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連鎖の将器 〜無才の拍取りは万軍を繋ぐ〜  作者: 鷹山
第一部 無才の木札
6/6

第6話:敗走の道

 事情聴取という言葉は、もっと静かな場所で行われるものだと思っていた。

 机があるとか。

 椅子があるとか。

 お茶は出ないまでも、水くらいはあるとか。

 少なくとも、背後で負傷兵が呻き、前方で敵の追撃を止める盾兵が怒鳴り、空から竜騎兵の焦げた鞍が落ちてくるような場所ではないと思っていた。

 だが現実は違った。

 戦場では、事情も聴取も歩きながら行われる。

 カイは後衛部隊の列に組み込まれ、士官の横を歩かされていた。

 逃げながら事情聴取。

 新しい。

 いや、たぶん軍では普通なのかもしれない。やめてほしい。普通であってほしくない。

「名をもう一度」

 士官が言った。

「カイ・リンド。西部リンド村出身です」

「所属」

「第七歩兵補充隊、予備線補助」

「階級」

「ありません」

「軍才登録」

「ありません」

「固有スキル」

「ありません」

「ではなぜ、撤退中の兵を集め、臨時隊列を形成した」

 来た。

 核心。

 カイは少し考えた。

 ここで「音が変だったので」と言うとどうなるか。

 たぶん、医療幕舎ではなく別の意味で幕舎に連れていかれる。頭を診られる。いや、実際少し診てもらった方がいいのかもしれない。俺も自信がない。

「……放っておくと、散ると思いました」

「なぜそう判断した」

「軍旗がなく、太鼓も届かず、兵科が混ざっていました。敵騎兵が来ていたので、ばらけたら追撃で潰されると」

「それは誰に教わった」

「本で読みました」

 士官が一瞬だけ眉を上げた。

「本?」

「兵法書です」

「平民が兵法書を?」

 その言い方に、カイの胸の奥が少しだけ固くなった。

 平民が読むと悪いのか。

 いや、実際珍しいのは分かっている。高価だし、文字を読める平民も少ない。兵法書など、軍学校や貴族屋敷の書庫にあるものだ。

 でも、言い方。

 今ちょっと嫌な感じだったぞ。

 カイは笑顔を作った。

「粉を挽く合間に。粉まみれの兵法です。たぶん格式は低いです」

「ふざけるな」

「すみません。癖で」

「戦場で軽口を叩ける余裕があるのか?」

「余裕がないので叩いてます」

 士官が黙った。

 しまった。

 また余計なことを言った。

 でも本当だ。

 余裕がないから喋る。

 喋っていないと、自分の中の怖さが膨らみすぎる。

 黙ったら、さっき見た白い火が戻ってくる。燃えた旗。倒れた兵。左へ走って焼けた男。自分が止められなかった声。

 だから喋る。

 冗談で蓋をする。

 それがいいことなのか悪いことなのかは知らない。

 少なくとも今は、歩けている。

 士官は少し声を落とした。

「貴様は、解鎖前に反動を予測したと証言されている」

「予測というか……嫌な感じがしました」

「嫌な感じ?」

「左翼の盾列が遅れていて、魔石杭の光が沈んでいて、魔法兵団の高音部が風で流されていました。そこに竜騎兵の魔力が乗ったので、反動が左に引かれると思って」

 話しながら、カイは自分で不安になった。

 これ、言っていることが新兵の証言じゃない。

 完全に変だ。

 自分でも気持ち悪い。

 士官の表情も変わった。

 疑いではなく、警戒。

「それをどこから見た」

「予備線からです」

「予備線から、魔石杭の沈みと魔法兵団の詠唱遅延を把握したと?」

「……はい」

「貴様は感知魔法を使えるのか」

「使えません」

「魔力視は」

「ありません」

「軍才は」

「なしです。木札にもそう書いてあります。王国軍公認の無才です」

 カイは首から木札を持ち上げて見せた。

 灰で汚れた木札。

 士官はそれを見て、さらに顔をしかめた。

 まるで木札の方が嘘をついていると言いたげだった。

 やめてくれ。

 木札まで疑わないでくれ。

 俺の最後の拠り所なんだ。俺は無才。無害。粉挽き。ほら、怖くない。


 その時、前方で角笛が鳴った。

 鋭い三音。

 後衛部隊の盾兵たちが即座に反応する。

「敵斥候、右前方!」

 士官が歩みを止めた。

 カイも止まった。

 右前方の小丘から、黒い影がいくつか滑るように降りてくる。敵の軽装兵。魔族傭兵だろうか。足が速い。こちらの撤退列の横腹を狙っている。

 後衛盾兵隊がすぐに横列を作る。

 さすが正規兵。

 動きが速い。

 軍旗も太鼓もある。さっきの敗残兵たちとは違う。

 盾が並び、淡い光が走る。

 《盾列共鳴》。

 安定している。

 ……いや。

 カイの胸の奥で、糸が少しだけ震えた。

 右端。

