100話 ただ幸せに生きて欲しかった。
『……簡単に言うと、こんなところだ』
『リーシュエの目的は、グレンを蘇らせること。それさえ叶えば、正気を取り戻すかもしれないな』
研究所にて、ハルは封印の書に口を与えた。
会話ができるようになった封印の書は、リーシュエが封印されるに至った経緯と、その目的について語った。
「それは500年前の話ですよね。その方の魂は、すでに転生している可能性が高いと思いますが」
『知らねぇよ。リーシュエにとっちゃ、グレンが全てなんだ。現に今も、グレンのために蘇生魔法を繰り返している。肉体が朽ち果て、魂だけになった今でもな』
『あの女の正気を取り戻せるのは、グレンだけだぜ』
『フハハ! 簡単な話だろうが。聖者にグレンを喚び出させて、俺が喰らえばいい!』
『フハハハハハ!!』
「……なるほど。あなたはグレンを蘇らせた後、自分が喰らうつもりなのですね」
「それで、リーシュエさんは正気に戻るのですか?」
『ああ?』
「グレンを蘇らせたところで、あなたが喰らってしまえば意味がないでしょう」
『さあな。どうだろうな』
ハルは小さくため息をついた。
「つまり、リーシュエさんのためと言いながら、あなた自身の目的も果たそうとしているわけですね」
『フフフフフ』
「そうですか」
ハルは封印の書を手に取ると、表紙を軽く叩いた。
「ワタルさん、お願いします」
「はい!」
ワタルさんは両手を組み、祈りの言葉を唱えた。
「女神アローナ様。どうか、この封印の書を浄化し、リーシュエさんの正気を取り戻してください!」
『ぎゃあああ!!』
目を覆いたくなるほど眩しい光が、封印の書を包み込んだ。
バダン! バダン!
封印の書はテーブルの上で激しく暴れ回る。
表紙の目玉はギョロギョロと動き回り、口からはどす黒い液体を吐き出していた。
やがて、書から黒い靄が剥がれ落ちるように消えていく。
そして、封印の書を包んでいた光が静かに収まった。
それまで禍々しい雰囲気を放っていた表紙は、白銀を基調とした美しい装飾へと変わっていた。
ページの端には金色の文字が浮かび上がり、書物全体から清らかな魔力が感じられる。
「……終わりました」
ワタルさんがそう告げると、ハルは目の前の光景に目を見張った。
「これは……」
『…………』
しばらく沈黙していた封印の書が、静かに口を開いた。
『ありがとうございます、聖者様。おかげで、私は本来の姿を取り戻すことができました』
『……私は、なんて非道なことをしていたのでしょう。リーシュエの魔力を吸い続けるうちに、いつしか邪悪なものに染まってしまったようです』
『私は、リーシュエがグレンに執着していることを利用していました。グレンの魂を喰らえば、リーシュエの精神は完全に崩壊する。その魂を取り込むことで、私自身もさらに強大な存在になろうとしていたのです』
『しかし、今は後悔の念しかありません』
『本来、私の役目は魔女リーシュエを封印し、その精神を浄化することだったはずなのに……』
『ああ、私はなんということを……!』
「……」
ハルは黙って封印の書を見つめていた。
すると、封印の書が何かに気づいたように声を上げた。
『あっ、魔女リーシュエが目を覚ましたようです』
『封印を解いてもよろしいですか?』
「お願いします」
ハルは苦笑を浮かべながら答えた。
すると、封印の書に巻き付いていた鎖が、ジャラジャラと音を立てて滑り落ちていく。
バキン!
最後の鍵が外れた。
封印の書がひとりでに開き、ページがバラバラとめくられていく。
やがて、あるページで動きが止まった。
その瞬間、ページの上から黄色く光る球体が、スゥッと浮かび上がった。
「アローナ様。どうか、リーシュエさんをグレンさんに会わせてあげてください」
ワタルさんが女神アローナに祈りを捧げる。
すると、リーシュエの魂は淡い光に包まれ、無数の光の粒となって消えていった。
◇◇◇
『やあ、リーシュエ。久しぶりだね』
聞き覚えのある声だった。
500年間、一度たりとも忘れたことのない声。
リーシュエは、ゆっくりと目を開けた。
『嘘……。どうして……?』
『そんなに驚かなくてもいいじゃないか』
『グレン!!』
リーシュエは彼に駆け寄ろうとした。
しかし、あと一歩というところで足を止めてしまう。
『どうして……どうして、あなたがここにいるのよ! 私はずっとあなたを探していたのに!』
『知っているよ』
『私はあなたを蘇らせようとしたの! 何度も、何度も蘇生魔法を使った! 肉体がなくなっても、魂だけになっても諦めなかった! それなのに……!』
『うん』
『どうして来てくれなかったのよ!』
グレンは困ったように微笑んだ。
『ごめんね』
『………』
『僕はずっと、ここで君を待っていたんだ』
『………』
『君がいつか、ここまで来てくれると信じていたからね』
リーシュエの目から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。
『私……あなたに会いたかった……』
『うん。僕も会いたかったよ』
『ごめんなさい……ごめんなさい、グレン……』
『どうして謝るんだい?』
『だって、私……あなたを蘇らせることばかり考えて……。あなたがいない世界なんて、どうでもよくなっていたの……』
『リーシュエ』
グレンは、彼女の名前を優しく呼んだ。
『僕が君に望んでいたのは、そんなことじゃないよ』
『でも……』
『僕がいなくなった後も、君には幸せに生きていてほしかったんだ』
『私には無理よ……。あなたがいないのに……』
『もう大丈夫だよ。僕はここにいる』
グレンはそっと彼女の手を取った。
『もう、無理をしなくていいんだよ。500年間、よく頑張ったね』
『……ううっ……』
リーシュエは彼の胸に顔を埋め、声を上げて泣いた。
グレンは何も言わず、ただ彼女を優しく抱きしめ続けた。
しばらくして、ようやく落ち着いたリーシュエが顔を上げた。
『ねえ、グレン。私、これからどうすればいいの?』
『そうだね。まずは、ゆっくり休もうか』
『それだけ?』
『それだけだよ。これからは、二人で過ごす時間がたくさんあるんだから』
『……本当に?』
『もちろん』
グレンは優しく微笑んだ。
500年間、リーシュエはグレンを蘇らせることだけを考えて生きてきた。
けれど、グレンが彼女に望んでいたのは、自分を蘇らせることではなかった。
自分がいなくなった後も、彼女には幸せに生きてほしい。
ただ、それだけだった。
そして今、ようやく二人は再会を果たした。
そして互いの手をしっかりと握りしめた。
もう二度と離れることのないように。




