第四話
私が柏原家の人間だと告白した日以来、あのお店には行けていません。
あの日、私が本当の事を言っても、明子さんは決して私のことを悪く言ったりしませんでした。むしろ、優しく接してくれました。
でも、私は行けなくなってしまったのです。
時折、放課後にお店へ向かおうかと考える事はありましたが、どうしても足が動かなくなってしまうのです。
そうしている内に、日は短くなり、風は冷たさを増してゆきます。
それを感じる度に、私の心には焦りにも似た感情が現れるのです。
それは、十二月の中旬のことでした。
「柏原製菓」に、私宛の手紙が届けられたと会社から連絡が来たのです。
その手紙は、明子さんからのものでした。
そこには、クリスマス、つまり最後の営業日に、私にあげたいものがあると書かれていました。
私は迷いました。私なんかが行っていいのかと。
手紙を読んだ日、私は久しぶりに夢を見ました。
その夢の中で、私は赤ちゃんになっていました。
その私を、おじいさんとおばあさんが満面の笑みを浮かべてあやしてくれたのです。
「まあ、可愛い。マリ子ちゃんはお父さん似ですね。ほら、お手々の線がおじいさんと一緒ですよ」
(私の手の線……)
「いいや、マリ子はお母さんそっくりだよ。ほれ、笑うとえくぼができるとこ、おんなじだ」
(私のえくぼ……)
私は目を覚ますと、すぐに自分の手を見ました。
ずっと薄気味悪く思っていた、一本線の手のひら。
次に、私は手鏡で自分の顔を見ました。
幼稚園の男の子にからかわれて以来、コンプレックスだったえくぼ。
迷いは自然と消えていました。
雪のないクリスマス。
私はお店にやって来ました。
お店には、閉店を惜しむお客さんが数名いました。
「あら、マリ子ちゃん、来てくれたのね」
私が店内に入ると、明子さんが声をかけてきました。
「こんばんは」
「少し客席で待っていてくれるかしら。もうすぐ商品も売り切れるから」
私は客席で、もらった紅茶を飲みながら待ちます。
しばらくすると、最後のお客さんが帰って行きました。。
そのお客さんを見送ると、明子さんが私の所にやって来ます。
「招待したのに、お待たせしてごめんなさい」
「いいえ、そんなことありません」
「それでね、手紙にも書いたけど、マリ子ちゃんにあげたいものがあるの。今、持ってくるからね」
明子さんは厨房に入って行きました。
やがて明子さんは、お皿を一つ持って戻って来ました。
そのお皿には、私には見覚えがあるシュークリームが乗っていました。
「これはね、私の両親が作っていたシュークリームなの。レシピを見て、私が再現したのよ」
「それが、私にあげたいと仰っていた物ですか?」
「そうよ。最後に、あなたに食べて欲しかったの」
明子さんが私の前にシュークリームを置いてくれます。
私がそれをじっと見つめると、懐かしい気持ちになりました。
丸みを帯びた薄茶色の生地に、粉砂糖がかかった、昔ながらのシュークリーム。
「どうぞ召し上がれ」
「ありがとうございます。いただきます」
フォークを持ってシュークリームを取ると、口に運びます。
口に広がるまろやなカスタードクリームの甘味と、鼻に通る生地の香ばしい風味。
それは間違いなく、おじいさんとおばあさんが作っていたシュークリームでした。
「どうかしら?」
「はい、私が小さい頃に食べたシュークリームです。とてもおいしい……」
私の様子を見て、明子さんが微笑みます。
「マリ子ちゃんの笑顔、とってもすてきね」
私は昨夜の夢を思い出していました。
「おいしいお菓子は、人を笑顔にしてくれくれるんですよ」
そう言うと、私達は笑い合いました。
「今日はお招きいただき、ありがとうございました」
私がお礼を言うと、明子さんはお土産を取り出します。
「シュークリーム、お家で食べてちょうだい」
「そんなにたくさん。ありがとうございます」
私は右手を差し出します。
すると、明子さんは私の手のひらを見て、何かに気づいた様でした。そして、愛しそうに手を包んでお土産を持たせてくれました。
「気をつけてね」
「はい。それでは、失礼します」
私は一礼してお店を後にします。
少し歩いて私が振り返ると、お店の明かりが消えるのが見えました。
私はまた歩き始めます。
外は暗くなっていて、頭上にはきれいな星空が広がっていました。
「あっ」
そうつぶやいて、私は空を見上げます。
「流れ星!みーつけた!」
おしまい