012.目の前にあった危機
深夜。
静まり返った宿の一室に、低い唸り声が響いた。
「うー! わん!(妹ちゃん! 起きて!)」
愛犬の声に、私は意識を強制的に引き戻された。
跳ね起きるのと同時に、ガチャリと鍵が開く音が聞こえた。 私は反射的に隣にいた愛犬を強く抱きしめる。
次の瞬間、勢いよく開いたドアから、黒ずくめの男が室内に飛び込んできた。 私の腕をすり抜け、弾丸のように飛び出したのは愛犬だった。
「わんわん、わぅーん!(レディの部屋に侵入するなんて! 変態退散ー!)」
レイは肉体改造のスキルを使っているのか、凄まじい速度で男の腹部へと突っ込んだ。
「な、ぐえっ」
男はまともな声も出せず、ドア横の壁に打ち付けられた。 その背後から、さらに二人の体格の良い大男がぬっと姿を現した。 だが、一人はレイの横からの追撃を食らい、廊下へと吹き飛ばされ、目を回しているようだ。
「わぉーん! わんわん!(妹ちゃんも、お姉ちゃんにできることはできるはずよ!)」
愛犬の叱咤に、私はようやく自分のスキルを思い出した。 愛犬の使えるスキルは使えるのだ。 肉体改造。 心の中で強くあれと念じ、向かってくる男へ向けて叫んだ。
「うぉりゃー!」
全身の力を拳に込め、私は立ち上がりながらがむしゃらに腕を振り上げた。
凄まじい風切り音がした私の拳は、ものの見事に空を切った。 あまりの勢いにバランスを崩し、私はそのまま床に転倒する。 だが、倒れ込んだ私の腰が、偶然にも男の足を強烈になぎ倒した。
肉体強化されている私の体に痛みは無かったが、恥ずかしくて顔を両手で覆う。
「わぅ(妹ちゃん……)」
呆れたようなレイの声が聞こえる。
「け、結果オーライじゃない?」
私が言い訳をすると同時に、廊下からバタバタと騒がしい足音が近づいてきた。 倒れていた男たちは、形勢不利と見たのか慌てて起き上がり、部屋の窓を壊す勢いで開け、次々と夜の街へと飛び降り、逃げ去っていった。
「ちょっと、何事?」
部屋に飛び込んできたのはディナだった。
「コリーちゃん、大丈夫?」
部屋の外で聞こえたクリスの声に、私はハッとして部屋の外へ向かった。
廊下には、看板娘のコリーが泣きながら座り込んでいた。
「おねえちゃん……ごべんなさい……」
震える声で謝る彼女を見て、私は全てを察した。
「コリーちゃん、おばさんたちは……」
「うぐぅ……」
嗚咽を漏らすコリーは言葉にならないようだ。
私の所為で宿の家族を巻き込んだのかと、心臓が締め付けられる思いだった。 だが、即座に階下を確認しにいったラフリコが戻り、家族は無事だと告げた。 二人とも縛られてはいたが、怪我はないという。
男たちに脅され、合鍵を渡すよう強要されたのだと、宿の人々は深く頭を下げた。 私は首を振り、目立ってしまった自分の落ち度を詫びた。
とは言え、今回はなんとかなったが、ここに留まるのは危険すぎる。 私は何度も気にしないようにと謝りながら、宿を移る決心をした。
今回のことで一部破壊されてしまった家具などの弁償として白金貨を一枚渡す。 おばさんたちはしばらく受け取りを拒否していたが、私の気が済まないと必死に頼み込み受け取ってもらった。
その後、ディナたちのアドバイスで警護の厳重な、商業ギルド向かいの宿へ明日から移動することになった。 あのフィルという商人のお姉さんも泊まっている宿だ。
廊下で今後のことを相談する私は、ディナたちに不安を打ち明けた。 私は戦い方を知らないことを。 そして今回のことも愛犬がいなければ、今頃どうなっていたか分からないことを。
「神の試練を越えれば強くなれる。 冒険者はそうやって強くなるんだ」
クリスのアドバイスは、ゲームで言うところのレベルアップであった。 異世界らしい仕組みに、私は納得すると同時に覚悟を決めた。
私は三人に深く頭を下げ、狩りの極意を教えてほしいと頼み込んだ。
◆◇◆◇◆
王都の一角、クレフトロニ男爵邸。
奴隷商を家業とする男爵は、最近耳にしたある噂に執心していた。 商業ギルド長に仰々しく見送られた、カナという名の少女のことだ。
彼は馴染みの傭兵団「黒鉄の牙」に、その少女の捕獲を依頼していた。 情報を集めながら、部下に商業ギルドを見張らせ、やっと今日進展があったと言ってやってきたが、尾行に失敗したのだと報告を受けた。
「どうして捕らえられんのだ! 護衛も付けずに歩いているような小娘だろう!」
男爵の叱責に、団長のイペルゴ=ラヴィアは苦い顔をした。
「中々どうして、途中で巻かれましてな。 だが宿の場所は特定しました。 今夜、確実に捕縛し、ここに連れてきてやりますよ」
イペルゴ=ラヴィア
イペルゴの報告に、男爵は下卑た笑みを浮かべて命じた。
「絶対に捕獲し、首輪を付けて俺の前へ連れてこい! そのとんでもないという魔導具の出所を吐かせるのだ!」
男爵は、昼間の時点で報告を受けていたとんでもない魔導具に、随分と執着しているようだ。
だがその数時間後、深夜にもかかわらずイペルゴは再び男爵邸に現れた。
「……しくじりました。 宿の主人を脅して侵入しましたが、使役獣に返り討ちに遭いまして」
その言葉を聞き、男爵はわなわなと怒りに震えた。
「多少の金をちらつかせても構わん! 予備の戦力を投入しろ! どんな方法でも良い! なんとしても捕らえよ!」
怒号を背に、イペルゴは邸を後にした。
心中では「この豚貴族め」と毒づいていたが、金払いの良い客を切るわけにはいかないのだ。
それにしてもあの少女と、妙に勘の良いあの獣。 次はどう攻めるべきか……たかが女一人と高を括り、下っ端を送ったのが悪かったのだと反省する。
「俺が出向くしかないか……いや、まずはまともに交渉してみるか? あのクソ野郎の言う通り、多少の金をちらつかせれば釣れるかもな。 油断したところを奴隷契約してしまえば……」
イペルゴは暗い夜道で卑劣な策を練りながら、夜の闇に消えていった。
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