1話 女神アローナは泣き上戸
7月30日、夏。
とある一軒家の二階にある部屋。
そこには、本来なら大型犬が使うはずのケージが置かれていた。
中にいたのは、幼い兄妹だった。
二人は首輪をつけられ、自由を奪われたまま、暗い部屋の中で小さく寄り添っていた。
窓の外から聞こえるのは、夏を告げるセミの声。
しかし、その声を聞く二人の瞳には、もう何の感情も残っていなかった。
「……もう、暑いとかも感じないや」
少年は弱々しく呟く。
「ユカリ……動かない」
隣にいる妹の手を握る。
返事はない。
「次に生まれてくる時は……」
少年は静かに目を閉じた。
「親なんていらないから……ユカリと二人がいいな……」
その願いを最後に、少年の意識は闇へ沈んだ。
その瞬間。
『ヴァアアアアアアアッ!!』
世界の狭間で、一人の女神が大声で泣き叫んでいた。
『ひどいよぉぉ……!』
地球へ遊びに来ていた異世界の女神、アローナ。
彼女は兄妹の魂を優しく抱きしめる。
『そんな悲しい願い、叶えるしかないじゃん……!』
涙を流しながら、女神は新たな力を使う。
『大丈夫!』
『今度は二人で幸せになれる人生をあげるから!』
光が二つの魂を包み込む。
そして、新たな肉体が作られ、二人の魂は再び目覚めることとなる。
一方。
アレス公国中央部。
広大な荒野の中で、一人の少年が地面に魔法陣を書いていた。
アレス公国第一王子、カミーユ・アレス。
彼は真剣な表情で古びた魔導書を開いている。
その後ろには数名の騎士たちが控えていた。
「……本当に大丈夫なのか?」
「何がです?」
「いや……あの魔法陣で勇者が呼べるなら、俺は一生あの王子についていくわ」
「俺も」
「俺はやめておく」
「ブハッ!」
「クックック……」
騎士たちは笑いを堪える。
しかし、カミーユは気づかない。
「よし……完成だ!」
地面に描かれた魔法陣を見下ろし、満足そうに頷く。
「あとは呪文を唱えるだけだ」
そして、大きく息を吸う。
「じゅげむじゅげむ、ごこうのすりきれ……」
意味不明な言葉が荒野に響き渡る。
「かいじゃりすいぎょのすいぎょうまつ……」
騎士たちは顔を伏せる。
笑いを堪えるために。
しかし――
「……っ!」
魔法陣が反応した。
黒い光が荒野を包み込む。
「お、おお……!」
「成功した……?」
騎士たちの表情が変わる。
そして光が消えた場所には二人の子供が倒れていた。
ボロボロの服。
首についた古びた首輪。
そして、痩せ細った体。
「…………」
カミーユは絶句する。
「こ、これが……勇者?」
信じられないという顔で二人を見る。
「奴隷じゃないか……」
その言葉に、騎士たちは黙り込む。
「ふざけるな!」
カミーユは怒りに任せて魔導書を地面へ叩きつけた。
「勇者召喚で現れる者が、こんな奴隷の子供であるはずがない!」
彼は魔導書を踏みつける。
「帰るぞ!」
「……はっ!」
騎士たちは敬礼し、王子の後に続く。
馬車はゆっくりと荒野を離れていく。
灼熱の太陽が照りつける荒野には、異世界へ転移したばかりの幼い兄妹だけが残された。