 右端の盾兵が半歩遅い。

 負傷しているのか。

 いや、肩を庇っている。たぶん反動傷。盾は上がっているが、魔力が薄い。

 その薄い部分に、敵斥候の一人が向かっている。

 見えているのか。

 敵にも、そこが弱いと分かっているのか。

 カイは反射的に言いそうになった。

 右端。

 そこを補強しろ。

 言え。

 いや、言うな。

 今は事情聴取中の無階級補助兵だ。正規後衛部隊に口を出すな。さっきそれで命令違反扱いされたばかりだろ。学習しろ、カイ。

 でも。

 敵が突っ込む。

 右端の盾兵が受けきれず、盾列が割れる。

 そこから斥候が入り、撤退列の負傷者へ。

 カイは歯を食いしばった。

 くそ。

「右端、薄い!」

 叫んでいた。

 やっぱり学習能力がない。

 士官がこちらを見る。

 盾兵隊の隊長も振り返る。

「右端の負傷兵、半歩下げて! 後ろの盾を入れてください!」

 数秒。

 誰も動かなかった。

 終わった。今度こそ怒鳴られる。

 しかし、士官が短く命じた。

「右端、交代!」

 盾兵隊が動いた。

 右端の兵が半歩下がり、後列の盾兵が前へ出る。

 その直後、敵斥候が突っ込んだ。

 刃が盾に弾かれる。

 もし交代していなければ、割られていた。


 盾兵隊が押し返し、後列の弓兵が敵を射る。敵斥候は一人倒れ、残りは退いた。

 短い衝突だった。

 だが、後衛部隊の中に沈黙が落ちた。

 士官がカイを見た。

 今度は明確な警戒だった。

 ああ。

 終わった。

 余計なことをまたやった。

 でも助かった。右端の人は助かった。なら、まあ、いいか。いや、よくない。今後の俺がよくない。でも今の人はよかった。

 カイは乾いた笑みを浮かべた。

「……たまたまです」

「まだ何も言っていない」

「先に言っておこうかと」

「貴様」

 士官は言葉を切った。

 その目が、カイの木札から顔へ移る。

「本当に軍才なしなのか」

「俺が一番そうであってほしいです」

 心からの本音だった。

 士官は少しだけ眉を寄せたが、それ以上追及する前に、撤退列が再び動き出した。


 後衛部隊に守られながら、カイたちは西へ進んだ。

 王国軍の撤退は続いている。

 途中で合流してくる部隊は、どれも傷ついていた。

 盾が割れた盾兵。

 弦を失った弓兵。

 詠唱のしすぎで声を潰した魔法兵。

 魔石杭を抱えたまま倒れ込むドワーフ工兵。

 獣人斥候の一人は片耳を焼かれていた。

 人間だけではない。

 この世界の軍は多種族で成り立っている。

 だが、痛む時はみな同じ声を出すのだと、カイは知った。

 それは、本当に嫌な知識だった。


 夕方近く、撤退列は一時的な集結地に到着した。

 そこは古い街道沿いの野営跡で、木の柵と簡易結界が残っていた。王国軍はそこを臨時の収容地にし、敗残兵と負傷者をまとめていた。

 治癒幕舎が足りていない。

 負傷者が列を作っている。

 治癒兵たちは走り回り、魔力枯渇寸前の顔をしていた。

 カイたちが連れてきた負傷者も、そこへ運ばれた。

 ようやく一息つける。

 と思った。

 もちろん、そんな優しい展開はなかった。

「カイ・リンド」

 先ほどの士官が言った。

「貴様はこっちだ」

「休憩は」

「後だ」

「水は」

「後だ」

「軽食は」

「後だ」

「人生は厳しい」

「黙れ」

 カイは肩を落とした。


 連れていかれたのは、集結地の中央にある指揮用天幕だった。

 外では負傷者が呻いている。中では軍吏や士官たちが怒鳴り合っている。地図が広げられ、駒が散らばり、魔力灯が揺れていた。

 中央には、灰色の髪の老参謀らしき男がいた。

 片手に短杖。胸に複数の勲章。だが鎧は簡素で、顔に派手さはない。

 その隣には、若い貴族将校が立っている。金髪で、整った顔。こちらは鎧も外套もやたら綺麗だ。戦場を通ってきたはずなのに、泥が少ない。どういう仕組みだ。貴族専用の泥よけ魔法でもあるのか。あったら俺にも貸してほしい。

 士官が敬礼した。

「臨時報告です。第七歩兵補充隊所属、カイ・リンド。敗走中、指揮権なく複数の兵を誘導。さらに後衛部隊の盾列異常を指摘し、敵斥候の侵入を防ぎました」

 老参謀の目がカイに向いた。

 若い貴族将校の目も向いた。

 うわ。

 視線が重い。

 俺、木札より重いものは持ちたくないんですが。

「平民の補充兵か」

 若い貴族将校が言った。

 声には明らかな疑いがあった。

「名は?」

「カイ・リンドです」

「軍才は?」

「ありません」

「スキルは?」

「ありません」

「魔法は?」

「使えません」

「剣は?」

「並です」

「では、何ができる?」

 すごい。

 ここまで来ると清々しい。

 何ができる?

