夜に出迎えられる。
今日も、そんな日。
漏れ出た溜め息すら、肺を焼くようだった。
ふと、パイプ椅子が目に入る。
日中、お見舞いに来てくれたのは、堂家さんと石田ちゃんだった。
午前中に来てくれた堂家さんは、私を見て、突然わっと泣き出した。
少し落ち着くと、白峰に脅されたことや、炭田のことを、ぽつりぽつりと零していた。
それと、あの部屋が怖い……とも。
そして、帰り際。
「奈々子ちゃん、変わっちゃった……。専務に、お土産もらったって……。それから専務を……崇拝……してる感じで……。あんな子じゃ……なかったのに……」
と、言い残していった。
その数時間後に来た石田ちゃんは、何か焦った様子で。顔色も悪くて。目も、どこか虚ろ。額には、汗が光っていた。
そんな石田ちゃんが。
「あ、これ、差し入れです。どうぞ……」
と、紙袋を差し出してきた。
がさりと開くと、白い饅頭……が、二つ。酷く甘い匂いが、目の奥に刺さった。
「ありがとう。後でいただくわね」
そっと紙袋を脇に置くと。
「えっ?! 後で……? な、なんで?! こ、これ、美味しいですよ! 私も、大好きで……! 早く、食べてくださいよ!」
石田ちゃんは、腰を浮かせて、手振りが大きかった。額の汗がつうっと流れ、床にぽたり。染みが、広がっていった。
「そう……。でも、食欲が……ね」
「……そ、そう……ですか……」
俯いた石田ちゃんは、青い顔で、ぶつぶつ何かを呟いた。
専務……と、聞こえた気がした。
「うぅ……。失礼します……」
そして、急にガタンと椅子を鳴らして立つと、ふらりと帰っていった。
あの姿、幽霊みたいだったわね……。
結局、饅頭は手元にある。
甘いもの、苦手なのよね。でも、捨てるのも悪いし、今度誰かにあげようかしら……。
ふと、黒い窓の外を眺める。
ベッドからは、空の星さえ小さい。
消灯後は、廊下の非常灯だけが、不気味に緑光を放っていた。
……何か出そうな雰囲気よね。
まぁ、あそこよりは、ずいぶんマシだけど……。
――ブンッ
スマホが、不意に光った。
通知バナーをタップする。
┌――――――――――┐
織瀬 動画共有したよー
明日には消すから
気になったら見てねー
└――――――――――┛ 23:42
動画共有? って、あのアプリ関係かしら……?
と、困惑している間に。
――ブンッ
┌――――――――――┐
織瀬 あ、そうそう。
二時くらいに
リアルタイムやるから
気になったらどうぞー
└――――――――――┛ 23:42
リアルタイム……? カメラ映像かしら……。どこの……?
気にならないわけがなかった。
アイコンをタップする指が、震える。
アプリには"保存済みの動画"という項目があった。
ファイルは……二つ。
喉が、ごくりと鳴った。
空調が壊れたかのように、寒い。
①というファイルを、おそるおそるタップすると……。
――ザッ
画面を砂嵐状のノイズが走った。
びくりと肩が跳ねて、肋骨に痛みが響く。勝手に顔が苦痛で歪む。
画面がブンッと、暗い部屋を映す。壁紙が、ない。
――これ、四〇二号室……?
画角的に、部屋を斜め上から見下ろしているような形だった。
映像は、この病室なんかよりも暗澹として、黒い。
『ドンッドンッ……ドンッドンッ……』
何かを叩くような、乾いた音がする……。
じっと画面を見ると、扉の前にぼやっと、白っぽい人影らしきものが見える。その人影の動きに合わせて、ドンドンと、音が……。
あの後ろ姿、小野君に似ている……。
ぞわりとした。体温が、病室に奪われたようだった。
視線が、泳ぐ。
画面の右下に、あのクローゼットが写っていた。漆黒の、穴……。
ああ、工事中の様子なのね……。
一瞬、そんな考えがよぎった。――瞬間。ずるり……と、白い半透明のものが……穴から這い出てきた。
……は? 指?
目を、凝らした。
手が、腕が、顔が……。
その顔は……三浦君だった。
三浦君が部屋の方へ、歩いていく。
部屋には、赤黒い何かが……飛び散っていた。
……血?
そして、穴からは次々に、ずるり……ずるり……と、白い半透明のものが溢れ出て、玄関の方へ……。
扉を叩く音が、ドンドン……ドンドン……エコーのように、重なり合って増えていく。
――耳の奥……頭に、響く。胃が……悲鳴を上げる。
――ガチャガチャッ
『おい、急げよ!』
『うっす……って、んじゃこりゃあ?!』
そんな部屋に、ブレイブの篠原と、チンピラ風の男が二人、入ってきた。
白い人影たちは、餌に群がる魚のように、次々と飛びついていく。
篠原たちは、気が付く様子がない。
肩に、腰に、頭に……。白い人影が、覆い被さっていった。
『おいおいおい……! なんで血だらけなんだよ! 掃除しただろうがよッ……!』
『やべぇっすね勇気さん……』
『チッ……しゃあねぇ。さっさとやんぞ』
『あ、勇気さん。洗浄液、一本残ってましたわ!』
『……あ? なんで残ってんだよ……全部持ち出したろ……。つーか、一本じゃ足りねぇだろが』
『あ、大丈夫っすよ。俺、持ってますんで』
『なら、早くやれや』
『うっす』
ブレイブの面々の作業は、ずいぶん雑だった。
白い人影を張り付けたまま、三人で液体を、びしゃびしゃっと撒いていた。
床にも、壁にも液体をどんどんと撒いていく。
ぶくぶくと泡を立てて、部屋中が白く――。
『うっ……』『げぇっ……』
『あ? てめぇらどう……ぐっ……』
三人が、口から泡を吹きながら、順番に倒れていった。
人影が、嗤うように、躍る。
――ブーン
その様子を見届けるかのように、ドローンが窓を開けて入ってきた。
作業用アームらしきものが付いている。その姿が、アップになる。
――ブツッ
……映像は、そこまでだった。
あれは、幽霊……? 呪い……?