 自分でもずっと聞きたい。

 粉が挽けます、と言ったらどうなるだろう。いや、言うな。さすがに殴られる。


 カイは少し考えた。

「……ずれる音が、分かります」

 天幕の中が一瞬静かになった。

 若い貴族将校が眉をひそめる。

「音?」

「あ、いえ、その、変な意味ではなく。部隊の動きとか、太鼓とか、詠唱とか、そういうのが噛み合ってない時に、気持ち悪い感じがします」

「感覚論か」

「はい。すみません。俺もできればもっと立派な説明をしたいです」

「ふざけているのか」

「緊張しています」

 若い将校の眉がさらに寄る。

 老参謀が片手を上げた。

「続けろ」

 低い声だった。

 怒ってはいない。

 だが、誤魔化しは許さない声だった。

 カイは喉を鳴らした。

「今日の解鎖前、左翼の盾列が遅れていました。地面が重かったからです。魔石杭も少し沈んでいました。魔法兵団の詠唱も、風と霧で高音部が遅れていたと思います。そこへ竜騎兵の魔力が乗って、反動が左に引かれた……ように、感じました」

 言いながら、カイは自分の声が少し震えているのに気づいた。

 でも止めなかった。

「俺は、軍才も魔法もありません。だから正しい理屈は分かりません。ただ、あのまま解鎖したら、壊れる音がしました」

 若い将校が冷たく言った。

「壊れる音、か。戦場で詩を詠む余裕があるとはな」

 カイは口を閉じた。

 何か言い返したかった。

 でも、相手は貴族将校で、自分は補充兵。

 身分差。

 階級差。

 現実。

 黙れ、カイ。

 今ここで喧嘩を売るな。

 老参謀が地図へ目を落とした。

「左翼の盾列遅延は、現地報告にもある。魔石杭の沈下も、ドワーフ工兵隊から一部報告が来ている。魔法兵団の詠唱遅延については、まだ確認中だ」

 若い将校が老参謀を見る。

「閣下、まさかこの新兵の感覚を採用するおつもりですか」

「採用はしない。だが無視もしない」

 老参謀はカイを見た。

「お前は解鎖前に、周囲の兵を三歩下げたそうだな」

「はい」

「なぜ三歩だ」

「……たぶん、反動の端がそこまで来ると思ったからです」

「たぶん?」

「すみません。正確には分かりませんでした。ただ、三歩なら間に合うと思って」

「結果、三歩下がった者は助かった」

「全員ではありません」

 カイは思わず言った。

 天幕がまた静かになる。

 カイは視線を落とした。

 白く焼けた男の姿が頭に浮かんだ。

「助けられなかった人もいました」

 老参謀はしばらくカイを見ていた。

「お前は自分の判断で兵を動かした。軍規上は問題がある」

「はい」

「だが、その判断で生き残った兵がいる」

「……はい」

「貴族将校殿」

 老参謀は若い将校へ目を向けた。

「この者を処罰するのは簡単だ。しかし今、我々には情報が足りない。敵は我が軍の大連鎖を読んでいた可能性がある。ならば、異常を拾える耳は、一時的にでも使う価値がある」

「平民の新兵を、軍議に関わらせると?」

「軍議には関わらせん。観測に使う」

 使う。

 その言葉が、カイの胸に引っかかった。

 いや、当然だ。

 軍は人を使うところだ。

 槍兵を使う。弓兵を使う。魔法兵を使う。補助兵を使う。

 今度は自分が「異常を拾う耳」として使われる。

 何もおかしくない。

 おかしくないが。

 少し怖い。

 若い将校は不満げだったが、それ以上は言わなかった。


 老参謀は命じた。

「カイ・リンド。お前はしばらく後衛観測班の補助に回れ。正式な指揮権はない。命令権もない。だが、違和感があれば報告しろ」

「はい」

「ただし」

 老参謀の目が鋭くなった。

「勝手に兵を動かすな」

 カイはすぐに答えた。

「努力します」

「努力ではなく、守れ」

「……はい」

 嘘になった。

 もしまた同じ状況になったら、たぶん動かす。

 聞こえてしまったら。

 壊れる音がしたら。

 カイはきっと黙っていられない。

 それを自分で分かってしまったことが、怖かった。


 天幕を出ると、夜風が冷たかった。

 空は暗く、遠くでまだ戦場の赤い光がちらついている。白く焼けた昼のあと、夜は妙に黒かった。

 トマが外で待っていた。

「どうだった?」

「出世した」

「おお」

「後衛観測班補助」

「それ、出世なのか?」

「分からん。肩書きが長いからたぶん出世」

 トマは少し笑った。

 だがすぐに真顔になった。

「怒られたか」

「怒られた」

「処罰は?」

「今のところなし。使われることになった」

「使われる?」

「俺の耳が便利らしい」

「便利じゃん」

「便利って言葉、最近嫌いになってきた」

 カイは空を見た。

 星が出ている。

 村で見る星と同じはずなのに、ここでは少し遠く見えた。

 少し離れた治癒幕舎から、負傷兵の呻き声が聞こえる。

 その中に、助けた兵の声もある。

 助けられなかった兵の声は、もうしない。

 それがまた、きつかった。


「トマ」

「ん?」

「俺さ」

「うん」

「本では、もっと分かると思ってた」

「何が?」

「戦場が」

 カイは笑おうとした。

 うまくいかなかった。

「地形を読んで、兵科を見て、チェーンの流れを考えれば、何か分かると思ってた。でも実際は、音が多すぎる。人が多すぎる。怖すぎる。で、分かった時には、もう遅いことが多い」

 トマは黙って聞いていた。

「俺、戦場を見たいとか思ってたんだよな」

「言ってたな」

「馬鹿だな」

「まあ、ちょっと」

「否定しろよ」

「でも今、お前がいなきゃ俺は死んでた」

 カイは口を閉じた。

 トマは続けた。

「だから、馬鹿でもいいんじゃねえの。生きてる馬鹿なら」

「……それ、慰め?」

「かなり頑張った」

「もっと練習して」

「お前が生きてたらな」

 カイは小さく笑った。

 今度は少しだけ、本当に笑えた。


 その夜、カイは後衛観測班の端の寝床を与えられた。

 寝る前に、鞄から『第五連鎖崩壊記録』を取り出す。

 開く。

 だが読めなかった。

 文字の向こうに、今日の白い光が浮かんでくる。

 兵法書の中の崩壊記録。

 それはもう、過去の紙ではなくなっていた。

 カイは本を閉じた。

 そして木札を見た。

 固有スキルなし。

 軍才兆候なし。

 歩兵補助。

 才能なし。

「……お前、ほんとに当てにならないな」

 小さく呟いた。

 木札は何も答えない。

 当たり前だ。木だからな。答えたら怖い。

 カイは寝袋に入った。

 目を閉じる。

 太鼓の音が耳に残っている。

 前進の拍。

 後退の拍。

 敵の拍。

 自分が数えた、一、二、一、二。

 いくつもの拍が混じって、頭の中で鳴り続ける。

 その中で、ひとつだけ、まだ遠くに聞こえる音があった。

 白い左翼が焼ける直前に聞いた、不協和音。

 壊れる前の音。

 カイは震える手を握りしめた。

 もう聞きたくない。

 心からそう思った。

 けれど、もし次にまた聞こえたら。

 自分はきっと、また声を出してしまう。

 その事実が、何よりも怖かった。




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 第六話 巻末資料

 事情聴取抜粋:カイ・リンド


 対象者:カイ・リンド

 所属:第七歩兵補充隊、予備線補助

 聴取者:西部方面軍後衛士官

 聴取理由:命令系統外での兵誘導、反動予測、後衛盾列異常の指摘


 問:貴様は軍才持ちか。

 答:違います。木札にも軍才なしとあります。


 問:ではなぜ解鎖前に反動を予測した。

 答:予測というか、嫌な感じがしました。


 問:嫌な感じとは何だ。

 答:左翼盾列の遅れ、魔石杭の沈み、魔法兵団の詠唱の濁りです。そこへ竜騎兵の魔力が乗ったので、反動が左に引かれると思いました。


 問:それを予備線から見たのか。

 答:見たというより、聞こえました。


 問:感知魔法か。

 答:使えません。


 問:魔力視か。

 答:ありません。


 問:では何だ。

 答:俺が聞きたいです。


 補足記録:

 聴取中、対象者は後衛盾列右端の循環薄化を指摘。

 直後、敵斥候が当該箇所を狙ったため、盾兵交代により侵入を防いだ。


 聴取官所見:

 言動は軽いが、観測内容は複数の現場報告と一致。

 通常補助兵としては説明困難。

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