身震いが、止まらない。喉が、焼ける。胃の腑が、かき回される。
空っぽで、よかった……。
……そういえば、ファイルはもう一つあった。
②というファイルをタップした。
『オーリぃー……。ほぉんとぉに~なんとかぁ~してくれんだろぉなぁ~』
黒い画面。呂律のおかしい声がした。
そして、パッと厳つい顔のアップが、映し出された。
え……これ、白峰?
『ハハッ……。大丈夫っすよー。ちゃんと専務が捕まらないようにしますってー。オレ、そういうの得意なんすからー。まぁ、これでも食って、ゆっくりと、ね。ほら、沖縄のアレも入ってますよー』
リッセーの声……。
そして、誰かの手。その手には、白くて丸いものが握られていた。あれは……?
『へぁ~……かでなかぁ〜……こぉれ、うめぇんだぁ~……へへ……』
白峰、目の焦点が、合って……ない……?
『織瀬く~ん。それが噂のブツかい?』
もう一人、いる? 誰……? この冷たい声……何処かで……。
『そうっすよー。噂通り、ヤバいっしょ』
『おお……。えっぐいな。ま、こっちとしては、商売敵が減りゃ万々歳よ。ウチはクリーンな商売だからな。かっかっ』
『あ、そうだ。そちらさん、女も扱ってましたよね?』
『お。なんだ? アテあんのか?』
『二十二歳。小柄で細身。どうっすか?』
『おいおい〜。さっすがだなー。オヤジに口利きしてよかったぜー』
『いやー。マジで助かりましたよー』
『かっかっ。いい取引だったぜ』
『おぉい……なぁにしてんだぁ~もっとくれよぉ~……』
『ハハッ。もうすっかりお気に入りじゃないっすかー。仕方ないなぁー』
白い、饅頭……。
――ザッ
そこで、ノイズと共に映像が途絶えた。
……リッセー、白峰と一緒にいたの? もう一人は、誰……?
一体何を企んでいるの……? あれは石田ちゃんの事……?
胸の奥が、チリチリとする。火が……着いたようだった。
午前二時まで、あと少し……。
気分を落ち着けようと、ゆっくりと目を閉じた。
……。
――ブンッ
スマホが震えた。いつの間にか、二時だった。
┌――――――――――┐
織瀬 そろそろ始めるよー
└――――――――――┘ 2:00
リッセーのメッセージは、いつもの調子だった。
見守りアプリを開く。
そして、リアルタイムカメラ……を、タップした。
黒い、壁。
――南嘉手納荘……?
映っているのは、四号棟だった。
『あ~? アレがいけねぇんだなぁ~』
星形の、中央の広場を、ひたり……ひたりと、白峰が歩いていた。千鳥足だ。
『そっすよー。汚物は消毒だーってね? アハハ』
リッセーの、笑い声……。
『おぶつだぁよっと~』
白峰が、小野の車に乗り込んだ。キュルキュルとエンジンに火が入る。
ブオンと、勢いよくアクセルが踏まれた。
何を……?! 息を呑んだ。
……が。
動かない。空吹かし……?
――静寂と、闇。
それを破った、ガチャッという音。
きゃきゃあと、けたたましい悲鳴。
タイヤが、もうもうと煙を立てた。
――その刹那。
車は飛ぶように、四号棟に吸い込まれていった。
――えっ……?
ドォーーーン!!
轟音が響き、爆炎が、上がった。
ごうごうと、耳を、塞ぐ……。
一息、必死で吸う間に、黒煙と業火が四号棟を包んだ。漆黒を切り裂き、天に昇らんとする赤い蛇が、踊る。
……息が、止まる。
同時に、画像がザッ……と乱れた。
『ハハッ。言ったっしょ? 専務は捕まらないって、ね』
――ブツッ
映像が、切れた。
廊下の、緑……。
小さな、星……。
カチ……カチ……。時計の、音……。
……。
……え?
な、に……あれ……。
事故……?
白峰が、死んだ……?
……は?
リッセー……?
――これが……完……罪……?
鉄の、匂い。
ごぼり。胃が、裏返る。
……手の中に、ナースコール。
「あは……アハハァァ……! アあァアァァ……!」
込み上げた。
吐瀉物が、身体も、ベッドも、シーツも、スマホをも、汚していった――
わた……し……は……
染まっ……
汚濁
汚濁
汚濁……
おだくオダクおだああああアアアァァァうウぅ……
――ピンポーン




